同居していた義父が亡くなり思う事 | Lien雑貨&猫達との生活

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多肉植物を自分好みで飾るために自分で雑貨を作り、Lienリアンとしてたまーにイベントへ出店。そしてアメリカンショートヘアのうらちゃんとエキゾチックショートヘアのももちゃんとのの気ままな生活。義理両親との同居生活も…。



先週、病院で義父が亡くなりました。
亡くなるまでの経緯だけでいうと、
本当にカッコいい最期だったなと思う。

苦しさゆえに判断した事だけれど、
自ら治療をやめ、自分で起き上がる事が
出来ない程なのに、亡くなる前日は家に帰ってきたんです。しかも行きつけの床屋に寄って。
座って散髪したんです!
サッパリして帰ってきたら、みんなで出前を取ってご飯を食べろと言い、
ラーメンや炒飯を注文して、ラーメンを一口食べて🍜
それまで舌の感覚がおかしくなって、嚥下機能も落ちて飲み込めなかったのに。
食後にタバコを吸って🚬

「あーサイコーーーー!!!」って。



自宅に一泊して、
朝には涙を流すほど苦しくなり、病院に連れて行ってくれ、もういいともがいていたけれど、
会いたい人が夕方でないと会えないと知ってから
ぐっと持ちこたえ、夕方病院へ。

会いたい人に会え、子ども達や孫に囲まれ、
私達も「ありがとう」を言って
鎮静剤を開始。
翌日までなかなかコントロール出来ず目が覚めていて、午前から量を増やし
徐々に意識がなくなり、呼吸抑制が起きて
義母や実の子ども達に囲まれながら
息を引き取りました。


自ら選んだ最期。タイミングも自分で決めて。
ナースである自分の感覚では
管に繋がれていなくて、酸素もしていない。
もうちょっと、頑張れるんじゃないかって
そう思っちゃう程の見た目なのに、
なんだかあっけなく亡くなってしまった。
でも、それってカッコいいなって。
見た目が変わらないし、誰の手も借りず。
自分らしいままでさよならできるなんて。


嫁としてね、ナースとしてね、
状態が悪くなる前は、話しを聞く程度で
全く関わらなかった。
なんせ、病気になっても何か努力をする人達ではなかったから。人達ってゆーのは、義母もね。
例えば食事療法とかさ。
体力つけるために歩くとかさ。
何か頑張ってるなと思う事がなかったの。
肺癌と告知されても、医者がタバコやめろとは言わなかったから吸っていいって事だろ?
そう言って吸い続けるような、そんな感覚の人だったから、医療者としては見捨てた部分があったの。
好きなよーに、せい。って。
だから、もっと早くから密に治療について考えてあげれば良かったとか、
そういった後悔はない。
もう時間の問題だっていうのも分かったし、
ナースである嫁としてやるべき事をきちんとしようとしてきた。
覚悟はできていたし、いろんな場面で感情が湧いて涙する事もあった。でも、自分はショックを受けるだろうか、死んでしまったらどういう感情になるだろうって、すごく冷静だった。


で、いざいなくなって思う事。

こんなにも寂しいもんなのかーーーーって。

何気ない普段の生活の事。
朝子ども達が学校へ行く時必ず玄関へ見送りに来てくれていたのに、出てこない。
私が仕事から夜帰って、おかえりー!ってソファに座ってテレビ見てたのに、いない。
出掛けると、病院に帰り寄ろうかなーと思うけど、もう行かなくていいのかって。
面会の後に外食してたから、外食すると面会してきた帰りみたいに思えて。でも、いないんだって。
毎朝うっとおしく感じていた酷い咳の音もそーいえば聞こえない。

何をしていたってそこに存在していて、
居なくなった今はなんだかあっけなくて寂しくて。きっと子ども達もいろんな事を感じているんだろうなって思う。

毎日を大事にとか言うけど、それってすごく難しいけど、出来れば精一杯大事に過ごすべきなんだなと思った。
もう1回は、ないからね。

特に旦那に対しては、大事にしなきゃなと
なんだか深く感じている日々。

そして義父にお線香をあげるたび、
なんでいないの?ほんとに?って、
遺影を睨みつけてる日々です

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今年みんなでディズニーランドへ行ったとき
もっとたくさん旅行行けば良かったなー