行動力がないという人は本当にいるのだろうか? | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

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感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。

こんにちは黄色い花


しばらく…半年ぶりに

スタンドFMをゆっくりと再開しました。

(声blogという感じでやっています^^)


よかったら聞きに来てくださいブーケ2



さてさて…


先日、瀬戸内寂聴さんの本をチラ読みしました。


その本は対談形式で

質問に寂聴さんが答えてるんですが


寂聴さんは(お年にも関わらず)行動力がある

行動するのがとても早い

どうしてそんな風に行動できるのか?

決断が早いし何も考えていないように見える”


という言葉に対して寂聴さんは

“失礼な、いつも考えています”

と答えたんですね。


で、質問者が

考えていたら行動できない。

チャンスは逃さないことっていつもおっしゃってるとも言ってますよ”とあって、その後、寂聴さんの答えが進んでいくのですが、


失礼ながら

わたしはそこで猛烈に満足しました^^



自分の中で納得出来てしまったからキラキラ



自分の中にあったモヤっしてたものが

自分なりに解明されてさしまった。



巷では、

「行動力ある」

「行動すること」

めっさ大事ってよくききます。


行動力のある人は、

行動力があるからこそ

行動力について説明しきれないものがあるんだと、本をチラ見して思ったりもしました。


ずっと走られてきた方たちには見えない世界。





今も自分を若いと思っていますがw

行動力すごい”って言われてた若い頃が自分にありました。


今は…

自分でも、あんな行動力がないと自覚あります。


そして、

あんな行動力は今はしないと思っているし、必要ないと思っている自分がいます。



…それは

なぜなのか?


自分で謎でした真顔



行動力って、

老若関係なく大事って言われます。


行動力ってなんなん???


この頃のわたしは思ってました。





で…

寂聴さんの本をチラ見して思い出したんです。



あの時のぴゃーっと軽やかに自覚なく行動してた時のわたしは、

アンテナ、半端なかった…と。


興味のあることや

目に見えるもの耳に聞こえるものなど

いろんなものに対して


自分だったらどう思うのか

自分だったらどうするのか

自分はそれが好きかどうか


多分、あの時、

いちいち 考え

いちいち その時の自分の答えを

出していたんだと思うんです。




それで…


好きなことって


たとえ、

自分に行動力がないと思う人だって


好きなコトや人に対して、

躊躇なく行動するでしょ?


自分の中のアイドルや、大好きなゲームだったり、漫画や、専門的なことetc



結論をいえば、

行動力ないなんて人、そーそーいないのでは?と私は思ってますDASH!うん


好きなことには

自覚なく動いてるんだと思うんです。


行動力あるという人は、

アンテナにひっかかるものが

周りの人より少し多いのではないでしょうか?

多いから、動く対象が多かったという。


人より多く

人ごとで終わらせず

自分だったらどうするか



その“自分だったらどうする?”とか“それ好きかな?”を、日常の中の一つの当たり前の動作みたいに考えて


自分の目の前に考えたコトが現れた時、

“あ、それすぐやれます”って、“それ私もやらせて下さい”ってすぐに反応出来てただけだと思うんです。



それを巷でいうところの

行動やチャンスにすぐのるための“準備”というのかもしれません。




わたし自身の質は、

昔とさほど変わってないと思います。


何が変わったかといえば


対象が狭くなったり

考えるコト柄や

考えたいと思うことを

以前よりずっと選択してしていることで

行動する範囲が狭くなったのだと思います。



もし、今の自分に

行動力がない!と忸怩たる焦りのような気持ちを抱いているとしても


行動出来てない自分を責める必要なんて

まるでないと思うんです。

(“責め”から始まる人もいるので、責めから行動出来る方は責めからどうぞなのであります黄色い花



何に行動したいのか

まだ見極まってないんじゃないないかと。


きっと、何かの防衛本能があってブレーキかかってるんじゃないのかなと。


それって、

準備ということにもなると思いますが


“準備の整ってからだと遅い”って

巷で言われますが


行動のための準備って、

感覚の準備なのかな?と。


考えてなかったことに対しては、

手も足も出損ねるんじゃないかな、と。


また他に、

言い訳して、やりたいことに感性(アンテナとか)閉じてることもあるかもしれません。


好き✨という感覚よりも先に

心配が先にたって、感覚や考えることを拒絶してるのかもしれません。


いずれせよ、どちらも

アンテナに引っかかってなかった

アンテナを張っていなかった

のではないかと。



わたしは、

アンテナに引っかからないことは

やりたくなくてほっこり



寂聴さんの本に出会って、

行動してないという仄かに感じてた罪悪感は

払拭されました。



アンテナに引っかかってなかった。

という私の中の事実の発見。


やりたいことに不安が湧いたりしたのは、

わたしの場合、アンテナが狭かったんだと。


よし、アンテナ広げようDASH!

そして、“これ惹かれるわ”に反応したら(アンテナに引っかかったら)、吟味して味わおうと


改めて自分に決めました。




妙な罪悪感も焦りもどっかに消えました。




もし、何をやったらいいのか見当たらない

という焦りがあれば、


自分が何に反応するのか

アンテナ張って、拾っていくといいと思ったのです。


もうそれで行動だし、

行動してないって、簡単に自分を責めたりしなくなると思いました。



それと、もう一つは、

人に翻弄されてではなく

自分がそれを本当に好きかどうか。


“自分だったらどうする?”

“それ、わたし、好きかな?”


“行動力”に対して何か感じてるものがあったら、アンテナについて一考してみること、大事だぁぁぁと。



その鍵は、

好き嫌い。


好きは、自分を動かすキーだとつくづく思う

ヨーコでありました。


行動力ない人なんて、いない!