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マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

こんな本を図書館から借りてきた。チョキ

 

 

 

 

  本ホルヘ・センプルン「ブーヘンヴァルトの日曜日」(紀伊國屋書店 1995)宇京頼三訳

 

 

強制収容所関連の本はたくさん出ているけど、私は手に取ってみたことがない。なぜかと言えば、おぞましく残酷な記録・報告には読みたいという意欲が湧かなくて敬遠していたからだった。では、なぜ、この本を読もうとしたのか?おばけくん

 

 

ブックジャケットには、こう記されている。右差し

 

ブーヘンヴァルト収容所の日曜日・・・・・それは恩寵ともいうべき、特別な日だった。日曜日だけは、午後の点呼が終わったあと仲間たちと文学や哲学を語り、詩を朗誦することができ、ブーヘンヴァルトの雪も美しく見えた。著者のセンプルンはスペインの元文化大臣。パリに亡命していた十七歳のとき、ナチスドイツへのレジスタンスに参加。十九歳だった1943年にゲシュタポに捕えられ、ワイマール近郊のブーヘンヴァルト収容所に二年間拘禁された。同収容所には、ロシア兵はじめ外国人や政治犯が多く収容されていた。そこでの「死の記憶との闘い」から生まれたのが、本書である。原書は1994年にフランスで出版され、23万部を突破したベストセラー。世界十二ヶ国で翻訳されている。フランスでは95年のフェミナ・ヴァカレスコ賞を受賞したほか、『リール』誌の「1994年度の最良の書」に選ばれた。また、同誌がおこなった「この二〇年で最良の本」に関するアンケートでは、本書が『薔薇の名前』に続き、第二位になっている。

 

 

そう、収容所においても日曜日が特別な日であったこと、そして、この書が文学的評価を受けているということが私をして手に取ることを促したのであった!口笛

 

 

少しばかり、本文から引用してみよう。

 

 突然、ある考えが浮かんだ-----この刺激的な熱い息吹き、この充血、この肉体を介してえた知への正当なる自尊を考えと呼べるならだが-----、いずれにせよ、突然、死を免れたのではなく、死を通り抜けてきたという、強烈な感覚を覚えた。むしろ、死に通り抜けられたという感覚。いわば、死を生きてきたという感覚。ひとを変えた、たぶん変容した旅から戻るように、そこから戻ったという感覚。

 ぼくは突然、彼らが恐れ、ぼくの視線を避けるのは当然だと分かった。ぼくは本当は死の世界から生還したのではなく、死を避けられなかったから。ぼくは死を逃れたのではない。むしろ、死を端から端まで通ってきたのだ。死の道を通ってきて、そこで迷い、そして自らの不在の時が流れる大きな国に戻ってきた。要するに、幽霊なのだ。

 幽霊はつねにひとを恐れさせるものだ。 (p.24)

 

 

 

強制収容所について書かれた本では、やはり哲学的・宗教的・文学的なテイストを求めたいというのが、私の要望であって、それに見合う作品の一つがこれだろうと思いを定めてみたのだわ!グラサン

 

久しぶりに現代ドイツ文学を読んだ。チョキ

 

 

 

 

著者のデニムフェルディナント・フォン・シーラッハは、1964年ミュンヘン生まれ。ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの孫。

 

 

表紙裏には、こう記載されている。右差し

 

孤独感を抱える人物の心理を端正な文章で綴った小説。イエズス会の寄宿学校での出来事や、父の死、ナチの高官でユダヤ人迫害に加担した祖父への言及などの自伝的エッセイ。ある俳句を教えてくれた京都からの留学生をめぐる、著書の死生観が垣間見えるエピソード。ドイツで死刑が廃止される12日前に斬首刑となった男の犯罪実話。ボクサーとの恋の思い出を語る老婦人や、収支報告書の改竄で告訴された男といった、弁護士として出会った人々との交流譚-----。

クライスト賞受賞、日本で本屋大賞「翻訳小説部門」第1位に輝いたデビュー作『犯罪』、映画化された法廷小説『コリーニ事件』、世界各国で2600回以上上演された戯曲『テロ』。これまで社会や人間を深く描写してきた現代ドイツを代表する作家が、多彩な手法で紡ぐ新たな作品世界!

 

 

全編は200ページにも満たないボリュームで、48のショットに分かれている。短いものは1ページ足らずで長いものでも数ページくらいで、どこで読み止めてもストーリーを追う展開ではないので、気楽に読めるわ!ニコニコ

 

 

その中から、4ページほどの<26>から適宜、引用してみたい。

 

「死はいきなり人間に訪れる。猶予を与えてはくれない」

戯曲『ヴィルヘルム・テル』の中でシラーはそう書いている。当時の彼は45歳。だがその一年後に死を迎えた。

 

エラスムスはこの町で数年暮らした。物静かで、慎重なエラスムスがあの声高なルターの代わりに人心を掌握していたら、つまり革命家ではなく中庸の人間が主導権を握っていたら、この世界はどうなっていただろう。

 

「『賢者ナータン』は戦後、この劇場で再演された最初の劇なんだ」神父はいった。神父はこの戯曲をこよなく愛していて、なにかというとその説明をした。

 

「男に必要なのは三つの事柄だけだ。勇ましさと潔さとやさしさだ。なにかをはじめるときは勇ましく、失敗しても潔くそれを受け止め、人にはやさしくあらねばならない」神父は、私が12歳のときに亡くなり、寄宿学校の礼拝堂に安置された。

 

 ギリシアのデルフォイ神殿の入口にこんな言葉が掲げられている。「汝自身を知れ」神アポローンは古代ギリシア人にその格言を授けた。老神父は最初の授業でその言葉を黒板に書いた。いま、その格言はTシャツや車のステッカーにプリントされている。しかし己を知ることなどなかなかできるものではない。自分自身を知る者などいはしない。私たちが知っているのは、自分がいつか死ぬということだけだ。それがすべて。それが私たち全員の物語なのだ。 (p.87-90)

 

 

さらに、ブレヒトやトーマス・マン「ファウスト博士」も登場するのだ。びっくり

 

 

最終章<48>の終わりくらいに、こんな文章も。。。てへぺろ

 

 

 ツヴァイクの著作は当時、何百万部も売れていた。生活には困らなかったし、イギリスのパスポートを所持していたので、身の危険はなかった。政治的発言を控えていたことも手伝って、多くのドイツ人亡命者が彼の自殺に首を傾げた。ツヴァイクが死んで一週間後、トーマス・マンは、ツヴァイクの自殺について「馬鹿げているし、軟弱で、恥ずべきことだ」と日記に書いている。

 

 トーマス・マンは勘違いしていた、と男は思っていた。すでに危機を脱した者は、他人の危機を見ようとしないものだ。男はパレルモの日時計に刻まれた言葉を読んだことがある。「みな傷つけられ、最後は殺される」それがいつになるか問題ではない。生きる義務などそもそもない。挫折の仕方は人それぞれだ。 (p.157-8)

 

 

 

それぞれに脈絡のない一つのショットの中に鏤められたアフォリズム風の叙述が一つ一つ身に染みるなあ(^^)ウインク

 

古今東西を軽々と逍遥する姿勢にしだいに曳き込まれていくわ!拍手

 

 

 

なお、巻末の酒寄進一による<訳者あとがき>には、こう書かれている。

 

 フェルディナント・フォン・シーラッハの『珈琲と煙草』をお届けする。原題は Koffee und Zigaretten で、語義どおり日本語に置き換えたが、タイトルだけあえて漢字表記にした。本文ではカタカナ表記だが、やはりタイトルは漢字のほうがシーラッハの雰囲気にしっくりくると思ったからだ。 (p.161)

 

 

何を隠そう、かく言う私は、このタイトルに惹かれて読者となったのだった!グラサン

 

日本でのサティ受容は、坂口安吾に嚆矢を。。。流れ星

 

 

コクトーの翻訳を紹介してみよう!チョキ

 

 

  定本坂口安吾全集〈第13巻〉 (1971年)

 

本坂口安吾「定本 坂口安吾全集 第13巻」(冬樹社 1971)

 

 

この全集の第13巻に所収されている中からの引用である。

 

 

 

  エリック・サティ (コクトオの訳及び補注)

 

 ある作品を愛するためには、新しい精神状態に自分を置かなければならない。他の作品によって批判してはならない。批評家達の最大の欠点は、芸術の新しい表現に興味を寄せる批評家達でさえ、その作品の価値は感じる、しかも尚、在来の表現と矛盾する点は、すべて欠点であり稚拙であると看做すことである。独創は、この距りの中にのみ存在する。それ故、どの時代にも、新精神は反撥精神の最高の形であると言ってよい。

 

    (中 略)

 

 さて、サティは嘗て、モンマルトルに最もみじめな放浪生活を送っていた。当時はワグナア全盛の時代だった。ワグナアは神であった。ワグナア全ての上に。それはサアル・ペラダンの時代----彼のサロン『ラ・ローズ・クロア』で、豪勢な、わけの分からない、不合理なお祭騒ぎが行われていた時代だった。ニイチェから『老いたる魔法使い』と呼ばれた男が、フランスを暗くし、我々の持つ新鮮さを歪められた伝説の下で窒息させた。彼の『肥った女の兵隊』が、われらの国へ侵入した。

 ある見方からすれば、(ああ!)ワグナアを担ぐこと、それが唯一の態度だった。愚人達に反抗し、ワグナアを防ぐために全力をつくす必要があった。恐らく、真実の勇気は、尚別の理由のために咆哮すべきであったろう。(ドイツでは、それをニイチェがしている) ----しかし結局、それは報酬のない仕事だった。そしてフランスに於ては、その勇気を、何人にも求めることが出来なかった。

                                    (p.144-6)

 

 

坂口安吾ゆかりの地を巡る/新潟市|新潟県観光協会公式ブログ たびきち|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ

 

 

巻末に置かれた「解題」には、こう記されている。

 

 *エリック・サティ(コクトオー訳及補注) 昭和六年五月一日発行の『青い馬』創刊号に発表。その後どの単行本にも収められていない。本全集における初収録のものである。

                                    (p.491-2)

 

 

引用者註:なお、この訳は後にジャン・コクトー「エリック・サティ」深夜叢書に収録されている。

少しばかり、全集の方が早かったというわけである。ウシシ

 

 

それにしても、今から慮るに、エリック・サティと坂口安吾とがすぐには繋がらない憾みも。。。えー

 

無頼派作家というレッテルが貼られた坂口安吾と、サティの音楽とが結びつきにくいのは何だか頷ける気がするけど。グラサン

 

日本における文学と音楽とのジャンルは互いに別々に捉えられ、同時に視界に入れることの困難さを伝えているようにも思えるなあ(この状況は現代でも変わらない・・・国民性だろうか)。。。おばけくん

 

 

 

ジャン・コクトーとエリック・サティ、坂口安吾との繋がりを再認識したわ!びっくり

 

 

 

 

この解説も一読されたし!拍手

 

 

 

 

  <エリック・サティ没後100年に寄せて!>・・・24