はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、前回に引き続きローズマリ・サトクリフの「アーサー王と円卓の騎士」についてです。ローマ帝国に支配されていた古代と比べ、格段に文献が減少し、それゆえに暗黒時代とも呼ばれる中世。その始まりに生きた、靄に包まれたアーサー王とその騎士たちの姿を追いかけます。

 

「サトクリフ・オリジナル アーサー王と円卓の騎士」ローズマリ・サトクリフ(原書房)

 長く語り継がれ、古今東西様々な英雄の原型となったアーサー王とその円卓の騎士たち。勇敢で騎士道精神に富んだ彼らの伝説が集積されたシリーズの第一巻である。

 

 「落日の剣」の下敷きとなったアーサー王伝説に触れることができ、嬉しかった。アーサー王といえば、やはりこの巻の最初の方に取り上げられる、伝説の剣のエピソードが有名だが、他にもたくさんの物語を残している。だが、そのかけらに触れることはあっても、こうしてアーサー王伝説、というまとまった形で目にするのは意外と初めてだたった。このような伝説は、長く語られてきただけあって、いつの世も人を冒険にいざない、楽しませてくれる。

 

 「落日の剣」の登場人物に再び会うことができて嬉しかった。「落日の剣」で抱いた印象よりも、ケイがずっと嫌みな人物だったのには驚いてしまう。華々しい手柄を立てる他の騎士に比べて、登場頻度は多かれど、ケイはあまり騎士らしくない。執事と称されているところからも、それが分かるだろう。だが、それでいて憎めないのが彼だ。他の騎士たちに比べ、親しい印象がある。人が誰しも持つ、卑屈さ、嫉妬、そんなものをケイは秘めていて、だからこそ彼に感情移入してしまうのかもしれない。

 

 また、印象的だったのは、アーサー王が円卓の騎士の中で最強ではない、という点だ。彼は、実際他の誰か、のちに家来となる騎士と一騎打ちをして、劣勢に立たされたことも数多い。最強だから王である、という安直な理屈が、彼には通用しなかった。それを通して、なんとなく王たる者の資質が見えてくるような気がした。もちろん強いに越したことはないが、それ以上に家来を、人心をいかに惹きつけ、束ねるか、それこそが王に求められるのだろう。武に優れていれば、人心を惹きつけることはより簡単になる。あくまで、武勇というのは、王にとって道具の一つに過ぎず、本質にはなり得ないのだということが、アーサー王の姿からは伝わってきた。

 

 ところで、アーサー王の剣、エクスカリバーについてだ。この剣は、鞘と一対になっている。剣も名剣だが、鞘にも魔法の力があった。それは、この鞘さえあれば、持ち主はどんなに激しい戦いをしても、血を流さずにすむ、というのである。鞘が剣と一対となっており、鞘を失うと禍々しいことが起こる、というので、私が思い出してしまった別の剣があった。

 

 それは、十二国記で「月の影 影の海」の主人公、陽子が持つ、水禺刀である。陽子は、妖魔の襲撃の際、鞘を失ってしまった。その結果、剣に込められていた力が暴走し、陽子に手を焼かせたのだ。なんとなく、アーサー王のエクスカリバーと重なるところがないだろうか。小野不由美さんがアーサー王伝説に着想を得たのか、はたまたこのような伝説は世界各地に散っているのか、浅学にして分からないが、このような思わぬ共通点を発見できるのも、読書の楽しみである。

 

おわりに

 さて、アーサー王伝説はサトクリフのものだけでもまだ二巻ありますので、それについてものんびり書いて行けたらいいな、と思っています。それではまたお会いしましょう。最後までご覧くださりありがとうございました!