はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、前回に引き続き、小野不由美さんのホラー作品「残穢」についてです。ひしひしと迫ってくる怪奇の足音が、背筋を凍らせます……。

 

「残穢」小野不由美(新潮社)

 読者から集まってきた、数々の怪談の中から、作者は同じ住所から来たものを発見する。難航した調査だったが、じりじりとそれは進んでいく。最後に訪れるもの、探り当てるものは何なのか。

 

 とにかく怖かった。前回の「鬼談百景」の書きぶりから、私がやけに怖がりのように思われそうだが、これは私でなくとも怖いと思う。一見ばらばらに見えた怪談が、するするとつながっていく様子には、寒気がした。深く考えるのをやめにしておきたい。というのは、考えれば考えるほど怖くなる予感があるからだ。

 

 しかも、結構読ませたところで、怪談は伝染するというとんでもない話を持ち込んでくる。読者にまで伝染したらどうすればいいのだろう。これで身の回りに何か怪異が起こったら、絶対これは「残穢」のせいだと断言してしまうに違いない。ほら、そうやって書いてるうちにも、背がなんだか寒い。薄着なだけか。

 

 人々が近代化の始まる以前に信じていたものは、夜の町を所狭しと街灯が照らす現代でも、恐怖を伴って私たちのもとへやってくる。もしかしたら、こういう類いの怪談は、どこまで科学が発展してもなくならないのかもしれない、という気もした。

 

 作者—この作品では著者、と書くべきなのかもしれないが—の調査姿勢、怪異に対する考え方には、「ゴーストハント」のナルを思い出させるところがあった。どこまでも理詰めで考えていくところが通じている。ナルを書いたからこうなったのか、もともと著者がこのような考え方の持ち主だから、ナルが誕生したのかは分からないが、登場人物が作者の中から生まれるという、当たり前のようで信じがたいことにも、一片の真実が含まれているのだろう。「黒祠の島」の葛木志保も、ひょっとしたら作者の自己投影だったりするのだろうか。

 
 

 

 そして、この「残穢」を嘘、フィクションだと信じたい自分がいる。だって、怖すぎるのだ。現実の世界と信じるには、恐怖が勝る。しかも、どこまでが真実でどこからがフィクションなのかもよく分からない。ひょっとしたら全くの虚構なのか。しかしそうとも思えない。そんな葛藤の中に、読者を投げ出す作品だと思った。

 

 怪奇に人々は惹かれ、そして恐れる。科学の光の届かぬところに、未だその感情は、残っているのだと感じずにはいられなかった。

 

おわりに

 ということで、「残穢」についてでした。次回は、「自省録」になるといいなあ、と思っています。それでは、またお会いしましょう。最後までご覧くださり、ありがとうございました!