【西東京市】阿波洲神社 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

おおぞら公園から、鈴木街道を東へ向かって歩いています。

 

 

進入禁止の標識が三つ並ぶ三差路。どちらに進んでも武蔵境通りへ出る一方通行ですが、右側の鈴木街道を進みます。鈴木街道は、貫井村(現小金井市)の名主であった鈴木利左衛門重広によって開発された鈴木新田へ向かう道です。重広は志半ばで他界してしまいますが、後を継いだ息子の鈴木利左衛門春昌によって、享保十七年(1732)に新田開発は成し遂げられました。

 

 

お稲荷さん発見。祠も含めると、日本には数えきれないくらい「祈りの場」があります。それだけ人間の生活は波乱万丈だとも言えます。穏やかであり続けるのは、天候と同じく難しいものですね。

 

 

阿波洲(あわしま)神社に到着しました。左手には岩倉高校野球部のグラウンドが広がっています。

 

 

宝暦二年(1752)に粟嶋明神を勧請して創建された阿波洲神社の総社は、淡嶋神社(和歌山市)です。淡島明神は神仏分離で少彦名命に置き換えられ、高望(たかもち)王も祭神として祀られています。高望王は、宇多天皇より平の氏(うじ)と朝臣(あそん)の姓(かばね)を賜って臣籍降下した平高望で、桓武平氏(高望王流)の祖となりました。

 

淡島明神は女性に関するあらゆることに霊験があり、淡島(粟島)神社は全国に千社を数える程あります。森嚴寺(世田谷区)のように、淡島堂が建てられているお寺もあります。

 

 

境内の奥は林になっており、西側にも鳥居があります。こちらからお詣りすると、雰囲気が全く違いますね。

 

 

頻繁に取り上げるので辟易とされている方も多いかもしれませんが、「良心まで捨てないで!」というキャッチコピーは初めて目にしたので、敢えて載せます。良心とはまさに、「お天道様が見ている」という認識のことですね。

 

次回も鈴木街道を歩きます。それではまた!