※iphone関係の記事がかけていないのは、最近外出の遊び先に連れて行くことが多く、あまりipadなどに触らせる機会が無いからです。
強いて言うなら、iphone5。
買い替える予定は今のところないのですが、今使ってるiphone4Sを祖父母にwifi専用として譲れるのなら、
そちらに回すという手も無駄ではないなと思ったりします。
ちょうど何か書こうと思ってたら、ぴったりな記事を見つけまして。
努力する奴ってマゾ?努力の報われる確率なんて1割にも満たないだろ
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-25317.html
よく、「社会に出たら結果がすべて」と言いますが、これは8割あたってるとは思えど、それがすべてだとは思えないんですよね。
「業績」っていうと、よく営業マンの売り上げ棒グラフ みたいなのを思い浮かべますが。そういうのばっかりではないです。
例えば、社会人1年生の新人だとします。
まだまだ右も左もわからぬ状態ではないでしょうか。
さて、上司や先輩から仕事のノウハウを教えてもらっているとします。
ここで、メモもせずに、フンフンと聞いているだけで、「努力してます」「がんばってます」とか言っても、「覚える気ある?」って言われますよね。
というか、言われている新人をよく見ます。
この場面で「努力する」というのは、記憶力をフルに発揮することではなくて、聞いたことを確実に記録し、復習・確認ができるようメモすることや、わからないことを質問すること、実際にやってみること、などです。
ようするに、「気持ち」や「やる気」というのは、頭の中や心意気の問題ではなくて、「自分はどうしたらよいか」を考えて行動する、ということまで含まれるということです。
別の簡単な例で。
明日、どうしても大事な会議が早朝からあり、必ず遅刻せずに行かないといけないとします。
ここでの「努力」や「やる気」は、
事前に議事を確認して資料を作ること、
問題点や疑問点を洗い出してリスト化しておくこと、
遅刻をしないように、目覚ましを2個つける、
家族に起こしてもらえるようお願いする、
電車のトラブルなどに備えていつもより早く起きる、
前日は遊びや飲み会を控え、はやく就寝するようにする
・・・・などなど。
これらがあって、「ああ、あいつはやる気があるな」と評価されるわけです。 結果はともかくとして、そういうしっかりした人は結果もいずれ伴ってくるもんです。私はそう思います。 仕事を安心してまかせられそうだし。
なので、繰り返しになりますが、「自分はやる気があります。がんばります」と思ってるだけ、言ってるだけでは本当の意味の努力ではないわけです。
簡単な例ばっかり挙げますが、例えば飛び込みの営業さんが、事前に自分の会社のHPや業績、商品などをかなり詳しく知っていれば、「この人はうちの現状をわかったうえで、自分の会社が役に立てると思って営業に来ているんだな」と少しは思います。
そういう地道なつみかさねが「営業努力」の一例だと思います。
また、若い人の「将来の夢」なども、そうです。
最初に挙げた記事のように、「努力してもどうせ運」「努力すれば夢はかなうなんて嘘」と言ってると、それが現実となります。
「努力している人」というのは、「その夢をかなえるには、自分はどういうスケジュールでどう成長していけばよいのか」を理解し、それに向かって山を登るようにステップアップをしていける人です。
小中高生でも、「将来の夢」があれば、どうすればその職業になれるか調べることができますし、それがわからなければ、だれに聞けば教えてくれるのか、という事は推理して実行することができるはずです。
それをせずに「プロ選手になりたい」「漫画家になりたい」と言ってるのは、将来の夢というより、夢想です。
漫画家といえば。
中高生時代に、「将来漫画家になる」と言っていた知人がいましたが、結局1本の完成作も出さないまま、大学卒業時には夢をあきらめていました。
本気で目指している人は、他人に吹聴するまえに、描きまくって、見てもらって、修正する、ということをしているはずです。
小説家とか画家とか歌手とか料理人とか声優とか映画監督とかプロゲーマーとかピアニストとか。
そういう、資格もなんにもいらない、自分が宣言すればプロとしてやっていける職業というのは、
裏を返せば、お客さんやパトロンがいないと成立しない厳しい世界の仕事なんですよね。
ところが、「字が書ける→小説ぐらい描ける」「ギター弾ける→ミュージシャンになれる」みたいに、ビジネスの世界の競争に参加しないまま、なんとなく思ってしまう。
専門学校などの責任も大きいですが、こういう罠にはまってしまいがちなので、注意。
話がそれました。努力は裏切らないという言葉をきちんと説明してみる、でした。






