どんな自分でも「可能性」ってやつぁ、いつも側にいる | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

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路地に惹かれ、珈琲が好き♡

そして、何より、
感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。


未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。
スティーブ・ジョブズの有名なお話の一部。


子供の頃、若い時、
(過去の)こんなことが、(いま、ここで)繋がってる
という経験をして、これはなんて面白いのだろう!生きるってこんな楽しい事が起こるんだって、その度に思いました。

そして、「点」の体験や知識を得ると、
「点」同士が繋がることを期待をしたり、あきらめたり…なじばんだりで…(古いって

大人になると、
自分で行動できる自由度が大きくなり、点が増えすぎて、「はたして、これは線になるのでありましょうや?」と思うこともしばしば


どうやって線になっていくのか
ワクワクに耐えきれない感覚になると
ストーリーを自作し、想像してムヒムヒしたりするのですがキラキラ


それは絶対、
想像を超えたところから
いひようをついて
出来事や人との出会いから
やってくるから
いつもびっくりさせられる。

そして
それがまた楽しい


だけど、
そんな想いを
ここのところ
とんとしたこともなく。

「点がいっぱいてすけど?真顔
と、誰に話してる?状態で…
そんなことを問いかけ続け、はや何年?
(もうわからん滝汗

このまま「点」をたくさん持って、
そのまま召されていくのかもね…
それもいいわね(ふっ)

なんてことも
普通に思ってた。
(いまも思ってます照れ


そして、
先日  ふと 
あ。。。繋がってきたものがある
と気づいたものがあります。



こっちにきて、
最初のパート就活の時、

わたしは大学のキャンパスというものに憧れ、
大学で働ける求人を見つけ、応募したことがあります。

面接でも
『キャンパスに憧れて応募しました!』
と応えていた自分。

そんなこんなで採用が決まり、
教授の事務させてもらってたのですが、
担当させてもらった教授が「持続可能なエネルギーと社会」について、産学のほかに地域の人々と話を重ねながら、研究と実験をされていました。

事務をしながら「面白そうな研究だなぁ」と思い、時々、先生から聞くお話もとても興味深かった。

こっちにくる前に、自然エネルギーを用いた商品開発してる企業を担当したことがあったことを思い出してましたが、

この時は、あ。こんなところで共通の経験してる音譜と、わたしの中でひそかに楽しんでました。

それから年月が経ったいま、
「持続可能な社会」について学ぶ機会にまた恵まれたことに気がつきました。

自分が憧れてた先生のもとで学ぶことが出来ただけでも、自分に起きた奇跡だとおもってたのに 

学ぶ項目の中に「持続可能な社会」と書かれているものがあり、
あーーーー?!きたーーーー!?
直接関われる機会がキたのですね!
と気づきました。

これから どんな風に学んでいくのか分かりませんが、とてもワクワクしています

とうてい 想像も出来なかった「想い」の「点」が、一気につながってるのを感じてるこの頃。

本当にいろんなことを
諦めていたことに気がつきます。

その一つに
・もう若者ではないこの年齢
・ただの主婦
という想いが自分の中にあることを痛感しています。

でも、キッカケが
(やっぱり)全く予期せぬところから現れて、

どうしよう…と
迷いつつも 
一歩踏み始めると

溜まってた点のいくつかが
いっぺんにわわわーって線になっていきました。


それは、
いくつになってもそれは現れてくるのだと思い知ります。

ちまたで聞かされる
『年齢は関係ない』という言葉を聞くたびに私はいやな気持ちになってました(笑)

「それは限られた人でしょう?」
と、これまた ちまたの言葉を引用して不貞腐れていました。

でも…
不貞腐れてても…

『キターーー!!』な体験は
くるのですね

希望の光は、若い時とはまた違う色と味わいをもってやってきてくれました。

ひかりを抱ける実感は
やはり嬉しく
ワクワクしてきます。

私は、たくさんの人と一度に繋がることがちょっと苦手です

いっきにたくさんの人と繋がると、
わたしのその分野のキャパがすぐに満杯になり、アワアワしちゃいます笑い泣き

でも、
人の多少にかかわらず
苦手であっても

出来事やきっかけは
人がもたらして来てくれるものだということを実感します。

それは、
こんな自分にとって
本当に本当に有難いものだと思っています。



「点」は…
必ずしも、ジョブズ氏がいうような「強く信じる」ではなくても

なんとなくな予感や思いで(あくまでわたしの見解ですが)「点」は、来るべきときに勝手に繋がってくれるのだと思ってます。

そして、点がそのまま残っても
いいではないかっとも思ってます

どうしても繋げたい点があれば
それは別ですが

まぁ、わたしが諦めやすいタチだからなのでしょうか。。。ねぼけー
こんなこと思うのは…

「これがダメなら 違うことしよー」
そんな質でも

こうやって違うことしてても
点は繋がってくれます。


何が言いたいかというと…

「重たいなぁ」と自分を思うときでも
自分が心底アカンという時までは
自分を簡単に捨てなくてもいいのだと
わたしは思うのです。

どんなに
「こんな自分」
って思ってもいいから

こんな自分を横に置いたまま
流れにのまれず

こんな自分を真ん中にしながら、
こんな自分のまま
その自分を抱っこして
流れにのまれてほしい

いろんな想いをかかえつつ

いつ繋がるのかわからない点だけじゃなく
きっと目の前に
自分を明るくしてくれる
スイッチが散らばってるはず

それを楽しみながら、
どんなスイッチなのか
楽しんでオンにしていく

なんか自分に合ってなかったら
オフにする

そんな繰り返しで
いいのでいいなかな
と思っているこの頃です。

(つけっ放しだと
いろんな物が見えて
雑音でわけわかんなくなるから
消すのって大事だよね…照れ
消し忘れ多いわたし談 )



可能性は、
どんな時にでも目の前に現れてくれる


わたしは
そう信じてる




love & free せち