丸数字が尽きてしまったので、タイトルを少し変えました。
三千灯が上がるあたりは旧版のままです。各神官の灯の数も、全て旧版のままです。
地師の数が444灯で、これについては以前別記事でも紹介したのですが、何度読んでもうまくできているなぁと感嘆します。
宴会がお開きになったあたり(p76上段)で、「(三毒瘤が)按摩を受けようかと話し合いを始める」の後、師青玄の会話があったり、三毒瘤の会話があり、風信が謝憐におめでとうと言う場面や、郎蛍を連れて下界に降りる描写などがありますが、そのあたりは削られています。
新版では、三毒瘤が按摩を受けに行こうかと話し合いしていると、師青玄すぐに兄に駆け寄っていき、謝憐はそのまま仙京を離れて林に向かう描写になっています。
林の描写は旧版と同じです。郎蛍に関する記載が削られている以外は、旧版のままです。このあたりは改変がとても少ないです。
次の場面から新しい章「蓝夜題書紅袖添香」に入ります。
p79 あたりで菩薺観の食糧が尽きる話が描写されています。「ところが、今は観に口が三つ増えていた」のところが、郎蛍が登場しないので、「二つ」になっています。
そして、「二人の子供を連れて市をぶらぶらすることにした(p79下段)」が、新版では「谷子を村長の家に預けてから、市でぶらぶらし、何かガラクタを回収できないか見て回った」になっています。
p81のあたりまでは旧版とほぼ同じで、皆が謝憐からもらったお守りを道に捨てていく描写の後の、郎蛍が謝憐を見つめる描写がなくなっています。
p87で富商にお願いをいくつかする場面がありましたが、新版では子供達を連れてきていないので、三つ目の「連れの子供の面倒を見て食事を用意してやってほしい」というのが削られています。
その後、謝憐が妊婦に扮して部屋で横になるあたりの説明描写が大幅に削られて、p88上段の「謝憐はまたもや女物の服に着替えた」から、p89下段の「その時突然、死のような静寂の中からくすくす、けらけらという笑い声が聞こえてきた」の直前までがほぼ削られています。
つまり、謝憐が見た幻像のあたりや、幼児の服やおもちゃがあったこと、服の間に仙楽太子のお守りが挟まっていたことなどの描写が削除されています。
p92の「深潭の向こうに一軒の家があって、その中に子供が二人座っていた。まさしく郎蛍と谷子で卓を囲んで飯をかき込んでいる」の描写が、「深潭の向こうには一軒の家があって、一家が座って、卓を囲んで飯をかき込んでいた」に変わっています。
旧版で描かれている「一家に警告しようと花瓶でも投げたかったけれども...」などのくだりは省略され、直接、子供があくびをした時に黒煙が集まって、口の中に入りそうになり、謝憐が「口を閉じるんだ!」と叫ぶ描写になっています。
キスシーンのあたりですが、p94下段の「片手は腰にしっかりと回され、もう片方の手は顎を捉えている。その瞬間、氷のように冷たくて柔らかい何かが謝憐の唇を塞いだ」が削られています。
つまり、「力強い手に掴まれた感覚があった。突然の出来事に、謝憐は目を大きく見開いた」となっています。
そして、「生まれてこの方、誰かにこんなことをされた経験は一度もなかった。誰もそんな度胸などなかったし、度胸があったとしても不可能だからだ(p95上段)」も削られています。
「唇もしっかりと塞がれている。さらに深く口付けられ、」が削除され、「闇雲に押していた謝憐の腕は、曲げた状態で自分の胸元にぐっと押さえつけられて身動きが取れず、冷たくて優しい息がゆっくりと送られてきた」になっています。
「鬼は呼吸しなくても大丈夫なのに空気を送ることはできるんだな(p95下段)」「一瞬だけ離れた唇が、再びしっかりと重なり合う。唇がひりひりしていたいほど口づけられ、麻痺しそうになった」などの、直接キスを描写している文言が削除されています。
「しばらくして、ようやく二人の唇が離れた」も削除されていますが、新版では、「・・・再び水の中に潜っていく。離れた途端、謝憐はまた大きな水泡の連なりを吐き出し、・・・」となっています。
離れた途端水泡を吐き出し...という描写だと唇が離れた途端、という想像になりますよね。
このあたりは削除された描写も多いものの、キスシーンが念頭にあると、キスシーンにしか見えない気がするので、個人的には全然この程度の改変なら支障はないように思いました。
「花城と気がついた瞬間、もがくのをやめた」というのも残されているし、次回紹介しますが、岸に上がった後の反応もほぼ旧版のままなので、このあたりは新版でもしっかり甘いです。
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余談です。
今日は習慣形成について。
人には色々タイプがあり、家に物が多い方が落ち着く人もいれば、物が少ない方が落ち着く人もいたり、物を綺麗に使い終えて捨てる時が好きな人もいれば、新品の物を開封して使い始めることが好きな人もいます。
母は、物が多い方が落ち着く人なのですが、私や父は物が少ない方が落ち着く人で、いつも「どうしてそんなに物が多いの?使ってないものばかりじゃない」とついつい口に出してしまっていましたが、
その本を読んでからは、人にはそれぞれ心地良く感じることが異なり、それは仕方ないことだと、自然に受け入れられるようになりました。
その本では主に「自分が定着させたい良い習慣を、習慣化させるためにはどうしたらいいか?」について書かれていますが、人にはどういうタイプがあり、自分はどちら側なのか?について書かれた章がずっと印象に深く残っています。
いくつかタイプを紹介したいと思います。
①ヒバリかフクロウか?(朝型か夜型か?)
人によって、生産性が高まる時間帯やエネルギッシュになる時間帯が異なり、その性質は生まれつきのものだそうです。
若い頃はずっと自分が朝型だと思い込んでいましたが、特段早起きして何か有意義なことをすることは少なく、結果的に夜に集中して作業することが多いのと、先日の遺伝子検査でも見事に夜型と判定が出たので、どうやら夜型人間のようでした。
調査によると、朝型の方が夜型に比べて幸せを感じやすく、健康で人生に対する満足度が高いそうです。
②長距離ランナー、短距離ランナー、先延ばし屋のどれか?
仕事の進め方に関して、長距離ランナーはゆっくり着実に仕事を進め、期限があっても期限よりもだいぶ早く仕上げる傾向があり、短距離ランナーは短い時間に一気に集中して仕上げるタイプで、思考を研ぎ澄ますために、あえて期限ギリギリまで待って取り掛かることが多いとのことです。
先延ばし屋は、一見短距離ランナーに似ていますが、「余裕を持ってやっておけば良かった」と常に後悔しながら取り組む点では異なります。
私は期限に追われるストレスやプレッシャーが大嫌いなので、自分では長距離ランナータイプだと思っています。
③買い控えタイプか、買いすぎタイプか
買い控えタイプは必要に迫られてやっと買いに行きますが、結局は「また今度にしよう」「買うほどではない」と思い直すことが多く、買いすぎタイプは「いつか役に立つ日が来る」と自分に言い聞かせて、すぐに必要でない物までも買い置きします。
買い控えタイプの人は「良い習慣維持のためにつながることへの出費は価値がある」と覚えておいた方が良いし、買いすぎタイプは「ものを買うだけではいい習慣は身につかない」と覚えておく方が良い、と書かれています。
自分は完全に買い控えタイプです。基本、必要に迫られないと買いに行きません。買いに行ってもまさに「今度にしよう」で買わないことが多いです。
④「減らしたい派」か「増やしたい派か」
減らしたい派の人は、静かで装飾品の少ないオフィスの方が仕事が捗どりますが、増やしたい派の人は、活気があって目を引くものがたくさん置いてあるオフィスを好みます。
自分は完全に減らしたい派です。ミニマリストとまではいきませんが、物は少ない方が好きで、落ち着きます。目に色々入ってくると、集中できないので、シンプルであればあるほど落ち着きます。
⑤終わらせたがりか、始めたがりか?
自分が終わらせたがりなのか、始めたがりなのかを把握しておくと、自分の傾向に適した習慣を形成できます。
終わらせたがりの人は新しい習慣を作ることに慎重になりすぎるところがあり、始めたがりは新しい習慣を作ることを楽観視しすぎるところがある、と書かれています。
自分は完全に終わらせたがり屋です。歯磨き粉やソースなど、開封する瞬間よりも、使い切って捨てる瞬間の方が好きです。
色々タイプがあって面白いです。
習慣を形成しようとする時には、これらの性質も考慮した方が良いと書かれています。
習慣形成はさておき、このタイプ分けだけでも、とても面白くないですか?
これを知ってからは、昔上司だったあの人は、常に締切ギリギリに資料を作っていたから、まさに「短距離ランナー」だなとか、
この小さな会社の社長さんはいろんな奇抜な物を随所に置いているから「増やしたい派」だな、とか、
家族はまさに「買いすぎタイプ」で「始めたがり屋」だな、とか、折に触れて考えるようになりました。
自分と異なるタイプでも、相手はそれが心地良いんだろうと思えて、自然に受け入れられるようになりました。
興味がある方がいればおすすめです。そういった類の話に興味がある方にとっては良書だと思います。