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マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

先月に、こんな邦楽ライヴに出かけてみた。チョキ

 

 

 

 

 

  飛び出すハート「お座敷で愉しむ 音楽と舞」

 

   クローバー日時:2026年1月18日(日)13:30~

   クローバー会場:京都芸術センター 大広間

   クローバー料金:2500円(前売)

 

 

<出演>

 リボン 吉村奈尾 / 舞

 リボン 森美和子 / 笛

 リボン 中川佳代子 / 筝・三絃

 

<プログラム>

 Work Shop

  上方舞に学ぶ「所作のいろは体験」

  講師:吉村奈尾(上方舞・吉村流)

 

 Live

  ◇新春の祝い曲

   キラキラ「七福神」  柳川三味線

     地歌・端歌物・祝儀歌

   キラキラ「謙良節」  笛

     青森県民謡

   キラキラ「南部俵積み唄」 唄・笛・三味線

   キラキラ「まゆだまのうた」 筝・笛

     長沢勝俊作曲

  ◇音楽と舞

   キラキラ「黒髪」  舞 / 吉村奈尾

         地方 / 中川佳代子(地唄三弦)

            森美和子(笛手付)

 

 

ワークショップは、姿勢や客席への向きなど演者がお稽古することを聴衆も一緒にやってみるという体験で、ほぼ20分ほどの時間を愉しむ(私にとっては、背中の肩甲骨を内に寄せて下げるというのが目から鱗だった!)。口笛

 

休憩後のライヴは、新旧さまざまな音曲を取り混ぜてのプログラムで、目先が変って飽きがこないかな。

柳川三味線も久しぶりに聴いたかも。笛は、曲に応じていろんな笛を持ち替えてでさまざまな音色と音域が。流れ星

 

最後の「黒髪」は、花街での舞妓から芸妓への襟替えの期間に黒紋付姿でお世話になってるお茶屋で舞う「黒髪」と同じだということを演者のNさんに確かめたわ(実際に花街で出会ったことあるので、記憶していた)!グラサン

 

 

最後に最も新しい翻訳(たぶん現在のところ)である文庫本を紹介しておこう!チョキ

 

 

 

 

 

カバー裏には、こう紹介されている。

 

最初にポーを読んだときの衝撃や恐怖、驚きや戸惑い、さまざまなセンセーションはわたしの中に根深く残り、それらは、この巻の作品選定にも少なからず影響をあたえている。三十年も前の、若い時分の感覚ではあるが、二十一世紀の現在、全集の編者および訳者の目で、「コンテンポラリー文学」として改めて眺めてみても、やはり外せない、いま読まれるにふさわしい作品がそろったと感じている。(鴻巣友季子・解説より)

 

 

それでは、これまでに見た「アッシャー家の崩壊」から、冒頭部分とバラード第一連、フィナーレを引用してみたい!

 

 

 その年の秋のことだった。空には雲が低く垂れこめてどんよりと薄暗く、森閑としたある日のこと、わたしは朝から、ひときわ荒涼たる一帯を独りとぼとぼと馬の背にゆられてきたが、夜の闇がおりようとするころふと見れば、いかにも陰鬱なアッシャー家の館がついに姿をあらわしていた。何がどうとは言いかねるものの、屋敷をひと目見るなり、わたしは耐えがたい気鬱におそわれた。「耐えがたい」などと表したのはこういうことだ。わたしという人間は本来なら、どんなに侘しく荒んだ自然の過酷な姿を目にしても、むしろ詩情を感じて愉快にすら思うのに、この時ばかりはそんなふうに気が晴れることはなかったのだ。

                             (鴻巣友季子訳:p.301)

 

 

  われらが渓谷の緑深きに

  善き天使たちが住まう

  絢爛たる宮殿 かつてはありき

  燦然と輝く御殿が----

  こうべを聳やかす

  君主たる「思念」に司られ

  そは聳え立てり!

  麗しさで半ばにも及ばぬ宮殿にさえ

  セラフは羽根を広げた例しなき

                              (p.313-4)

 

 

 見入るうちに、この亀裂はみるみる太くなり----このとき一陣の旋風が烈しく吹きつけると----輝く月がいっきに全容をあらわにした。その荘重な館の壁が真っ二つになって崩れ落ちるのを見て、目が眩った----そう、一千もの沼湖がざわめきたつかのような、騒々しい絶叫にも似た音が長く尾を引き----じめつく陰鬱な沼が「アッシャー家」の無数の欠片を呑みこみ、むっつりと音もなくわたしの足元で口を閉じたのだった。

                              (p.329)

 

 

 

こうして見ると、いずれの部分もこれまでの翻訳よりも妥当!って感触に。。。口笛

 

特に、バラードの例の部分は、この訳だとすんなりと受け入れられるかも!グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・33

さて、アンヌ・レエ本「エリック・サティ」では、こう語られている。

 

 

 信じがたいのは、1917年5月18日にシャトレ座で「初演」された『パラード』が、その四年ほど前のストラヴィンスキーの『春の祭典』と似たようなスキャンダルを巻き起こしたことである。呆れかえって物もいえないが、(リズムや編曲の問題を根底から問いなおした)『祭典』の時は、振付けに対して野次がとんだのに対して、(ピカソが舞台装置と衣装を担当した)『パラード』では、サティが慎ましやかに編曲したささやかな楽隊が観客や批評家の非難の的にされたのである。なかでも極めつきの毒舌を振るった数人に対して、サティは中傷の葉書を送って然るべきだと考えた。それが裁判沙汰になり、証人ジャン・コクトーの熱烈な戦闘精神のおかげで、しまいには大喧嘩に発展し、被告サティには禁固八日と百フランの罰金、音楽家サティには名声という落ちがついた。 (p.105)

 

 

ストラヴィンスキーの《春の祭典》初演時の暴動

 

 

キラキラ「ハルサイ」初演時には物議を醸したけど、今やストラヴィンスキーの代表作として親しまれている。

賛否両論を惹き起こすのが芸術のもつチカラだということを常に念頭に置いておきたいものだ!拍手

 

 

   灯 on X: "バレエ・リュスの舞踊作品『パラード』(初演:1917年  パリ、シャトレ座)復元版のハイライト映像です。台本をコクトー、振付をマシーン、音楽をサティ、舞台装置と衣装をピカソが担当しています。https://t.co/wF52QwjXm2  http://t.co/VtqiZacwC3" / X

 

 

一方の、サティキラキラ「パラード」は知る人ぞ知る作品となっている。

もっともっと、親しまれる作品として人口に膾炙する時代が来ればいいけど。ウインク

 

 

 無残な後退戦になると、戦いが人々を熱狂させるというのはほんとうだ。それはまた作品評価の観点をも決定する。ある者は手放しで褒めちぎり(「『パラード』は見る者を若返らせる。われわれは声を立てて笑い、涙を流す。いまや失われた子供時代が、思春期に追放され、息の根をとめられたあの子供時代が戻ってくる。いまここに甦るのだ、あのポエジーが。このうえなく繊細なこの音楽のなかに」と、1921年になってもまだルイ・ユーリエは『フーユ・リーブル』誌に書くだろう)、また他の者は、反戦的な意図があるのではないかと疑って、「いまどき、こんなこけおどしは流行らない」とぼやく。それに「キュビスト」のピカソがいた。 (p.106)

 

 

ピカソのバレエ『パラード』|Naoko_Haga

 

 

 

 「・・・・・そのときコクトーは理解したのである。パリには芸術的右派と左派があり、この両陣営は然るべき理由もなしに互いに相手を無視したり軽蔑したりしていること、そしてこの両陣営を和解させるのは少しも不可能ではないということを。そのためにはディアギレフに現代絵画を理解させ、現代の画家たち、とりわけピカソの目をバレエの壮麗で装飾的な美学に向けさせなければならなかった。キュビストたちをその孤立状態から抜け出させ、パイプと煙草とギターと古新聞に埋もれたモンマルトルでの得体の知れない暮らしから引き出す必要があった。 (p.107)

 

 

1920年代のベル・エポックへと向かう10年代は、さまざまな芸術シーンが飛び交い、互いを仕留めるかやられるか瀬戸際で活動していた時代だ。音楽も絵画もバレエもまた詩や文学においても、時代を席巻した芸術家たちが跋扈していたのだ。てへぺろ

 

翻って日本の状況を鑑みるに、日清・日露戦争から悪夢の十五年戦争へと驀進する時期にあたる。ここには、パリのような文化的状況は覗うことができない。まあ、「大正ロマン」と称された一時期があったくらいだ。社会における芸術の位置づけは明治期以来、それほど変わっていない気がする。えー

 

 

 サティの「パラード」 : 作品情報・声優・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

 

 

 

 

 

   <エリック・サティ没後100年に寄せて!>・・・18