はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。銀英伝のキルヒアイスが夢に出てきたのですが、大して言葉を交わさないままに起きてしまいました。二度寝すれば続きが見られると思ったのですが、どうも目が冴えてしまい、起き出してこれを書いています。できればヤンに会いたかったと思いますが、そうそうわがままも言えません、ちなみにノイエ版でした。銀英伝に興味ない方、くだらない話から始めてしまってすいません。

 さて、今回は、以前感想を書いた「海の都の物語」の作者である、塩野七生さんのご著書「わが友マキアヴェッリ」です。「君主論」を最近読んだので、こちらも読みたいと常々思っていました。イタリアのルネサンスに生きた一人の人間の姿に、触れることにしましょう。

 

「わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡」塩野七生(新潮文庫)

 この本は、マキアヴェッリが何を見て育ち、何をし、何を考えたか、という三部構成になっている。新潮文庫版では、それぞれに一冊、合計三巻に分冊されて出版された。彼の生涯をなぞりながら、いかにして彼が「君主論」に代表される政治思想を得るに至ったか、という過程が丁寧に描かれている。

 

 このブログを継続してご覧いただいている方はご存じのことだと思うが、私は最近、「君主論」を読んだ。銀英伝で、再三登場する「マキャベリズム」とは何かが知りたかったからだ。

 

 しかし、「君主論」を読んでも、私はマキアヴェリズムという言葉の内包する、目的手段を問わない残酷さ、というのがあまりよく分からなかったのである。それはあまりにも一面的すぎるように感じられた。言うなれば、手段をうんぬんして、成し遂げられる目的などない、それほど世の中は甘くない、ということを伝えたかったのではないか。この二つの違いは些細なことにすぎないが、私にとってはとても大事なことに感じられる。マキアヴェッリの人物像が、全く変わってきてしまうからだ。

 

 そして、君主論から感じられる彼の姿は、全くもって残酷さなど伴っていない。いや、そう言うと語弊があるが、残酷というよりか、冷徹と表現したほうがふさわしいだろう。しかもそれは現実主義がそうさせたのだと思う。仕事を抱え込み、国の行政を一手に担っていた官僚時代から、あっという間に転落し、獄中生活を送った彼。ほどなくして出獄かなうも、復職はできなかった。結局は、そのような境遇が彼に君主論を書かせたのであり、一概に残酷だ、と片付けるには少々無理があるように思った。

 

 だから、この作品で作者がかくマキアヴェッリの姿には、うなずきたくなる。世間一般に流布しているマキアヴェッリのイメージよりも、塩野さんのかくマキアヴェッリの方が、私が君主論を読んで抱いた彼の像に近いからだ。君主論から感じられるものと、マキアヴェリズムという言葉の醸し出す残酷さは、かけ離れているとは言わないまでも、あまり重ならない。ただ、私の歴史観が自然と塩野さんの影響を受けた、という可能性も否定はできないのだが。

 

 愉快で、陽気で、屈託のない等身大のマキアヴェッリの姿が、マキアヴェリズムという霧を払ってやってくるような、そんな感覚を抱いた作品だった。

 

おわりに

 というわけで、「わが友マキアヴェッリ」について書かせていただきました。マキアヴェッリの著作は、この本に掲載されているいくつかの書簡などをのぞけば、まだ「君主論」しか読んだことがないので、いずれは読みたいと思っています。

 

 さて、次回もまた歴史か宗教関係になると思います。興味のある方は、ぜひご一読ください。それでは、またお会いしましょう。最後までご覧くださり、ありがとうございました。