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フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

清丸惠三郎本「江戸のベストセラー」(洋泉社 2017)では、十返舎一九「東海道中膝栗毛」も紹介されている。チョキ

 

 

 キラキラ『東海道中膝栗毛』十返舎一九

  衆道の凸凹コンビが繰り広げる珍道中が大ヒットした理由

 

は、なかなかに面白いわ!口笛

 

 

いくつかに分かれた小タイトルを列挙してみると・・・右差し

 

  *本当は怖い『東海道中膝栗毛』

  *月とスッポン、『膝栗毛』と『阿呆列車』

  *名所旧跡は見ない」という不思議な共通点

  *道中記ブームと日本列島大移動時代の幕開け

  *謎の駿府奉行所同心からの戯作者人生

  *初版のタイトルが『浮世道中 膝栗毛』だった理由

  *あれよ、あれよの大ヒット! 思えば東海道は遠くなりにけり

 

これだけを見ても、食指をそそるなあ(^^)ウシシ

 

わずか18ページの中に、この作品の性格が凝縮されている。

 

 

いろいろと引用してみたい箇所があるけど、一つだけ紹介しておこう。

 

 そういえば、弥次さんの喜多さんへのからかいというか、意地悪にしても、底意地が悪く、いま風のイジメに近い。読んでいて必ずしも愉快なものではない。『膝栗毛』の話中でそのあたりを笑って済ませているのは、2人が衆道の関係で、弥次さんがいわゆる念者で喜多さんに対して優位に立っているからだろうと考えられる。目に見えない人を苛めたり、精神に異常をきたしている女性を犯そうとしたり、それで笑いを取ろうとしているのは見えみえなのだが、当時は許されたかもしれないがいまはそうはゆかない。『膝栗毛』をいまの時代に出版しようとしたならば、セクハラ、差別用語、人権侵害などで、校閲担当者から真っ赤になるほど訂正が入り、面白くもないものになるだろう。加えて糞尿の話だとか、ふんどしにお握りを包んで食べさせる話だとか、汚い話もやたらと多い。その意味で、あんまり一九の場合、女性読者を意識しているようには見えないし、男にとってもあまり愉快な話ではない。

                            (p.159)

 

 

この作品を内田百閒本「阿呆列車」と比較するところは何とも興味深い。

 

 

 『阿呆列車』はその名のとおり列車での旅がテーマであり、弥次・喜多コンビがテクテクと徒歩で旅した『膝栗毛』とはまったく違う。『膝栗毛』は、こちらも文字どおり自分の膝、すなわち足を栗毛の馬に見立てて歩くことからきている。また『阿呆列車』では書き手である百閒先生自身が旅するのだが、『膝栗毛』では旅するのは十返舎一九が創作した、弥次さんと喜多さんである。

                            (p.158)

 

 

時代も異なるので相違点(徒歩と列車)もあれば、時代を超えての共通点(コンビ道中&名所旧跡は見ない)もある、という比較である!グラサン

 

 

 

 

   <「東海道中膝栗毛」という戯作があった!>・・・5(一応、fin)

 

それでは、最初の弥次さんと北さんの会話文を引用してみたい!チョキ

 

 

現代語訳は、桜楓社から。英訳は、TUTTL社刊による。

 

 

 万年屋のせ「おはようございやす。」

 弥次「二人前ねがいます。」

 北八「弥次さん、ちょいと見ろよ。いまのせの尻は、去年までは生娘の柳でいたっけが、いつの間にか臼(うす)になった。なんのかのと、杵(きね)でつつかれると見える。それにふしぎじゃないか。道中の茶屋では、床の間に枯れ花を活けておくね。あの掛け軸を見ねえ。ありゃなんだろう。」

 弥次「ありゃあ、鯉の滝のぼりよ。」

 北八「おらあ、鮒がそうめんくうのかと思った。」

 弥次「さあさ、むだ口を言わずに、はやく食ったり食ったり、汁が冷めちまう。」

                                   (p.10)

 

 

 'Good morning.' said the maid.

 'Let us have two trays, please,' said Yaji.

 'I say, Yaji,' said Kita.  'Look at that girl.  She used to be as slender as a willow and now she's like a mortar.  Somebody's been pounding her.  And isn't it strange that all the teahouses on the road should have dried up flowers in the alcoves.  Look at that scroll.  What is it?'

 'That's carp going up a waterfall,' said Yaji.

 'Is it?' said Kita. 'I thought they were eating vermicelli.'

 'You'd better eat your food instead of tolking nonsense.' said Yaji.

 'The soup's getting cold.'

                                   (p.24)

 

 

この会話を読みながら、思わず吹き出してしまった!てへぺろ

 

杵と臼の話はともかくとして、「鯉の滝のぼり」が「鮒がそうめん食てる」という件は、上方落語「道具屋」にも出てくるシーンで、そこでは、「鮒」が「ぼら」と大阪風になっている。

 

 

「むだ口」を「nonsense」と訳したのは流石だろうか。びっくり

 

 

実は、私の高校時代に文化祭で落語「道具屋」を演じたことがあるので、面白さが倍増してしもうたわい(^^)グラサン

 

 

 

 

 

   <「東海道中膝栗毛」という戯作があった!>・・・4

それでは、今度は、この本を参照してみよう。チョキ

 

 

  本杉本苑子「現代語訳 日本の古典21『東海道中膝栗毛』」(学研 1980)

 

 

このシリーズは大判で文字も大きくて読みやすい。

 

 

先ずは、原文(抄)から・・・

 

 旅立つ弥次さん北さん(初編冒頭)

 

 富貴自在冥加あれとや、営たてし門の松風、琴に通ふ春の日の麗さ  (p.14)

 

 

続いて、杉本苑子の現代語訳。

 

 出立

 

 富み栄え、なにごとも思いのままになるようにと願ってたてた門松に、そよ風が吹き通り、琴の音さえまじり合って、うららかな春の日

                                  (p.12)

 

 

 

 

 

こんな発端から、例の弥次喜多道中がスタートするのだけど、いわゆる現代語訳は、まあこんなものだろうか。グラサン

 

 

 

 

   <「東海道中膝栗毛」という戯作があった!>・・・3