さて、続きを読んでみよう。
004 『作者を探がす六人の登場人物』とルイジ・ピランデルロでは、
・・・小説、物語を読み、あるいは演劇や映画を観るとき、多くの読者、鑑賞者は、フィクションであると承知しながら、その世界を事実として受け入れ、登場人物に感情移入します。
あえて、フィクションであることをフィクションの中に於いて強調する手法を<メタフィクション>と呼ぶようになったのは、そう古いことではないようです。・・・(p.34)
メタ構造を認識しようとしまいと、読者・鑑賞者は現実よりも奇異なフィクションを愉しむ(^^)
ピランデルロの戯曲作品は、いま人気があるのかどうか知らないけど、重要な視点を提供しているように思われるのだ。
005「建築家とアッシリアの皇帝」「迷路」とフェルナンド・アラバール、ではこう終わる。
・・・第三巻の解説に、アラバールの言葉が引用されています。
<時折、私は自問する、善良さとか純粋さとかいうものはそもそも警察が自分たちの利益のために発明したことばにちがいない、と。にもかかわらず、私は<<善意>>とそのライバルである<<悪意>>とを相手にして遊ぶことを、どうしてもやめられないのだ。>・・・(p.51)
006 『無力な天使たち』とアントワーヌ・ヴォロディーヌは、
・・・ごく短い、ほんの数ページの<美しい断章>四十九篇が、脈絡がないようで実は幾何学的に整然と並べられ、『無力な天使たち』を構築しています。・・・(p.52)
これは、全編を読んでみたいという欲求に駆られたなあ(^^)
こんな調子で引用を続けていくと、いくら紙数があっても足りない。さて、どうしたものか?
ということで、ここらで打ち止めにして、手に取るかどうか読者に委ねたい!
最後に置かれた 000 『水族図書館』皆川博子から、<月>に関してのアンソロジーとも思える引用を羅列しておこうか。。。
<虚空に浮かぶ黄色い仮面のように> マルセル・シュオップ
<炎と化した仮面さながら> ルイジ・ピランデルロ
<白銀の頭蓋骨だ> 佐藤春夫
<まるで髑髏のようだった> オスカー・ワイルド
<空にすえられて歯をむいている真珠色の髑髏> タニス・リー
<月は庭の芭蕉の葉の上に一ひらの菊の花びらのようだった> 川端康成
<充血した眼のような月> シュテファン・ツヴァイク
<煮とろけたレモンのやうな月> 中井英夫
<死んだものが/青い洞穴から歩み出るよう> ゲオルク・トラークル
<非難がましい大修道院長みたいな月> ロレンス・ダレル
<天空に膨張したあの瘤> イタロ・カルヴィーノ
<雨は林檎の香のごとく> 北原白秋
<眠たげなささやきのように> ステヴァン・ハヴェリャーナ
<千本の指で軒をたたき> カレル・チャペック
<革鞭のように、ひゅうひゅうと音を立て> ピエール・ロチ
<鉄の棒のように堅い大粒の雨が地面を穿ち> ジャン・ケロール
<白熱した弾丸を海中に投じているような雨の音> ジョン・ル・カレ
<白い葱をちぎって放るような雨> 林芙美子
<鮫の群れが大空をあばれまわっているようで> トルーマン・カポーティ
<叢立ち急ぐ嵐雲は、炉に投げ入れられた紫のやうな光に燃え> 有島武郎
<外は水族館になってしまい> アラン・シリトー
<水に埋もれた柔らかな海綿のように眠気に浸され> マリオ・バルガス=リョサ
<底なしの静かな淵に放りこまれた砂糖のかけらのように> レオニード・レオーノフ
<金属の液体さながらに> フランソワ・モーリヤック
<白馬にまたがる朝の日が> アイスキュロス
<海の方から布を動かしているようなやさしい風が> 井上光晴
まさに、<月>をめぐる妄想たちのオンパレードだわ!