はじめに
みなさん、こんにちは。本野鳥子です。五月の初めとなる今回は、前回に続き、銀河英雄伝説再読の第二回となります。広大な宇宙を舞台にした、人々の生き様を、今回もとくとお楽しみください。
「銀河英雄伝説 2 野望篇」田中芳樹(創元SF文庫)
銀河帝国元帥、ラインハルト・フォン・ローエングラム。自由惑星同盟大将、ヤン・ウェンリー。彼らが歩む道は再び分かたれ、また交わるときまで、それぞれの人生を、智力の限りをつくして歩んでいくこととなる。帝国の中で内乱が勃発すれば、同盟内ではクーデターが起こる。ラインハルトの見えない手は、同盟の奥ふかくまで伸び、ヤンを煩わせた。
相変わらず、物語の奔流はとどまることを知らない。一時も滞ることなく、作中の年月が流れていく。かといって、読者は置いてきぼりにされることもなく、彼らの人生のひとときを、共に過ごすことができる。
ところで、銀英伝は、君主制と民主制という構図から、様々な考察がなされてきている。その中には、確かにとうなずかせるものも少なくなく、私自身、そういう観点から銀英伝を見ることもなかったわけではない。
だが、最近はそれも何か、不粋のような気がしてならないのだ。政治的視点に限らず、作者が作品に込めたメッセージというのは、所詮読者からは、憶測するしかないものであり、また、そうでなければならないと思う。
なぜなら、登場人物たちは、彼ら自身の人生を、何かを伝えようと思って生きているわけではないからだ。結果として、その生き様に何か学ぶことがあっても、それは、登場人物たちの人生の結果であって、信念の発露ですらない。登場人物たちを生き生きとさせたいのならば、作者は、彼らを彼らの思うがままに動かすしかないのだ。
考えてみれば、ヤンだって戦争をあれだけ嫌悪しておいて、戦場に身を置いているではないか。物語は物語として、ただ純粋に楽しむ。その作品世界で完結するような、これはこういう伏線だとか、こういう文化的背景があるがゆえだ、などという考察はともかく、それを現実世界と結びつけて考えるのは、一旦脇に置くべきなのかもしれない。でなければ、決して登場人物たちと同じ立場にはいられないように思う。
さて、そんな銀英伝だが、この作品を初めて読んだ後、その中に数々登場する、歴史上の名将たちに惹かれ、歴史関係の作品を多く手に取った。たとえば、佐藤賢一の「ナポレオン」や、塩野七生の「ローマ人の物語」などである。それらを読んだ今、初めて読んだときよりも、歴史に多少ではあるが、造詣が深くなっていると思う。そのためか、今回はヤンが時折思いを馳せる、はるかな歴史を、少し共有できた。歴史は、本当に面白い、と改めて感じる次第である。
おわりに
というわけで、銀河英雄伝説の2巻についてでした。こんな調子で、これからもつらつら思ったことを、ネタバレはできるだけ避けて書いていこうと思っています。次回もまた、お読みいただけると幸いです。ありがとうございました!