3月!!




今日は、そこここで卒業式の高校生たちを見かけました卒業証書




人生の門出の姿は、何とも嬉しくなります。






今はまだ、彼らは親御さんや先生方をはじめ、多くの大人たちに守られていますが





遠からず、彼らは誰かを守り、そして自らを守って社会に参画していくのか…



と思ったら




何故だか涙が溢れてきてしまいましたえーん




悲しいとか、嬉しいとか、頼もしいとか




一言では表せない感覚なのですが




次世代を担う若者たちの世もまた




私たちが守り守られてきた、争いのない平和の世でありますようにと




心から湧き上がる思いでいっぱいです。









私たちは、守り守られ、ここに生きています。




守り守られることは、自然発生的な無条件の愛情と行動なのですが




ここに条件付けをしてしまうのが、私たち人間の長い歴史の中で身につけたやり方です。




守ってもらう条件に、犠牲を払う。




守るために、犠牲を払う。




大きくは、このふたつです。





この犠牲は誰のもので、誰得でしょうか?





守ってもらうために、欲しがりませんと我慢する。


守るために、命を投げ出す。



守ってもらうために、力のある国(会社、組織)の言うことを聞く。



守るために、イエスマンになる。






犠牲ありきの守り守られは



もう終わりに近づいてきている気がしています。





ただ、あなた(家族、友人、国、何かの組織)を守りたい。



ただ、あなた(家族、友人、国、何かの組織)から守られたい。




守ることも、守られることも



もし条件があるとするならば



個々の自立です。





しかしこれは、条件付けで成立するのではなく



無条件の愛情と行動とで育まれた結果、そうなる


というものなことを、私たちはほぼ気づいていません。





今上天皇さまを例に挙げますと




今上天皇さまも美智子さまも




無条件の愛情と行動で、日本を守り、世界と調和を保たれています、



子どもやお年寄り、災害などでままならない環境に生きる社会的弱者(これもそう見えるだけで実際は弱くはありません)に、無条件に寄り添います。



オリンピック、パラリンピックを目指す人たち、芸術文化に大いなる貢献をされている、一般的な判断からの社会的強者には、心からのエールと、その努力と在り方を送られています。





これは、自立と覚悟がなければできないことです。




戦争を二度と起こさせないという誓いを命をかけて遂行し、日本国を守ってらっしゃるからです。





その分、日本国から守られている。



しかし、その守られている範疇はごく一部で




守られていることへの敬意をまた、ご公務という形で表しておられます。





私たちは



それを日常レベルに、身の丈に落とし込んで



遂行していく責任があります。




自分を滅私して行うのではなく



自分を尊重して行う。



自分を尊重することで、周りにいる人全てを尊重することになります。




そうやって構築されていく自立



私たちは、もう受け入れて進むタイミングに来ています。


まさに岐路。




進んでいきましょう。誇りを持ってキラキラ





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Lieto BodyTalk Room


米国IBA認定 BodyTalk施術士 松岡由枝

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