NHK番組「ここからインタビュー」を見て、私的な演劇についての記録と記憶を辿り、少しばかり話をしてみたい(ここでは、文楽・歌舞伎などの古典演劇ではなく現代演劇)!
作家・演出家 鴻上尚史
初回放送日: 2024年1月8日
愛媛県出身の作家・演出家の鴻上尚史さん。劇団「第三舞台」を主宰するなど、長年、演劇界のトップランナーとして走り続けています。そんな中、コロナ禍で演劇界は大きな困難に直面。鴻上さんも、自分の劇団「虚構の劇団」が解散するなど、影響を受けました。コロナ禍を乗り越えようと、鴻上さんが信じたのは、演劇が持つ可能性でした。母校の早稲田大学やふるさとの愛媛県新居浜市を訪ね、これまでの演劇人生に迫ります。
鴻上尚史(1958- )と言えば、クール・ジャパン(NHK-BS)でお馴染みのパーソナリティであり、そんな顔しかよく知らなかったけど。。。
そもそも私がほぼ初めて現代演劇に接したのは、寺山修司「天井桟敷」による『奴婢訓』を見たことに端を発する。
- 作・演出 寺山修司
- 演出助手 J・A・シーザー
- 美術 小竹信節
- 制作 九条映子
- 出演 新高恵子 蘭妖子 サルバトール・タリ 若松 武 ほか天井桟敷の人々
- 1978年 東京 晴海国際貿易センター
- 1978年4月11日~25日(イギリス/リバーサイドスタジオ)
- 1979年7月3日~24日(イタリア・スポレート・スーボ劇場/フェスティバル・ドゥエ・モンディ/フィレンツェ・フェスティバル/アスティ・フェスティバル他)
- 1980年5月20日~6月2日(アメリカ/スポレート・フェスティバル/チャールストン・ゲイヤーミュニスパルオーディトリアム)
- 1980年6月19日~30日(ニューヨーク ラ・ママ劇場)
- 1980年6月19日~30日(京都大映撮影所第2スタジオ)
- 1982年7月27日~28日(第1回利賀フェスティバル)
- 1982年10月19日~11月4日(パリ・シャイヨー宮国立劇場
この記録の中で、私がみたのは、1980年の京都大映撮影所での公演だった。
客席もないだだっ広いフロア土間に座り、舞台を眺めていた時に、私が座っていたすぐ横の通路から全裸の女性が歩いてきたのだ!
全身を覆う薄いストッキングのようなものを見に着けていたとはいえ、予想もしない出現に心臓はバクバクして、目をパチクリ(^^)
まだ20代での衝撃に演劇というものは面白いなあと思って、その後は、いろんな劇団の公演を見て来た。
寺山修司(1935-1983) 野田秀樹(1955- )
次に面白かったのは野田秀樹主宰「夢の遊民社」である。
小柄でまだ若々しい野田秀樹の舞台が眼に眩しかったなあ。。。
その後「そとばこまち」や「東京乾電池」などの劇団による公演に何度か足を運んだのが今から思うと懐かしい。古都である京都ではアングラ演劇と呼ばれる雨後の筍のように次々と劇団が結成されいろんな公演を見せてくれたのだった(なお、京大西部講堂には行っていない)。
辰巳拓郎の「そとばこまち」からは、生瀬勝久や山西惇、みやなおこなど退団してテレビ・舞台などで活躍している俳優らもいる。
(上左)生瀬勝久 (上右)みやなおこ (下)山西惇
この人たちが「そとばこまち」の舞台で活躍していた当時の公演を何度か見ているので、懐かしさはひとしおだ(私が座っていた客席のすぐ横をみやなおこが通り抜けて行った時の香しい薫りが今でも忘れられない!)。
今から思えば、演劇のもつパワーなどが学生運動と相まって当時の若者の心を捉えたのだろう。
しかし、時代の早い変化とともに多くの劇団は解散し、生き残って活動しているのは少なくなった。
コロナ禍を経て、さらにそのパフォーマンスを享受する機会は減った感がある。
近年では、ごまのはえ主宰「ニットキャップシアター」の公演くらいだろうか。私が足を運んだのは。
ごまのはえ(1977- )