「第39番」に続くは、コレだわ!
やはり、以前に書いたものを引用・紹介することに。。。
疾走する悲しみ / 「交響曲第40番 ト短調」
小林秀雄の「モオツァルト」は、彼の母が亡くなった年の昭和21年に刊行された。
”母親の霊に捧ぐ”と記されたこの書物には、疾走する悲しみが裏打ちされているかのようだ。そこには、母が亡くなった悲しみが背景にあるのだろう。
ト短調シンフォニーを語る上で、疾走する悲しみという小林秀雄の言葉がよく引用されるのだが、それにしても、道頓堀とト短調シンフォニーとの取り合わせは誰にも思いつかないけど・・・
さすが小林秀雄・・・
ブルーノ・ワルターはこの作品を得意としていて、いくつかの録音を残している。
小林が聴いたのは、戦前のウィーンフィルとの30年代の貧しい音による録音だ。
*ワルター&VPO(52L)・・・戦後のウィーンに復帰したワルターが、久しぶりに盟友たちと舞台に立った演奏で、ポルタメントを思いっきり利かせた演奏は、今となっては大時代的に聴こえはするものの、ワルターの喜びが横溢している。待ちに待った聴衆たちの盛大な拍手で演奏が始まるのも感動的だ。
*ワルター&コロンビア響(59)・・・整然とした演奏で、今でもスタンダードな名盤として知られるが、ウィーンフィル盤を聴いたあとでは、なんだか野暮ったく聴こえてしまう。誠実さと野暮ったさは裏腹の関係にあるようだ。面白さではウィーンフィル盤に適わないが、ステレオ録音なので音質的には良い。
ワルターは、このあと54年にニューヨークフィルと録音している。
ここで、ト短調シンフォニーの演奏で、おそらく誰も聴かないだろうと思われる二つの演奏を聴いてみようと思う。
*マタチッチ&ザグレブフィル(71L)・・・モーツァルト演奏とは無縁に見えるマタチッチのライヴは、予想以上にいい。リズムも決して重たくならず、低弦のうねりなど利かせた名演と言えるだろう。なお、このディスクには、当日の曲目とおぼしき地響きのするような「アヴェ・ヴェルム・コルプス」も収録されているのが驚きだ。
*ケーゲル&ライプツィヒ放送響(87L)・・・マタチッチ盤を聴いたあとでは、すっきりした演奏のように聴こえはするけど、なんのなんのケーゲルらしい寒々とした温度の低い演奏だ。
マタチッチ、ケーゲルとも特にモーツァルトを得意とした指揮者ではないのだが、なぜかト短調シンフォニーの録音を残していて、それなりの感銘を与えてくれるのは、作品の性格的なところからきているのだろうか。
さて、レファレンス盤の二つ。
*マッケラス&プラハ室内管(86)・・・快適なテンポで進む演奏は、快感さえ覚えるほどだ。特に第三楽章は、まさに疾走するテンポで突き進む。迫力にも欠けていないし、イチ押しの名演だろう。
*インマゼール&アニマ・エテルナ(01)・・・こちらは、やや室内楽風の演奏だ。第二楽章の響きの美しさには聴き惚れてしまう。疾走感は、マッケラス盤の方が勝る。
というわけで、ト短調シンフォニーのセレクトは、まずは、マッケラス旧盤、それからワルター旧盤とマタチッチ盤、第二楽章の素敵なインマゼール盤ということになろうか。
(2011.12.17)
<こんなモーツァルトが聴きたい!>・・・3