何か説明することになったとき、
擬音をつかいますか?
漫画「鬼滅の刃」で
甘露寺蜜璃ちゃんが、
戦い中にあざが出て来て。
その時の状況を
柱合会議で蜜璃ちゃんが説明することになった時、
蜜璃ちゃんの説明はほぼ擬音でした
その時、
周りの人たちは、
“えー…”という表情。
最初、そのシーンを読んで
“えーーーー?!”とびっくり
少しして 読み返し、
やはり同じシーンに、
“えーーー!”となり
擬音、
分かりやすいのに?
みんなにも分かりやすいと思ってた
長嶋監督の説明もみんなそんな感じだったの?謎
漫画では、
その後、時透くんの冷静で分析的な説明で納得を深める柱たち。
“みな、こういうのを求めていらっしゃるのね?”と思った×2回
蜜璃ちゃんと時透くんの説明で
理解度がものすごく高くなったわたし。
(気分は柱?)
どちらの説明も
とても大事だったなぁ…と思った自分です。
頭と感覚を伴った説明から受ける理解って、
臨場感のようなものがあり、
身体に覚えやすいと思ったのですが、、、
皆さんは
どう思われますか
思うと、、、
わたしは職場でも、
擬音を使って説明していると思います。
人との会話ではもちろん…
そばにはいつも、わたしの説明を補足してくださる方がいることに、、、このことを考えるといつも気づきます。
運命の繋がりと感謝せずにはいられなくなります。
説明がなぜこんなに伝わらないの?と感じた体験は、結婚してからの夫との会話でした。
彼は、擬音を使いません。
私が話すと“ちょっと何言っているのか分かんないな…”と、つれない毎日。
この人、今までどうやって私と会話してたの?
恋とは盲目だったのね?!
色んなことが巡りました(えー、えー…)
あの時、私の中で
わたしの感覚的な話を
周りの人が理解しようと、考えを巡らせ
わたしが何を伝えようとしているのか、理解しようとしてくれていたのだと、
夫の対応でよく理解できたのです。
夫の対応には、当時、ひどくがっかりしましたが(新婚だったし)、同時に、自分と関わってくれた人たちに、本当にありがとう!と感謝の想いを心にでっかく抱きました。
想いは時空を超えて伝播するといいます。
実際、それを確認することも可能です。
感謝のだけに留めるつもりはありませんが、
感覚で(も)伝える…
考えも感謝も伝わる
そんな想いで、
これからも書きたい
できれば、
時透くん感覚もインストールして
理論的な説明も
今よりちっとばかり可能にしてみたい
(ドキドキする←難しいって思ってる)