『脱成長』と『サスティナブル』
そんな言葉を見つけました。
“これからの時代は『サスティナブル』”
そんな言葉を
以前、とある講座を受けたとき
何度も聞いていました。
サスティナブルとは?
自分の考えるサスティナブルとは?
それらを考えるために
何度も投げかけられたのだと思います。
ある時、
“サスティナブルは、
現実不可能なものだと思っている”
と、ほろっと答えた方の
言葉とその時の場を今も忘れられないわたし。
わたしは、
サスティナブルがよく分からなかった。
今もよく分からない。。。
持続可能な社会…
“形あるものいつしか壊れる”
そんな言葉をはじめて聞いとき、
その通りだ!と思ってたし
その言葉を知った時から、
そんな頭がある。のよ。うん。
サスティナブルという新しい言葉に
いまも戸惑っている。
『脱成長』と『サスティナブル』
この言葉を見たとき、
キラッとして見えた感覚があった。
『いま』とちょうどよいところ。
そんなことを思った。
あらゆる面で、あらゆるものが、
いつも、『いま』とちょうどよいところにあれば、持続可能という社会は保ってゆける?
未来に行き過ぎず
過去に引っ張られ過ぎない
『過ぎないポイント』
そんなひらめきがわたしに湧いた。
そして、それは、
『人』に可能なのかしら?と。
時々…やってみようかしら…w
(時々って?どれくらい?)
(いつもは、ムリ…だわいまのところ。。。それだけはわかる)
『いま』とちょうどよい
あらゆることを考える…
わたしの場合、
考えるより
感じてみる…がいい感じ
いまとちょうどよいと感じるもので
動いてみる…
『いま』との感覚を感じる…と
なんか…落ち着く
『落ち着く…』これだけは、なんだか
“間違いない”と感じる(わたしの感覚)。
love & free yoko