はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、小野不由美さんの「鬼談百景」についてです。普段はホラーをあまり読まないのですが、小野不由美さんの「ゴーストハント」が面白く、他の小野さんのホラーにも興味が湧きました。日の光の元で、どうぞご覧ください。

 

 

「鬼談百景」小野不由美(メディアファクトリー)

 淡々と、いくつもの怪談が語られていく。本当に怖いものもあれば、どこかもの悲しい、切ないものもあるが、読み終えた今となっては、真っ暗な中にはしばらく入れそうにない気がする。

 

 私はこの作品を夜に読み始めたのだが、電気をつけて明るくしていても、怖すぎて一気読みができなかった。引き込まれるのに、面白いのに、どうしても怖くて二つか三つ短編を読むと、ページをめくる手が自然と止まってしまう。それでもって、仕方がないからマルクス・アウレリウスの「自省録」を取り出してきて、それと平行で読んでいたが、全く、人の心というのは分からないものである。

 

 というのは、一夜明けて、日の光の下で読んでみると、結構な数一気に読めるのだ。度々中断して、自省録を読むのはやめられなかったが、夜に読むよりも格段にするすると読めるようになった。どんなに明るくても、外に太陽がない夜では、恐怖が全く異なる。人工的な光にはない温かみが、自然光には不思議と感じられ、なんとなく安心して読めた。昨夜のようにのめり込みすぎず、落ち着いて読むことができたのだ。つまり、他人事として、娯楽として読めたのだ。

 

 考えてみれば、長らく人間は夜、火の明かりだけを頼りに生きてきたわけで、太陽光が電気に比べて恋しく感じられ、安心感を与えてくれるのも、いわば本能的なものなのかもしれない。だいぶ話がそれてしまったが、闇の中に何かがいる、という感覚も、また脳の中に太古の昔から刻みつけられていることなのだろう。

 

 だいぶ話がそれてしまったが、本当にこの作品、怖くて仕方なかったのである。勝手に「ゴーストハント」に登場するナルの声で、解説をつけていた。彼のやけに科学的な分析を聞いていると、少しだけ心が静まるような気がした。いざとなれば渋谷サイキックリサーチの面々を頼りにしようと思っていた。レッドデータガールの泉水子たちでもいいかな、などと想像を巡らせて、こうして読み終えた次第である。

 

 

 ところが、おそるべきことにもう一冊「残穢」があるではないか……。明るい内に、読み切ってしまわないといけない。

 

おわりに

 というわけで「鬼談百景」についてでした。側に置いておくのも怖いです、この本。それで次回は、「残穢」についてになるといいなあ……。自省録を頼りながら、読みたいと思います。

 

 それでは、最後までご覧くださり、ありがとうございました! またのお越しをお待ちしています。