こういう人もいた。
折口信夫(釈 超空)に師事して、日本の芸能の研究、とりわけ民俗学の権威として知られる。
池田弥三郎(1914-1982)
多くの著作をものしているが、こういう本もあった。
池田弥三郎「私の食物誌」(あるちざん 1989)
同じ書名で、いろんな出版社から刊行されているけど、私が見たのはあるちざん刊のもの。
「歳時記風に」というサブタイトルがついているように、食の歳時記として愉しめる。
<目次>
まえがき 池田てい子
[初春・立春(1~2月)]
[春・初夏(3~5月)]
[夏・初秋(6~8月)]
[秋・冬(9~12月)]
[食物誌の老舗・名店](塩浜玉恵)
解説(しおはま やすみ)
あとがき/奥付
本書は、昭和39(1964)年1月から12月まで、一日一話づつ「東京新聞」に連載された「私の食物誌」を原本にして「歳時記風に」抜粋・再構成したもので、底本には、昭和51年刊・ゆまにて出版B6版『私の食物誌』を使用した・・・と<あとがき>に書かれている。
著者の執筆の意図は、大正・昭和の東京の街を背景にした食の歳時記である。
この一日一話の連載があった昭和39年と言えば、東京オリンピックの年であり、首都東京が大きく様変わりした時期でもあった。
それは住民の生活も大きく転換し、また、食生活にも及んだ。
歳時記という古来からの日々の生活様式(食も含んだ)を記述したバイブルに懐かしさを込めた感もあるなあ・・・
著者の奥方(池田てい子)が、<まえがき>にこう記している。
・・・季節の食べものに旬を感じながら味あうことが出来る幸せを、ひとりになった今も、いつまでも大切にしていきたいと思う。
「うまいものは好きだが、食通ではない」
と言っていた夫の、四季おりおりの食べものと生活記録の書き綴りを、今あらためて皆さまとご一緒にひもといていくことが出来ることを嬉しく思っています。・・・(p.4)
ひとつひとつ見てゆくと、季節の移り変わりが手にとるようだけど、こういう一節もある。
<啄木忌>
・・・四月十三日は、歌人・石川啄木を偲ぶ「啄木忌」である。
啄木で思い出す歌の一つに、こういう歌がある。
ある朝の かなしき夢の さめぎわに
鼻に入り来し 味噌を煮る香よ
この味噌を煮るというのは、田楽にする味噌を煮ている、というようなことではなく、朝の味噌汁などをこしらえていることを云っているのだろう。
(中略)
啄木の歌には、彼が食べた「たべもの」の歌がなくて、口にいれるものは、酒の歌か、さもなければ、においである。
新しき サラドの皿の 酢のかおり
こころに沁みて かなしき夕
水のごと 身体をひたす かなしみに
葱の香などの まじれる夕
啄木は、食べものの香りを歌った歌人であった。・・・(p.20)
「江戸名所図会」から
また、こういう本も出しているわ・・・
池田弥三郎「酒、男、また女の話」(有紀書房 1966)
さらりと紹介だけ、しておこう!
<目次>は・・・
西鶴十話 ---物欲色欲の物語---
女の話
男の話
酒の話
<わが酒歴>から冒頭を引用しておこう。
その第一頁
・・・もし、「酒歴」---飲酒の履歴---という語があるとすれば、わたしのそれは、その第一頁を、こう書かねばならないだろう。
昭和四年八月某日、父につれられて、歌舞伎座に「唐人お吉」と「弥次喜多」とを見る。食事の時、はじめてビールをコップに二杯ほど飲む。
父はいわば大酒家でもあり、また愛酒家でもあったが、父の父は、やはり大酒家で、そのために早く世を去ったので、父のからだを心配して、祖母や母が、監視の目を光らせていたので、長らく父は、うちでは堂々とは飲めなかったらしい。・・・(p.219)
まさに蛙の子は蛙だわ(^^)
・・・年の暮もぐっとおしせまった三十日、後輩の、浅草生れの友人が訪ねて来た。こんなのがあるんだがね、飲んでみようじゃないか、というようなことから、さかならしいさかなもない、「対酒」をはじめた。---対酒などと、変な造語で申しわけないが、気のおけない友人に、むかい合っての、二人だけの酒を、わたしはそういっている。一人で飲むのが「孤酒」、親しい男と二人だけのが「対酒」である。・・・(p.229)
な~るほどね。。。
「対酒」と
「孤酒」
うまく言ったものだわ!