今回も「イニシエーション」第3章の解説です。
この章でエリザベスは、父と母を「この世での仮の両親」
と認識します。
そして、「He(彼)」という存在(おそらく過去生での師や
神聖な自己)だけが自分を完全に理解してくれる、という
潜在意識からの確信が初めて明確に語られます。
それでは、第3章の要約から。
第3章「私の両親はほんとうの両親ではない」
エリザベスが5歳頃のことです。
ある日、父親が仕事の話をしている中で、
「管理職」という言葉が出てきました。
それは、愛する父が誰かの命令のもとで働いている
という事実を意味していました。
この話は、幼いエリザベスに大きな衝撃を与えます。
なぜなら、彼女は無意識のうちに父親を「偉大な支配者」
「帝国の主」のような存在として理想化していたからです。
この出来事をきっかけに、エリザベスの中に
一つの疑問が芽生えました。
「私が『父』『母』と呼んでいる人たちは、
本当の両親ではないのではないか」
その疑問を確かめるため、彼女は母親に尋ねます。
「私はどこからやって来たの?」
すると母は、優しくこう答えました。
「愛し合う二人が『私たちに子どもを授けてください』
と神様にお祈りすると、神様がその二人のために
子どもを選び、コウノトリが運んできてくれるのよ」
しかし、エリザベスはその話を聞いた瞬間、
直感的に「これは本当の答えではない」と感じます。
「本当のことを教えたくないから、作り話で
はぐらかしているのだ」
そう確信した彼女は、
「やはり、この人たちは本当の両親ではない」
という思いをさらに強めていきました。
そして、その感覚は次第に広がっていきます。
「父も母も本当の両親ではない。
この国も私の本当のふるさとではない」
「母は私のことを知らない。
それどころか、本当の私を見てもいない」
「父も母も、私のことを親戚中に話しては、
『なんておかしな子なんだろう』と笑っていたではないか」
こうしてエリザベスは、
家族から愛情を受けながらも、
心の奥底では拭いきれない疎外感を
抱えるようになります。
姉のグレーテとも心を通わせることができず、
学校でも同級生たちとはまったく馴染めませんでした。
エリザベスには、人とは違う感覚世界がありました。
ピアノの音楽を聴けば幾何学模様が見え、
磁石には「愛」のような力を感じ、
噴水には妖精の姿を見ることができたのです。
本当は、その不思議な世界を誰かと分かち合いたい。
けれども、それを口にすると「変わった子」「奇妙な子」
と思われ、ますます孤立してしまいます。
また、興味を惹かれるものも周囲の子どもたちとは
大きく異なっていました。
同年代の子どもたちがお人形遊びや輪回しに夢中になる中、
エリザベスはまったく関心を示しません。
彼女が心を奪われたのは、
プリズムを通して太陽の光が美しい虹色へと
分かれていく様子や、
目には見えない磁石の不思議な力でした。
この頃から、エリザベスの生涯を貫く
「私はこの世界の異邦人である」という感覚が
形づくられていきます。
そして、「彼(過去生の師、あるいは神聖な存在)」だけが、
本当の自分を完全に理解してくれる――。
そんな言葉にならない確信が、
彼女の心の奥深くに静かに芽生え始めるのでした。
「イニシエーション」第3章の要約
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「本当の両親」と「本当の故郷」への目覚め
誰しも1度くらいは、エリザベスのように
「私の父と母は本当の両親ではないのかもしれない」
という疑いを幼い頃、抱いたことがあるのではない
でしょうか。
まだ、人間社会の常識にさほど染まっていない小児の頃は、
空想の世界と現実の世界が大人ほど明確に分離していません。
思考による制御も強くありません。
ある意味とても素直に自由にこの世界が見えている時期
なのでしょう。
エリザベスは、
「私の父と母は本当の両親ではないのかもしれない」
という疑問を晴らすため母親に、
「私はどこからやって来たの?」と尋ねます。
しかし返ってきたのは、
「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」という、
大人が子どもをはぐらかすようなお話でした。
エリザベスは、「真実を教えてもらえなかった」
と感じ、心の中で
「やはり、この人たちは本当の両親ではない」
という思いは確信に変わりました。
この場面を読んで、
わたしは幼い頃の自分を思い出しました。
子どもは、大人とは違う世界を見ている
わたしも近所の女の子たちと遊ぶより、近所で飼われている
「シェパードのタロちゃん」の方が心が通じていると
感じた時期がありました。
お散歩が大好きなタロちゃんは、時々脱走しては
わたしが住んでいる家まで会いにきてくれました。
そんなことを知らない母は、
大きな犬がいきなり家の中に乱入してきて、
わたしに飛びついたとき、悲鳴をあげ、
恐怖で凍り付いていました。
匂いだけを頼りにわたしの家を探し当てるタロちゃんは
凄いなと感動しつつも、
なぜ母はタロちゃんをそんなに怖がるのか、
そちらの方が不思議でした。
当時のわたしには、人間の友だちが訪ねてくるのと
同じ感覚でタロちゃんを迎えていたからです。
小児期の子どもは、このように
大人の常識の外の価値観で物事を眺めます。
だから、この世や大人たち言っていることが、
とても奇妙に見えたり、聞こえたりするのです。
エリザベスの場合は、そのフォーカスがいつも
「目に見えないもの」に当てられていたので、ますます、
周囲とのギャップが生まれ、疎外感を覚えていたのでしょう。
エリザベスが感じていた「異邦人」の感覚
エリザベスの場合、その感覚はさらに深いものでした。
彼女は音楽を聴くと幾何学模様が見え、
磁石に「愛」のような力を感じ、
噴水には妖精を見ることができました。
本当は、その美しい世界を誰かと分かち合いたい。
けれども話せば、「変わった子」「奇妙な子」と
思われてしまう。
そのため、彼女は家族に愛されながらも、
「誰にも本当の自分を理解してもらえない」という
深い孤独を抱えていきます。
この感覚は、現代ならHSPのような高い感受性として
説明される部分もあるでしょう。
しかし、『イニシエーション』を読み進めると、
それだけでは語り尽くせない背景があることが
わかってきます。
「彼」とは誰なのか
この章の終わりで、エリザベスは
「彼」だけが自分を理解してくれるという、
言葉にならない確信を抱いています。
この本の後半を読むと、
この「彼」は古代エジプトで彼女を導いた
神官プタハホテブを思わせる存在として
描かれていきます。
あるいは、すべての命の源である神性そのものを
象徴しているのかもしれません。
わたしたちは通常、転生すると過去世の記憶を
忘れて生まれてきます。
ところが、ごく稀に、その記憶の断片を幼少期まで保持
している人がいると言われます。
『イニシエーション』全体を読むと、エリザベスの人生は、
古代エジプトで始まった魂の学びの「続編」のようにも
見えてきます。
そう考えると、彼女が父親を無意識に「偉大な支配者」
と重ねていたことも、単なる幼児の理想化ではなく、
古代エジプトでファラオの娘として生きた記憶が
心の奥底に残っていたからではないか──。
わたしは、そのようにも感じました。
ユング心理学から見る「本当の親ではない」という感覚
ユング心理学では、わたしたちの心の奥(集合的無意識)
には「父親元型」「母親元型」という普遍的なイメージ
があると考えます。
もしわたしたちが現実の親に失望したり、
「どうしてこんな親なんだろう」と苦しんだりするとき、
その背景には、実際の親だけを見ているのではなく、
心の奥にある「本来の父性」「本来の母性」のイメージと
無意識に比べていることがあるというものです。
エリザベスが父親を「帝国の主」のような偉大な存在
だと信じていたことも、
この父親元型が現実の父親へ投影されていたと
考えることができます。
ところが、父親が上司の命令のもとで働く一人の部下
にすぎないことを知った瞬間、
幼いエリザベスの心の中で大きなズレが生じます。
「私が思い描いていた『父』とは違う」
この違和感は、心の奥にある「本来の父性」の元型
のイメージと、目の前の現実とが一致しなかったため
に生まれた戸惑いだったのでしょう。
母親についても同じことが言えます。
「私はどこからやって来たの?」
という人生の根源的な問いに対し、
「コウノトリが運んできた」という答える母では、
エリザベスの心が求めていた母の元型には届きません
でした。
彼女が求めていたのは、「私は何者なのか」という
深淵な哲学的な問いに応える答えだったのです。
ユング心理学の視点に立てば、
「この人たちは本当の親ではない」という感覚は、
心の奥にある父親元型・母親元型と現実との間に
生じたギャップを表していると考えることができます。
一方、『イニシエーション』は、その違和感を
さらに深いところまで描いています。
エリザベスは、「本当の両親」や「本当の故郷」を
求める思いに刺激され、かつてその問いに応えて
くれた師の存在や「魂の源」を無意識に思い出そう
としていました。
ユングの元型理論では、この体験は
「集合的無意識にある父母の元型」として、
エリザベスは、そのさらに奥にある「魂の記憶」
として描いているように、わたしは感じました。
二つの視点は対立するものではなく、
人間の心を異なる角度から照らしているように思えるのです。
わたしなりに整理すると、このような三層構造になります。
第1層 集合的無意識(元型)
ここには、人類共通の「父性」「母性」の設計図があります。
まだ個人的な経験は何も加わっていません。
純粋な父親元型
純粋な母親元型です。
第2層 個人的無意識(潜在意識)
ここで現実の体験が加わります。
例えば、
・父は怒りっぽかった
・母は過保護だった
などこうした経験が積み重なり、
元型の上に「私にとっての父」「私にとっての母」
というイメージが形成されます。
元型に色付けされた像ですね。
第3層 自我(意識)
そして普段、わたしたちが
「うちの父はこういう人」と思っているのは、
実はこの二層目まで含めたイメージです。
つまり、現実の父をそのまま見ているのではなく、
元型+経験+感情
というフィルターを通して見ています。
第1章 社会から貼られたラップ
・常識
・教育
・社会的価値観
これらの<ラップ>よって、本来の自己が覆われています。
第1章では大人たちがエリザベスに貼り付ける
<ラップ>の違和感によって
「目に見えない本質的な存在としての自分」
に気づく目覚めの章でした。
第2章 家族から貼られたラップ
親の価値観
しつけ
家庭環境
「私はこういう子」
というセルフイメージが作られていきます。
本や人間関係で顕在意識を刺激する外の世界を旅すること、
ライオンの夢など、潜在意識を刺激する内なる世界を旅する
ことなどで、貼られた<ラップ>の違和感に気づき、
本来の自分を思い出していく章でした。
第3章 元型に貼られたラップ
ここではさらに深いところへ降ります。
父親元型
母親元型
という普遍的な設計図の上に、
現実の父母との経験が重なって
「私にとっての父」
「私にとっての母」
という像が出来上がる。
エリザベスは、その<ラップ>に違和感を覚え始めます。
イニシエーションとは、
一枚一枚ラップをはがしていく儀式なのかもしれません。
社会が貼ったラップ。
家族が貼ったラップ。
文化が貼ったラップ。
個人的体験が貼ったラップ。
それらを一枚ずつ取り除いていく。
すると最後に残るのは、
「父」でも「母」でもなく、
もっと根源的な存在。
ここでわたしはユングとエリザベスの違いが見えてくる気がします。
ユングなら、最後に残るのは元型(アーキタイプ)です。
しかしエリザベスは、その元型さえ超えたところに神(大いなる源)
を見ています。
「本当の両親」とは誰なのか
幼いエリザベスの「本当の両親」への追求は、
「自分という魂はどこから来たのか」という問いへの答え
を無意識に探していたのではないかと、わたしは思いました。
つまり、「本当の故郷はどこなのか」
「私という魂を生み出した源は何なのか」という、
人類が古くから問い続けてきたテーマです。
だから、この章は決してエリザベス一人だけの物語
ではありません。
わたしたちも人生のどこかで、
「ここが本当に自分の居場所なのだろうか」
「もっと懐かしい場所があった気がする」
そんな説明のつかない感覚を覚えることがあります。
それは、魂がかつていた「本当の故郷」を、
ほんの少しだけ思い出している瞬間なのかもしれません。
子どもの純粋な視点だからこそ見えていた世界。
その違和感こそが、『イニシエーション』という壮大な
魂の旅の、静かな第一歩だったのでしょう。
次回も「イニシエーション」の解説を予定しています。
Noteも更新しました。こちらも読んでいただけたらうれしいです!
わたしのサロン、リブラライブラリーでは、
あなたの心のしくみをホロスコープで解説し、


