ありがとう 最高にすばらしいわ | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

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路地に惹かれ、珈琲が好き♡

そして、何より、
感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。

息子の成長を側で感じていると
自分はどんな子供だったのだろう
という思いが湧いてくる


先日、(また)息子がわたしを
“あぁ…ぼけー”となるような出来事を運んできた。


わたしの子供の頃を基準とするなら、
息子はまったくもって異質

わたしとは全然ちがうので
密かにいつも驚いている



話は少し変わるのですが、
五月くらいからだったかな…

自分が実家で過ごした生まれた時から十代までの生い立ちを整理して俯瞰したいと思ってました。

だけど、
これが…全然すすまない真顔


そんな中、ある時、“多様性認める”という言葉が自分の口から出てきた時、ふと、自分は多様性を認めているようで、実は思っているほどそれらを受け入れていないのではないか?と思ったのでした。

そんなことを思った後、
幼少期から少女時代の実家で過ごした実家の自分が大きな波のようにリンクされたのです。

子供時代、多様性極まりない大人に囲まれて過ごしたこの時期。

いつも神経を研ぎ澄まして過ごしていたことに気づきました。

“疲れた。
もうゆるそう…”

“もう守らなくてもいい。”

そんな言葉がわたしの中きら湧いてきました。

ずっと守っていた糸が切れたように感じて
緊張の中で築き上げたすべてを手放そうとしたら…

とてつもなく怖くなりました。


そう、ここまでの話は
このブログの前の記事のきっかけ話です。


“家族が、わたし自身が、傷つきないようにわたしが守る”という想いを握りしめて生きてきたことに気づき、

それを手放したら
これから何をもって生きていけばいいんだろう?

怖くなりました。

自分の生い立ちを整理できないけれど、何かちょっとでもいいから手がかりを見つけたいと思い、さとこセッションを申し込みました。


この起こったことに対してセッションまでの数日の間に、少しでも自分を見つめようとしたその矢先、

息子が、そんなこと考える暇すら与えない出来事を運んでくれたのでした笑い泣き


息子が運んできたその出来事が、
不思議にも、以前さとこさんのセッションを申し込んだ時と同じ内容の出来事が再び起こったのです。


同じタイミングで、同じ内容…真顔

意味があると感じつつ
息子が運んできてくれた出来事に集中せざるを得なくなっていました。


息子は自分を生きているだけなのに
なぜ他者からこんなに言われるのか
なぜこんなにわたしは(いつも)謝らなければならないのか


親などの助けもなく
夫婦二人で子育てしてると
分からないこともたくさんある
まして、わたしの幼少期は、息子の子育ての参考にならない
息子ことで何か起こるたびに
この思考が出てきます。


悩んでいると友だちが
わたしに手を差し伸べてくれて、眼から鱗の数々でした。それは、今もです。

本当に感謝しきれないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。


その後、
息子は成長過程の中で、至って普通であることを教えてもらいました。

その年代で起こりやすい問題と思えるその行動の中で子供たちは学んでいき、成長していくから今は全く心配がないと教えてもらいました。

子供らしい子供なんだとたくさんの方が私に教えてくれました。

そんな中、自分のことをさっぱり整理できないままセッションの日が来ました。

何を話せばよいのか
全く検討もつかずにいました。

セッションに臨むのに
自分の話したいことが纏まらないなんて、話を聞いてくれる方にとてつもなく失礼だと思っていましたキラキラ

だけど、天才さとこさんは
しゅくしゅくとわたしに笑いを与えてくれながら
質問してくれました。

わたしは(妙な)ハイテンションになり、
セッションまでのエピソードも含めて一気に話しました。


心底気づきます。

これらは、全部繋がった話なのだと。

そして
全部わたしが導かれているのだと
実感させられます…

『わたしはどんな子供だったんだろう』

さとこさんに話していた時は、どうしても見えなかったのに…セッションの後のさとこさんからのレポートを読んで、涙が出ました。

理解より身体が先に反応しているのを強く感じました。

特異な環境で育ったわたしはこんな子供だったんだ…

普通の子供らしい子供ではなかった

当たり前に思ってた全てが、自分が『やらなければ』『守らなかければ』から起こっていた行動と表現だったんだと、アリアリと自分の子供時代をイメージでき、俯瞰できたのでした。

とてつもなくありがたかったです。
救われた気持ちになりました。

その時、ふと 子供時代のわたしをわたしが救うことができると思ったのです。

それを思っただけで、内側から喜んでる何かを感じました。


息子は、わたしが出来なかった
子供らしい子供の姿を見せてくれています。

息子は、自分の大切な気持ちを容易に消したり、辞めたりしない人です。
諦めたフリをしたりもすることもあるけど、絶対に諦めてない。
戦っても大事なものを守る人です。

わたしは、子供時代にたくさんの自分の大切なものを手放して来ました。。。


さとこさんのセッションの中で、
わたしは、子供の時に自分がありたかった自分をさせたいと思っていることに気付きました。

それは簡単じゃなく
息子のように自分のあるがままで、
クレームも出てくるし、迷惑もかけてしまう。

だけど、
それでも、
彼は愛されてるし
変わる必要すらないことを
たくさんの人と存在が支持してくれる

それでいいんだ、
それでいいんだよって

親であるわたしが迷って
息子をちがう方向へ行かせないように。
わたしがわたしの思う生き方を早くやるように…


それは、
息子がこれからもっと彼らしい生き方を自由に生きるために、わたしが固く握りしめているそれこそが、彼 息子の足かせとならないための大切なステップなのだと。

あらゆることを巻き込んで
わたしの目の前に壮大な繋がりを見せて
解いていく

早くしろって

そのまま認めて
あなたも好きに生きろって

さとこさんがね、
“デビ夫人”ってわたしのこと言ったのゲラゲラ

わたし、デビ夫人大好きなのです。

さとこさんはどんなつもりでそう伝えたのか分からないけれどw

わたしはびっくりで。嬉しくて。

わたしの大好きなデビ夫人のテレビシーンがあってその話をさとこさんにしてました。

彼女は、スカイダイビングをしたのです。

わたしも一度やってみたいと思ってたスカイダイビング。

あの風圧に老体と言われる年代で初めて体験するには、骨とか耐えられるのかしら?鍛えてたのかしら?などなど思いました。

ハラハラして見てたけど、
無事に降り立ったデビ夫人。

飛んでる時も着地の時も、
彼女はずっとキラキラしてて楽しんでた。

それがわたしをものすごく惹きつけて、
すごい!凄すぎるデビ夫人!とこの心踊らせていました。

もう尊敬の眼差しでした。

歳なんてどーのこーのとか、関係ない。
もうホントに楽しいかどうか。
自分が一番楽しんでいるかどうか…


あのシーンと出会って以来、わたしはデビ夫人のファンです。

だから“デビ夫人”と言われた時、とても嬉しかった。

そんなわたしの話をちょっとしただけなのに
さとこさんは粋なプレゼントを最高の言葉で飾ってくれた。

『ありがとう 最高にすばらしいわ』


涙が出る。

この時放ったデビ夫人の言葉が
わたしのレポートの表題でした。

徹頭徹尾、
今回のことはこの言葉に尽きます。

そして、これからわたしは
そんな言葉の数々をこれからも体験していくのだと思っています。



ありがとう 最高に素晴らしいわ



ありがとう
これを読んでくださったみなさんに…黄色い花
感謝をこめて

人生は最高に素晴らしい


love & free せち