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マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

こんな興味深い本を図書館から借りてきた。チョキ

 

 

 

 

 本柏倉康夫 訳著「マラルメの『大鴉』 エドガー・A・ポーの豪華詩集が生れるまで」(臨川書店 1998)

 

 

先ずは、巻末の解説から引用してみたい!口笛

 

 「大鴉」

 

 ポーにたいするマラルメの絶えざる関心が初めて形をなしたのが、1875年の「大鴉」の出版である。「大鴉」はポーの残した最大の詩というばかりでなく、マラルメにとっては詩の構成の手本でもあった。彼は『落穂集』以来、幾度となく翻訳に手を入れ、出版する機会を探していた。

 マラルメ訳の「大鴉」は、エドゥアール・マネが挿絵をつけたことで有名になったが、マラルメがマネの面識を得たのは1873年のことである。この頃マラルメが住んでいたモスコー街や、1874年になって転居したローマ街のアパルトマンは、マネのアトリエを兼ねた家のあるサン・ペテルスブール街とは目と鼻の先にあり、英語教師をつとめる高等中学校からの帰りに、九歳年上の画家を訪ねては交遊を深めた。

        (中略)

 こうした事件をきっかけに、二人の間はより親密になった。翌1875年になると、マラルメは「大鴉」の翻訳を出版する計画をマネに打ち明けて協力を頼んだ。それまでにも詩人の本に挿絵を描いた経験のあるマネは、マラルメのために挿絵を描くことを快く引き受けた。画家にとっても、かねてジャポニズムのなかで注目していた手法をためす好機だったのである。マネはさっそく仕事に取りかかった。

 マネが実現しようとしたのは、北斎漫画などから学んだ自在な線の躍動感であり、そこから生まれる、写実ではなく、といって抽象でもない暗示的な絵画空間であった。マネが北斎を意識していたことは、「半獣神の午後」の挿絵の一つである「蓮」と、北斎「漫画」の同じ主題の絵とを比べてみれば一目瞭然である。

 マネは訳詩集のために、内表紙のための大鴉の頭部と、エクス・リブリス用の羽を広げた大鴉のほか、詩の本文が語る四つの情景を描いた。この合計六点は、豪華詩集を飾るべく石版で刷られたのである。

                                (p.177-9)

 

 

ふむふむ。

 

日本では、ギュスターヴ・ドレの版画を使った日夏耿之介訳「大鴉」がよく知られているけど、フランスではマラルメとマネという超有名詩人と画家による共同作業によって豪華詩集が出版されていたのだ!びっくり

 

ポーさまさまである(^^)てへぺろ

 

 

 

       レスクリード版『大鴉』

 

           LE

          CORBEAU

          

         THE RAVEN

            POEME

                                           par

               EDGAR POE

 

 Traduction francaise de STEPHANE MALLARME

 

         Avec Illustrations

                                             par

                                EDOUARD MANET

 

                                           PARIS

RICHARD LESCLIDE, EDITEUR,  61,  RUE DE LAFAYETTE

 

             1875   

 

 

 

表題紙は、このようになっている。飛び出すハート

 

 

なお、ポーが各連の最後に何度も書いた「Nevermore」は、「Jamais plus」と訳されている!グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・42

最後は、この人の訳だわ!チョキ

 

 

 本鴻巣友季子・桜庭一樹編「E.A.ポー」(集英社文庫ヘリテージシリーズ 2016)

 

 

ここに収録されているのは、リボン中里友香(1975- )訳である。

 

 

     大鴉

 

       ただそれだけ、気にするこにはあたらない」

 

       この地上では、もはや永遠に名もなき人よ。

 

       これはそういう-----気にするにはあたらない」

 

       ただ暗闇があるばかり。

 

       ただそればかり。

 

       ただの風にすぎないんだと、気にするにはあたらない!」

 

       羽を休めた。何事もなく。

 

       大鴉は、いらえたのだ「金輪際」

 

       その名も「金輪際」などという。

 

       すると鳥は述べた「金輪際」

 

       その曲名も<<否----金輪際>>」

 

       「金輪際」と低く啼く意味に思いを巡らした。

 

       ああ、彼女は金輪際、身を押しつけもすまい!

 

       大鴉は、いらえたのだ「否----金輪際」

 

       大鴉は、いらえたのだ「否----金輪際」

 

       大鴉は、いらえたのだ「否----金輪際」

 

       大鴉はいらえたのだ「否----金輪際」

 

       よもや僕の魂は浮かばれるはずもあるまい----金輪際!

 

                         (p.11-18)

 

 

 

ここで特徴的なのは、「nevermore」を「金輪際」という訳語を使用していることだ!びっくり

 

「金輪際」という語は、相当強い意味合いを持つ。訳者の工夫が窺われるけど。。。グー

 

 

なお、ドイツ語訳では、「nevermore」は「nimmermehr」と置き換えられて訳されている。グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・41

サティの初期作品を一つ聴いてみようか!チョキ

 

 

 

 

キラキラ「貧者のミサ」

 

 

 1895年に作曲。オルガンと合唱のために作曲されたが、ピアノ曲としても演奏される。

 

 オルガンと合唱のために書かれているが、ソプラノとバスの二つの声部を含む声楽が歌われるのは、第1曲<キリエ・エレイソン(主よあわれみたまえ)>のみ。あとはオルガン(またはピアノ)のみの演奏である。

 

 ついでながら、この<貧者のミサ>は、サティのノート・ブックのオリジナル楽譜では、<主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン教会のミサ>となっていて、自宅に創設して、自分自身が司祭と自称したこの教会のミサ曲として作曲されたらしいことがわかる。 (p.353-4)

 

 

 

 

 

このオルガン演奏を聴いて、どんな印象を受けるだろうか・・・?

バッハに代表されるバロック様式などのオルガン作品とは全く異なることに驚くなあ。えー

 

 

すでに没後100年を経ているから、これが現代的なオルガン演奏・作品だとどんな音楽が聴けるのかと思うと、そんな作曲家の作品をば期待したい気もするけど。グラサン

 

 

 

 

   <エリック・サティ没後100年に寄せて!>・・・20