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マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

4回に分けて、バラードの第一連目を11種の翻訳で比較してみたけど、思い当たることがあって。。。うーん

 

 

どの訳者も、カッコ書き(「」)で訳語を囲んだところが気になって仕方がないのだ。

 

 

「思想」という訳語を充てたのが4種、「思考」が4種、「思い」とか「こころ」とか、「思索」というふうに、訳者が苦労したのが現れているようだ。

 

 

ポーの原文では、「Thought's」と大文字で始まっている。しかも所有格で。

この大文字をほとんどの訳者はカッコ書きで表そうとしているのが目立つわ。

 

 

しかし、どの訳を見ても、この部分は腑に落ちないのだ。

何故、そうなのか?おばけくん

 

 

ここで、六連のバラードの後に書かれている部分を作品の中から引用してみたい。右差し

 

 

 わたしはよく覚えている、この民謡(バラッド)から生まれたさまざまな連想が、われわれを一連の思いへとさそいこみ、その中でアッシャーの抱く考えが明らかになったことを。今そのことを述べるのは、その考えが目新しかったからではなく(他にも同じ見解の人間はいるからだ)、彼が執拗にそれを主張したためである。その見解というのは、おおまかに言って、すべての植物には知覚があるというものなのだ。しかしアッシャーの妄想の世界にあっては、この考えは一段と大胆な性格を帯び、ある条件の下では、知覚は無機物界にも及んでいるというのだ。わたしは彼の信念のすべてを、あるいはそのひたむきな心酔ぶりを、言い表わす言葉を知らない。

                              (河野一郎訳:p.350)

 

 

 

この部分を読んだ途端、私の脳裡には「自由」という訳語が迷い込んできたのだ!流れ星

 

妄想であったり、信念であったり、考えること、思うことは、何を思おうと人間の自由な行為に他ならない。

ということは、「Thought's」は、広く「自由」という意味合いをも抱合しているだろう。ウシシ

 

 

なので、牽強付会の謗りを免れない気もしながら、ここは「自由」という訳語を充てることでストンと落ちるのだ。口笛

 

自由な王国、これなら迷いはなかろうて。グッド!

 

 

さらに言うなら、前回にも書いたように「支配する」という意味合いを込めて、「自由の支配する王国」なら、より分かり易いかも。びっくり

 

 

六連のバラードは、アッシャー家崩壊の暗喩でもあり、「アッシャー家の崩壊」という作品の縮図という位置づけと考えると何だか落ち着くわ!グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・27

今度は、こんなバレエ作品だ!チョキ

 

先ずは、どんな音楽か聴いてみよう。

 

 

ロザンタール指揮による演奏だ。

 

 

   仏美術館でピカソ最大作品展示へ/幅16メートルの緞帳 | 全国ニュース | 四国新聞社

 

           ピカソによる「パラード」の幕

 

 

 

 1917年5月18日午後、パリ・シャトレ劇場で初演。

テーマと台本:ジャン・コクトオ、作曲:エリック・サティ、舞台美術と衣裳:パブロ・ピカソ、振付:レオニード・マシーン、出演:ディアギレフのロシア・バレエ団、音楽指揮:エルネスト・アンセルメ。

 

 

 セルゲイ・ディアギレフ命日 | 東京レインボープライド

 

 エルネスト・アンセルメ - Wikipedia

 

 (上)セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)   

 (下)エルネスト・アンセルメ(1883-1969)

 

 

初演時、まだ34歳の若きアンセルメがタクトを振っているわ!びっくり

 

 

このバレエのストーリーは、見世物小屋の外の客の呼びこみのために演じられる仕ぐさを、観客は本物のショーだとかん違いして、いっこうに劇場の内部に入ろうとはしない。マネージャーたちも、芸人たちも必死に客を呼びこもうとする。 (p.445)

 

 

 

   パラード (バレエ) - Wikipedia

 

 

 

 

 

こちらは、オーリアコンブ指揮による演奏だ。ヘッドフォン

 

 

このいわくつきの作品については、アンヌ・レエ本「エリック・サティ」(白水社:p.104-119)に詳しく述べられているので是非とも一読を(次回に紹介)!グー

 

 

 

 

   <エリック・サティ没後100年に寄せて!>・・・17

バラードの最後は、この二人の訳とポーの原文を挙げておこう!チョキ

 

 

 

  どこよりも緑が濃く

    天使たちの住む谷に

  その昔、威容を誇る宮殿が----

    きらめく光の館となって聳え立ち

  「思考」という名の王国に----

    堂々の姿を見せていた!

  いかに高位の天使でも、これほど立派な王城に

    翼を広げたことはない。

                        (小川高義訳:p.24-5)

 

 

 

  善なる天使の住処なる

  縁の深い谷の下

  かつて華麗で荘厳なる

  輝く宮殿が聳えていた

  <思考>という名の王の国----

  そこに聳えて揺るぎない!

  熾天使も かほど美しき宮の上空に

  翼をひろげたことはかつてない。

                        (河合祥一郎訳:p.177-8)

 

 

 

  In the greenest of our vallays,

   By good angels tenanted.

  Once a fair and stately palace ----

   Radiant palace ---- reared its head.

  In the monarch Thought's dominion ----

   It stood there!

  Never seraph spread a pinion

   Over fabric half so fair.

                                (p.238)

 

 

 

ここでも、「思考」<思考>という訳語が見える。

 

しかし、これまでにも見てきたように、例えば思考の王国ってどんなイメージが思い浮かぶだろうか?うーん

 

 

何だか、狐につままれたような気もするのだけど、もっとスッキリ、すと~んと落ちるフレーズ訳があり得ないのかな。おばけくん

 

 

そこで、敢て私訳:「思考が支配する王国」

という風に補えば、分かり易いけどネ(^^)てへぺろ

 

つまり、「dominion」の持っている支配するという意味合いを込めてやればいいのだ!グラサン

 

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・26