言葉って
不思議で。
同じ意味でも
少し言葉を変えるだけで
心に響いてくる言葉と
そうでない言葉があって。
感覚というか
ことばの持つエネルギーの向きのようなものが
違うように感じて。
先日、
わたしが感じた一つのことばが
ありました。
“好きなことをする”
“したいことをする”
よく聞くことばなのですが
これらの言葉を聞くと
私の場合、
“好きなことって何だっけ?”
とか
“したいことって何だっけ?”
とか
瞬発的に
思い出せなくなったり
探そうとしちゃう
なぜなのか
分からないのだけど
ただ、
既に
好きなこと
したいこと
をしてると本人は思ってる。
たとえ、
他人様から見て“まだある”ように見えてても、
私には…これ以上見えないんですよね。
思いつかないのは
もう、本当、しょうがない
↑ここを足掻(あが)いても焦るだけ…
というのを何度もやってたので
そんな時は…
スルーです
でも…
言葉を変えてみる
とぉ…
ことばを変換する発想が湧かないと無理なんだけど、
たまに湧いてくることもあって
(美味しかったの台湾飯ぃ)
“生きたいように生きてみる”
やりたいこととか
好きなこととか
探そうとしてた訳じゃないんだけど
ある面白い話を聴いていたら、
わたしの中から湧いた言葉でした。
なんかね、
この言葉が湧いたとき
重いものが“ボタリ”と落ちたように
“わくっ”としたんです。
今も少し静かに興奮してる。
“生きたいように生きる”
この湧いた言葉から
なにやらムクムクと
感覚的なところから湧いてくる。
なんだ、
本当は…
生きたいように生きたかっただけだったんだ、ね
すんごいシンプルだねぇ
すんごい自分に分かりやすい言葉だったねぇ
いやはや…
と自分に…わらったw
生きたいように生きる
自分の本能を起こすような
言葉みたいに感じる。
同じ意味なのに
言葉によって
響き方が違う。
心地よい場所
心地よい人間関係
心地よい環境
etc
人によって違うように
言葉にも
わたしにとって心地よい言葉
わたしを刺激する言葉
が存在する。
“生きたいように生きる”
この言葉で
最初に感じた
視界が開かれるような感覚
自ら
“縛っていたしがらみ”や
“囚われていた概念”の
糸消えるような感覚
忘れないでいたいなぁぁぁぁ
love & free yoko