遊びをせんとや生れけむ | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

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路地に惹かれ、珈琲が好き♡

そして、何より、
感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。

昨日、高校時代からの親友から電話がありました電話

彼女には小学生の息子さんがいますリボン


新生児用のお洋服やおもちゃをとっといてあって、

よかったら送るよ宝石白


大事にとっておいてあったのだと教えてくれました。


もう…それはもう、

すぐに想像できるのでありますクローバー


彼女はモノはもちろん、

気持もいつも大切にしている…


転勤族であったにもかかわらず

大切に保管されていたのだと思うと、

彼女の気持に心があたたかくなってしょうがないのであります星


わたしはもう 子どもは無理だな…なんて思っていたにも関わらず、

彼女はそらがやってくることを思っていてくれたのだと思うと

なけちゃいました…



さて、

昨日は大河【平清盛】が最終回でありました。

視聴率はかんばしくなかったとか。


我が家は欠かさず見ておりましたが、

わたし的にはとっても面白い大河のひとつでありました晴れ

(ケンジくんのファンですし恋の矢


最終回の題

『遊びをせんとや生まれけむ』


これは初回でもドラマの中で使われた台詞

(だったのだそう…忘れてますw)


ドラマが始まってまだ早いうちに

『面白きこともなき世をおもしろく』という清盛の言葉に

わたしはビビビビとなっていました(笑)

(この言葉はずっと時代が後の高杉晋作の言葉だそうです)


毎回、毎回、

なんとまぁ今にぴったりなテーマになっているのだろうと驚きながら観ていましたが、


改めておもうと、いつの世も同じなのかもって思うのです。

「あの時代は」なんてほとんど関係ないのかもしれません。


ドラマの後半は平家がどんどん衰退していくし、

どんなことが起こるのか少なからず知っているし、

あまり見たいと思わなかったのですが、


義経好きオットが毎回、

コメントを加えながら観るのであります。


余談ですが、

毎回、しみじみとコメントをのたまうオットなのでありますが、

たいがい同じことを言っているのであります…w


ドラマで、清盛が死の淵にあるとき、

彼は生霊となって西行のところにいき、

「まだやり残したことがある、今死ぬわけにはいかない」

というようなことを言います。


西行は、

あなたの仲間はみな誰しもあなたと同じ想いでこの世を去り、

死は誰にとっても避けられない定めなのだと伝えます。


そして 西行は清盛に

自分が出会った中で誰よりも自分の人生を

存分に生きた人だったと伝えます。


西行は、清盛の不屈の精神、

平家をここまでしらしめ、隆盛を極め、

そして固執し、衰退していくのを目の当たりにし、

穏やかに清盛にそれを伝えます。


固執し、やや狂い気味に政治を行おうとする清盛を

西行はみています。

それが西行がみた最近の清盛の姿。


だけど 西行は清盛に

誰よりも自分の人生を存分に生きた「もののふ」と伝えます。


たいていこういう(ドラマの)場面で、

悟ったような人は、死についてさとすくらいと思っていたので、


西行が彼の一生を通して讃えた台詞をきいて

あぁ、なるほど…と、

まだうまく言葉にできませんが

妙に感心してしまったのです。


喜びの時は大いに喜び、

苦しい時は大いに苦しみ、

欲するときは大いに欲し、

それを得るためにあなたは全力を尽くした…

生きたいように生きた あっぱれな人生と

(西行はこんな台詞でいったのではありませんが…w)


話はちょっと清盛から離れますが、

朝、福島の南相馬の小さな女子合唱団の特集が放送されていました。


南相馬は福島原発の近くで、

震災後、仲間がちりじりになりみんなで歌えない状態が続いていました。


この合唱団はよくテレビで特集されていて、

練習がままならない彼女たちまでのことを私も知っていました。


今朝、見てみると、

今では アメリカやイタリア…色んな国でメッセンジャーとして活躍し、

色んなイベントにも参加しているようでした。


もうそんな活動をしているんだぁ…

被災しながらも広く活動している団体を見るたびに驚くわたしです。


しかし、彼女たちは、疑問や活動の苦しさを抱えていました。


彼女たちは、ただ歌うのが好きで

下手でも、歌うってこんなに楽しいんだよ、ってことを自分自身感じたくて、

そしてそれを伝えたくて歌っていたのです。


それが、

震災で色んなところに行き、練習もままならない状態で歌う。

それが原因で一時、グループから離れた女の子もいました。


そんな疑問や苦しみを抱えたリーダーのこたちが集まって話をした時、

ある女の子がいいました。


『余計な使命なんていらない』


自分はただ歌うのが好きで、歌えることが嬉しかった。


目的を見失いかけた彼女たちが、

少なくても自分たちはその想いを大切にしていこうと心に決めます。


この若き彼女たちを指揮するこの合唱団の指導者も、

この合唱団を立ち上げた初心の時を振り返り、

メッセンジャーとしての活動ではなく、

彼女たちの気持とともに活動を「歌うことの喜び」に戻していきます…


「自分の使命とはなんだろう?」と苦しんだり、悩んだり…

それを探し、求めてきたりした人は多いのではないかと思います。

若い時のわたしがそうでした(笑)


わたしたちの使命…それは本当は誰もが最初から知っていて、

もちろん、わたしがいまここで いわずものがなではありますが、

自分がこころからやりたいこと、楽しみたいこと…

余計な事は本当になーんもなくて、

ただそれだけなんだと思うのです…


遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ


生きていればいろいろ大変なことはあるけど、

子どもが遊ぶように夢中になって生きようよ