はじめに
 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、ローズマリー・サトクリフの「夜明けの風」という作品についてです。ブリテン島に吹き抜ける、夜明けを告げる風に耳を傾けてみましょう。

「夜明けのの風」ローズマリー・サトクリフ(ほるぷ出版)
 ブリテン島からローマ帝国が去り、アルトスも亡くなったそのあとのこと。オウェインは、初めての戦いで一族の唯一の生き残りとなる。父の指から抜き取ったイルカの指輪を手に、愛犬ドッグのみを道連れに、放浪を続けていた中で出会ったのは、レジナという名の少女だった。サクソン人の脅威から脱するため、ガリアへ向かう決意を固めた二人だったが、レジナは重い病に襲われる。彼女を救うため、自らの自由を売って奴隷に身を落としたオウェイン。レジナを置いて、サクソン人の農場で働くことになった彼の日々が描かれる。

 「ともしびをかかげて」で登場するルトピエの灯台や、「落日の剣」で活躍するアルトスの名前がそこかしこに出てきて、イギリスの積み重ねられた歴史の重みが伝わってきた。土地の記憶の存在を感じさせてくれる。実際に史跡に行ってみると、過去にあった出来事は遠すぎてあまり実感が湧いてこない、ということもしばしばだ。しかし、サトクリフで先の登場人物たちの足跡を間近に見ていると、たとえ実際に訪れなくても、後世を扱った作中でその場所が出てきただけで懐かしさで胸がいっぱいになる。

 ところで、悪い人と善い人の二種類に割り切れたら、世の中はどんなに生きやすいだろう。しかし、決してそうではない。同じ団体に属する人の中でも、善人もいれば悪人もいるし、善人と呼ばれる人が信じられないような悪業をなすこともあれば、悪人とされる人が意外な暖かさを見せてくれることもある。

 たとえばバディールがその良い例だ。オウェインと共に、馬のゴールデンアイのお産を手伝ったときに彼が見せた優しさ、そしてその後に起こるオウェインたちと彼との確執を見ていると、真っ黒な悪人でない分、余計に辛いものがあった。いつか改心してくれるのではないか、というささやかな望みと、バディールに怒りを燃やすオウェインとの間に板挟みになって、ただ成り行きを見守るためにページをめくる以外に方法がなかった。

 黒白つけがたい人々の営みを、繊細な心情描写と共に生き生きと感じさせてくれるのは、サトクリフならではの優れたところだ。

 もうひとつこの作品で感じたのは、サトクリフは失われたものの大きさを突きつけてくるということだ。普段当たり前のように感じている日々の営みも、本当は何にも代え難い大切なことだと、教えてくれる。

 しかも、それは決して押し付けがましくない。言葉にすると野暮ったいが、文の端々からそれを感じさせてくれるのだ。はっきりと文字に書いてしまうのではなく、行間からにじませてくるのがまた良い。どんなにどん底まで突き落とされても、生きていればきっと良いことがある、と頭ごなしに主張してくるのではなく、自然とそれが感じさせてくれるのは、隅々まで行き渡った繊細な描写なくしてはできないことだ。

 サトクリフの作品を読み終わったとき、私は先にある希望を見出して顔を上げられるようになっている。勇気を与えられ、力付けられている。本当に優れた作家だと、読むたびに思う。

おわりに
 ということで、サトクリフ「夜明けの風」についてでした。次回は、O.R.メリングの「ドルイドの歌」です。どうぞお楽しみに。最後までご覧くださりありがとうございました!