北海道に帰省する前に市で受けた肺の検査の結果が届いていました。
どこがどう検査が必要なのか一切書かれず『精密検査』の日程と問診が同封されてました。
これって…なかなか怖いです
それで、ようやく精密検査の日がきて、先日、肺のレントゲンの再検査をしてきました。
診察前に、看護師さんからの問診ともう一度レントゲンを撮りました。
看護師さんにどこが引っかかったの聞いても答えてもらえず。
みな、同じ対応なのだそう。
そして、この日の最初に写真を撮っての診察。
慎重に話される先生。
寄り添う看護師さん。
気になるところは、
CTを撮るとハッキリわかるということ。
そして、
CT撮った後の診察までの時間がとても長った![叫び](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
![叫び](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
生きた心地がしない怖い怖い時間を過ごしました。
そして、
その数時間で今後の人生についてものすごく考えてました![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
やっと呼ばれた2度目の診察。
問題ないとの事。
診察室でこの数時間の強い緊張がとけて泣いてしまいました。
先生も看護師さんたちも泣かせておいてくれる、寄り添ってくれる優しい方達でした。
多分、
『肺』というのは、
現場で そういう場面が多い部位なのだと改めて感じてます。
(待ってる間、肺について調べてしまった手軽にネットが出来るのも善し悪しですが、居ても立っても居られない気持ちもまた事実。仕方ないとです)
それだけ考えたから、生き方が変わったかといえば、あの後も数日考えてみましたが、あまり変わりません
(ちょっと変わったところもあります)
人生を凝縮したような生き方や決意は、
それそれなりの理由や想いが常に側にあるからだと感じます。
せっかく気がつけたのに、そんな生き方が出来ない自分を情けなく思う瞬間がありましたが、
やっぱり、それはそれは違いますね。
あんなに強く強烈に感じながら
考えた瞬間を得ても、
このように 変わらない自分がいるというのは、これでいい。これが私の正解なんだと感じています。
もうひとつ、
自分の疑問で彷徨ったとき、
強く共振した記事をシェアさせていただこうと。
ちまたとはちょっと違う視点だと思いますが、わたしの中でとても腑に落ちた瞬間でした