※iphone関係の記事がかけていないのは、最近外出の遊び先に連れて行くことが多く、あまりipadなどに触らせる機会が無いからです。
強いて言うなら、iphone5。
買い替える予定は今のところないのですが、今使ってるiphone4Sを祖父母にwifi専用として譲れるのなら、
そちらに回すという手も無駄ではないなと思ったりします。


ちょうど何か書こうと思ってたら、ぴったりな記事を見つけまして。

努力する奴ってマゾ?努力の報われる確率なんて1割にも満たないだろ
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-25317.html



 よく、「社会に出たら結果がすべて」と言いますが、これは8割あたってるとは思えど、それがすべてだとは思えないんですよね。
 「業績」っていうと、よく営業マンの売り上げ棒グラフ みたいなのを思い浮かべますが。そういうのばっかりではないです。


 例えば、社会人1年生の新人だとします。
 まだまだ右も左もわからぬ状態ではないでしょうか。
 さて、上司や先輩から仕事のノウハウを教えてもらっているとします。
 ここで、メモもせずに、フンフンと聞いているだけで、「努力してます」「がんばってます」とか言っても、「覚える気ある?」って言われますよね。
 というか、言われている新人をよく見ます。
 この場面で「努力する」というのは、記憶力をフルに発揮することではなくて、聞いたことを確実に記録し、復習・確認ができるようメモすることや、わからないことを質問すること、実際にやってみること、などです。

 ようするに、「気持ち」や「やる気」というのは、頭の中や心意気の問題ではなくて、「自分はどうしたらよいか」を考えて行動する、ということまで含まれるということです。


 別の簡単な例で。
 明日、どうしても大事な会議が早朝からあり、必ず遅刻せずに行かないといけないとします。
 ここでの「努力」や「やる気」は、
事前に議事を確認して資料を作ること、
問題点や疑問点を洗い出してリスト化しておくこと、
遅刻をしないように、目覚ましを2個つける、
家族に起こしてもらえるようお願いする、
電車のトラブルなどに備えていつもより早く起きる、
前日は遊びや飲み会を控え、はやく就寝するようにする
・・・・などなど。
 これらがあって、「ああ、あいつはやる気があるな」と評価されるわけです。 結果はともかくとして、そういうしっかりした人は結果もいずれ伴ってくるもんです。私はそう思います。 仕事を安心してまかせられそうだし。

 なので、繰り返しになりますが、「自分はやる気があります。がんばります」と思ってるだけ、言ってるだけでは本当の意味の努力ではないわけです。


 簡単な例ばっかり挙げますが、例えば飛び込みの営業さんが、事前に自分の会社のHPや業績、商品などをかなり詳しく知っていれば、「この人はうちの現状をわかったうえで、自分の会社が役に立てると思って営業に来ているんだな」と少しは思います。
そういう地道なつみかさねが「営業努力」の一例だと思います。


 また、若い人の「将来の夢」なども、そうです。

 最初に挙げた記事のように、「努力してもどうせ運」「努力すれば夢はかなうなんて嘘」と言ってると、それが現実となります。
 「努力している人」というのは、「その夢をかなえるには、自分はどういうスケジュールでどう成長していけばよいのか」を理解し、それに向かって山を登るようにステップアップをしていける人です。
 小中高生でも、「将来の夢」があれば、どうすればその職業になれるか調べることができますし、それがわからなければ、だれに聞けば教えてくれるのか、という事は推理して実行することができるはずです。

 それをせずに「プロ選手になりたい」「漫画家になりたい」と言ってるのは、将来の夢というより、夢想です。



 漫画家といえば。
 中高生時代に、「将来漫画家になる」と言っていた知人がいましたが、結局1本の完成作も出さないまま、大学卒業時には夢をあきらめていました。
 本気で目指している人は、他人に吹聴するまえに、描きまくって、見てもらって、修正する、ということをしているはずです。

 小説家とか画家とか歌手とか料理人とか声優とか映画監督とかプロゲーマーとかピアニストとか。
 そういう、資格もなんにもいらない、自分が宣言すればプロとしてやっていける職業というのは、
裏を返せば、お客さんやパトロンがいないと成立しない厳しい世界の仕事なんですよね。
 ところが、「字が書ける→小説ぐらい描ける」「ギター弾ける→ミュージシャンになれる」みたいに、ビジネスの世界の競争に参加しないまま、なんとなく思ってしまう。
 専門学校などの責任も大きいですが、こういう罠にはまってしまいがちなので、注意。



 話がそれました。努力は裏切らないという言葉をきちんと説明してみる、でした。








 立場を明らかにせずに書くのは難しいんですが。
 いちおう日本人として。

 例えば、「富士山は日本のものではない、昔から我々のものだ」って他国の人から言われたら、「何言ってんの?」って思いますよね。

 でも、その根拠って、「だってそう聞いてきたから」「そうにきまってるから」「常識だから」というようなもんじゃないですか? 一般的には。

 そういうことです。
 そこの国の国民が、生まれてからずっと「これはそうだ」と教育されてきたら、そう信じるのは当然なんですよ。

 だから、話は平行線。

 「主観的な歴史」の刷り込みが確固たるものならば、客観的事実をいくらつきつけても、自分の中の常識はそうそう上書きできるもんでないと思うんですよ。

 だから、裏をかえせば、教育っていうのはすごいなぁ、恐ろしいな、ということと、国をあげてそういう教育政策をとってこれるところというのはしたたかだなぁ、という事を考えたりします。

 国民1人1人が幸福かどうか、というのは正直わかりません。
(そういう情報が流れてこないですから)

 例えば、今は日本国中あらゆるところで日本政府をこきおろしますが、「じゃあ日本なんかもう見捨てるわ、国籍捨てるわ」、って話にはならない。
 国土、国民、文化としての「日本」と、「日本政府」はイコールではないんですよね。

 でも諸外国から見て、日本政府は日本の外交を代表しているわけですが。



 話を戻しますが。

 読んだことないのであてずっぽですが、小説とか映画のシナリオで
「じつは地球はおまえたちに貸してただけで、もともと我々が住んでたところだから、今すぐ返せ」
って言ってくる宇宙人の話とか、ありそうじゃないですか。

 だから、領土問題について、「〇千年前はうちの土地だった」とか、理屈はなんとでもつけられるんですよ。
 日本の戦国時代とかそんなもんじゃないですかね。「我に正義あり」という理屈がつけば、簡単に戦は起こってしまうものなのかな、と。
 「近くて仲良し」の国って理想ですけど、国境線を引いているということは、引かれた理由があるわけなんですね。

 ある領土領海に他国の軍隊が駐屯(進軍)してきて、それを排除しない場合、諸外国から見たら、「自分の国を守る気がない」と思われても仕方がない、そういう世界観であることを認識する必要があるように思います。

 短絡的に、「だから軍事力、防衛力が必要だ」という主張になると、もう話は終わってしまうんですが。そういう簡単な話ではないんですね。


 「話し合い」でスムーズに済むこと、解決したことってありますかね。とも絶望的に思ったりします。



http://kasakoblog.exblog.jp/18770366/

が、話題になっているようですが。
こんな話に賛否両論が付くことが悲しい。

けど、自分は「ベビーカーで乗る側」なので、そっちのポジションで考えてしまうのはしかたがないことはご容赦願いたい。

その上で。

とにかく、「格差」「断絶」の象徴のような気がしてしかたがない。
(ただし格差という言葉はニュアンスとして出しただけで、未婚と既婚が格差だとは私は考えていません)

だって、自分も同じ感覚だったから。
仕事から疲れて、電車で寝ようと思ってるのに、近くのベビーカーからひっきりなしに子供の泣き声が。
うるさいなぁ。とりあえず次の駅で降りてくれたらいいのに

ぐらいの認識でしたよ。

だって自分と関係ない世界にいる人なんだもの。

だから、ベビーカーだろうがアキバで買ったプリンタの箱だろうが、「デカくて邪魔になる異物」であることには違いがなく、それがネットという「本音を出せる場所」で噴出してしまったのは、現実としていたしかたないかな、と。

ここでモラルとか言っても、その本人のモヤモヤは晴れないでしょうに。



ただまぁ、「公共機関」なんですよ。

どこかのネットで、「近所の公園に、ヨソの地区の子連れの奥さんが来て、迷惑」みたいな書き込みを見たことがあるけど、その時の感覚に似てる感想。
公園になわばりなんか勝手につくんなよ、と。

もちろん、「妊婦だから、子連れだから大事にしなさいよ」って態度でこられるとムカっとくるわな。それは。
でもそれって一部の人でしょ。

それよりも、東京とかの殺人的なラッシュアワーに乗らないといけない事情があるのがかわいそうというか、悲しい。

そうそう、そうなんですよ。今って、こどもができたら、車が必要なんですよ。欲しいから買うんじゃないの。荷物が増えたりこどもをつれて移動するのに必要なの。
車を持つことがステータス、とか思ってるのは自動車メーカーと、高級車乗ってる人だけじゃないですかねぇ。
車の維持費(本体価格、各種税金、ガソリン代、駐車場代)とかと考えて、タクシーとか公共交通機関のほうが安かったら、そっちのほうを選択するにきまってる。
カーシェアリングがもっと便利になれば一気に普及するはず。





と、考えて。

ラッシュアワーで、くたくたになるのは通勤族もおんなじなんだなぁ、ということに気づく。
じゃあやっぱり、「苦労を共有するわけではなく、自分よりさらに弱者(や自分にとって邪魔な人)を叩く」
という構図があるわけか。

それだけギスギスしてんだろなぁ。今の世の中。




今日亭 昭和町店

http://tabelog.com/osaka/A2702/A270203/27002736/
今日亭

ここがねぇ、いくつか店舗があるんですが、全部ファンで、見かけたら寄ってしまいます。

まずお蕎麦が、すごく良い香り。

しかもセットメニューが豊富で、お得。

温かい、冷たいと、 お蕎麦、うどん  が選べるのが良い。


うちの奥さんは、カツとじ丼の定食(冷たいそば) がお気に入り。

たまーにカツの味が変わる時があるのは、仕入れ先が変わったりしたんでしょうかね。

値段のわりに量も多く、こどもに取り分けてあげるのにもぴったり。
もちろん子供用のお皿をくれたり、家族連れにも優しくてばっちりです。

自分が好きなのは、夏季限定のすだちそば。
さっぱりです。
普段は、釜飯定食の、暖かいお蕎麦を選びます。

あと、蕎麦の実のアイスクリームとか、お茶もおいしく、冷たいお蕎麦を頼むとそば湯がついてきます。

平日のランチメニューはさらにお得。

なんというか、外食だけれども飽きのくる味ではないので、週1回ペースですぐ通ってしまいます。
とりあえず夏バテだけど、冷たいお蕎麦でもすすりにいくか、みたいな。

日常的に使えるお店です。

今日亭

今日亭/そば

今日亭/かまめし

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育児ネタ。

こどもの言葉を覚えるスピードにはかなり差があると聞いていますが、うちのこどもはわりあい早く話せるようになったよう

です。
というか、話せるようになってから、意思の疎通ができなくて困った、という記憶があまりありません。
毎日動画を撮っておけばよかったな、とも思います。

合ってるかどうかわかりませんが、うちのやってきたこととか本を読んだことを書き残しておきます。


①レスポンスを大事にする
 「あー」とか「うー」とか、まったく言葉でなく、ただのうめき声のようなものでも、
「うん」「そうなの」「そうよねー」「そうかそうか」
とか、とにかく、こどもがなにか発したら、それに対して返事をしてあげること。
これはかなり効果があったように思います。
たぶん、声を出すことで親がよろこぶ、相手をしてくれる、という経験を積めるのがいいんだと思います。


②いちいち訂正しない
ことばが間違ってようが、むちゃくちゃだろうが、直さない。
まずは話すことが楽しいということを徹底的に身につけることが大事なので、正しい言葉を使わせようとは思わない。


③幼児語は使わない
特に意識してなかったですが、「まんま」とか「しーしー」とか、そういう言い方はあまりしませんでした。
なので、せっかく覚えた言葉を直す必要もなく、混乱もなかったように思います。


④リズムのある言葉、音楽、遊びをする
これは保育所が既に取り入れてると思いますので、家で積極的にする必要もないのですが、こどもはリズムや音程のあること

ばを覚えるのはすごく早い。
からだをうごかしながらする遊びなら、なおさらです。
幸い、先人の知恵で、こういう「おうたあそび」はたくさんあるので、楽しみながら身体の部位の名前や数字を覚えるための歌がすぐみつかります。


⑤童謡などをよく聞く
これはipadなどが大活躍です。
そういうアプリもありますが、youtubeにもたくさんあります。
こどもむけの童謡は、音程もはっきりしていて、テンポが遅いので、こどもがまねしやすいのです。
これも先人の知恵ですね。


⑥悪い言葉は無視
これはちょっと大きくなってから。
保育園などで、あまり使ってほしくない汚い言葉を覚えてきたりします。
いちいち叱ったりすると、こどもはおもしろくて、ふざけて使い続けたりします。
なので、汚い言葉は、相手をしない。意味がわかってても、その言葉にたいするレスポンスはしない。
これで、「この言葉を使っても面白くない」と思ってくれると、自然と使わないようになります。


⑦絵本を活用する
これは自分も最初は気づきませんでした。
絵本は書かれてる文字をそのまま読むのではなく、絵の中のものや人を指さして、
「これは何?」「これは何色?」「なんで泣いてるの?」とか、こどもに聞いてみることで、こどもの語彙数や理解度が手に取るようにわかります。
しかも「せいかい!」とか、褒めてあげると喜びます。


⑧過保護にしない。最後までしゃべらせる
こどもは指をさしたり、ジェスチャーで、こちらに意志を伝えようとします。うちはそのままそれには乗りません。
例えば、玄関で足をバタバタし始めたら、「はいはい、靴ね」と、こどもの意思を先読みしてしまいがちですが、そこはぐっと我慢して、「何してほしいかちゃんと言わないとわかんない」と、すっとぼけます。
お菓子などを見つけて手を伸ばしてきても、「ほしいときはちゃんとお願いしないとね?」と、話すことを促します。


 ざっと書いてみましたが、これをやってるからどういう子供に育つか、というのはまったく自分でもわかりません。
 でも悪いことではないと思って気づいたら実践しています。



 育児をしていると、生まれた日から、不眠との戦いが始まります。
 特に母親は。

 父親だって、夜はちゃんと寝たい。明日の仕事に響く。

 うちはなんとか落ち着いてきましたが、娘はあまり眠りが深いほうではないので、結構よなかに起こされたりします。

 さてタイトルの安眠ですが、自分は

「睡眠アプリ」
http://itunes.apple.com/jp/app/shui-mianapuri/id473917761?mt=8 

というものをいれています。

 これは、雨音などの音の中に、睡眠効果のある音が流れるというアプリです。

 正直、安眠にそんなに効果のある音があるかどうか、よくわかりません。
 (余談ですが、一時期エンヤのCDが安眠効果があると話題になりましたね)

 それよりも私が重宝しているのは、「雨音」や「小川」といった、ホワイトノイズのような雑音です。

 これが、ちょっと外が騒がしくても、うまいぐあいに相殺してくれる。

 昼休憩にちょっと仮眠、とかいう時にも重宝しています。





 あと1つ、私の入眠の味方が、「pod cast」です。
 これは、itunesから、ネットラジオのようなものをダウンロードできる仕組みです。
 かなり多くの種類(DJ)のラジオ番組があり、短い時間なので、
「いろいろ悩みや考えが浮かんでしまって眠れない」という人にはオススメです。



 安眠ではないですが、「あなたが寝てる間に」も使ってます。
http://itunes.apple.com/jp/app/anataga-qinteru-jianni/id374208989?mt=8 

 これの面白いのは、寝てる時の、寝言とか寝相の悪さを記録してくれるのです。
 ほかにもいろいろ機能はあるのですが。
 例えば、音楽再生して、徐々に音量を小さくしていく、とか。
 自分はこれで、自分の歯ぎしりの音というのを初めて聞きました。
 びっくりしました。


http://www.hotpepper.jp/strJ000502549/
酒楽食 灯家
和歌山県和歌山市狐島 298‐1 
南海・東松江駅より徒歩15分。
営業時間・定休日
18:00~24:00 (L.O.23:30)

定休日:無休


なぜか食べログに無いので、ブログに直接書きますが。

2か月ほど前、夫婦2人でうごける時間があったので、ネット検索して突撃。

開店直後の平日だったので、あまりお客さんがいませんでした。

カウンター席にはばかでっかいスクリーンがあり、ジブリアニメ(ラピュタ?)が流れていました。
サッカー観戦とかできると盛り上がりますね。

というわけで、座敷っぽい席もあり、テーブルもあり、カウンターもあり、という居酒屋でした。
子連れ入店はやっぱり厳しいかな?
デートか歓迎会とかで使えるかも。

まず焼き鳥から。
久しぶりなのもあって、いろんな串があるだけで楽しい。
味はたぶん普通。
格別! っというのではないです。
(自分はカウンターで焼きたての焼き鳥をおやじがおいてくれるようなのが好きなのかも)


でも珍しい料理もいくつかあって、食べてみたい気にはなる。
(メニューブックは料理の写真つき)

牛タンの燻製は、噛めば噛むほど良い味がでてきて、お酒好きにはたまらないだろうなと思いました。

値段はちょっと高めかなぁ、というのは家族で行ったからかも。
なかなかオシャレな雰囲気の居酒屋でした。




"スマホ依存" スマホユーザーの5割が「スマホを操作できないと不安感じる」…30代女性は6割近く
http://himasoku.com/archives/51738501.html 

スマホ・タブレットが子どもに与える影響が怖い
http://matome.naver.jp/odai/2134664157540564101 

んー 最近こっちの話をよく見聞きします。

ちょっと前まで、携帯電話の電磁波が脳に与える影響についてでしたね。

「与える影響」と、「どの程度で影響があるのか」は、きっちり統計をとらないとわからないんだけど、
その前に情報がひとりあるきしてしまうという。


例えば、数十年前に「テレビばっかり見るとバカになる」みたいなのが流れましたが、
ああいうやつです。きっちり検証できないもの。

で、それはそれとして、やっぱり気になります。こどものブルーライトの影響。

というのは、教育機関でipad等を使った教育が実装できるかどうかにとって大きな影響を与える問題だからです。

6年間や12年間、下手すれば働き出すまでずっと、
悪影響があるかもしれない機器を眺め続けるというのは、
やっぱり心配ですねぇ。

例えば、「PCのディスプレイを50年間見続けたらどういう影響があるか」
なんていうのは、今現在、われわれが実験して調べているようなもんです。

結果が出るまで手をださない、というわけにはいきませんが、
きっちり検証していただきたいもんです。



で、うちは、特にきっちり決めてるわけではないですが、
1日30分か長くても1時間ぐらいしか、こどもはipadを使っていません。

こういうブログ書いていますが、家には本もぬいぐるみも積み木もおもちゃのピアノもあります。
保育園でも運動場で走り回ってますので、
ipadのやりすぎで成長に悪影響がある、というような実感はまったくないですね。

で、親のほう。

確かに「食事中にiphoneさわるの辞めたら?」とか言われて反省するときあります。
「〇〇食べてます」って書き込みがいちばんリアルタイムでおもしろいので。

でも、twitter中毒っていう人はいるみたいですね。
フォローが増えれば増えるほど、自分が書いたものにリアクションがたくさんきて、やめられなくなってくるという。

それは注意しないといけませんねぇ。

性差もあると思います。がっつり情報交換したい男性にくらべ、
情緒や感性、感情を共有したい女性。
twitterやlineはおおいにもりあがるのではないでしょうか。

子育てを、「報酬と罰」という、アメとムチ、報酬で釣ることについて。

ある本には、「報酬で人を釣ってなにがわるい。100点取ったらごほうびをあげるよ、と言ってきかせていたら、そのうち98点しかとれなかった時に悔しくて自分で勉強始める」
「そもそも社会人の労働に対する賃金も、同じ仕組みじゃないか」
といった主張のものを見かける。

まったく別の文章で、「報酬と罰で人間をコントロールすると、だんだんエスカレートしていくことになり、小さな報酬では満足しなくなる」
「いつまでたっても内的報酬(モチベーション)が育たない人間になってしまう」

という、両極端の主張を見て、判断に困ってしまう。


ただ、それぞれの背景が違う。
前者がビジネスマン、後者が教育学の分野での主張。


自分としては、こどもがタブラ・ラサ(白紙の状態)で、こどもは天使であり、こどもは生まれながらに善性をもっている、とか、こどもの考えを受け入れ、自分で決めさせることで自主的に成長する、という考え方には懐疑的。

いや、白紙というのは受け入れる。
でも、放っておいても正しい方向に成長する、という考え方はちょっと楽観的すぎる。

だって自分の子供のころの記憶をさぐってみると、わかるじゃないの。そんなこと。

終わった後のソフトクリームが嬉しくてプール教室に通っていた思い出とかばっかりだよ。自分。

「こどもの自主性にまかせる」というのは、親と子供の価値観とか成長度がバッチリ合った時に機能すると思うんだけど、すべての家庭で通用するとは到底思えないなぁ。

もちろん、ある程度、例えば思春期だとか成人だとか、区切りごとに親や学校のルールから一度離陸する必要はある。
けどそれも、社会のルールを身に着けてからの話。

ただ、あらゆる行動を報酬と罰でコントロールするのが良いのかというと、決してそういうわけでもない。
そこらへんの距離感は子供がおおきくなるほど難しくなるんだろうけど、倫理観や宗教観を育てるのは小さい時からの繰り返しが必要だから、我が家では適度に信賞必罰は行っていくつもり。
それに「報酬」というのは何も金銭とか食べ物だけじゃなくて、「コミュニケーション報酬」も含まれる。褒めたり喜んだり頭をなでたり、ということだって立派な報酬になる。

褒めて伸ばそう。







http://togetter.com/li/365010
これ読んで。
なんで結婚が目的化するのか不思議でしかたないけど。


 今でこそ奇跡的な神の配慮によって、自分は既婚だけど、かつては自他共に認める非モテであった自分が、非モテ脱出方法を考える。

ぜんぶひっくるめて総括すると、「セレンディピティの恩恵を受けられる行動、思考法を手に入れる」。これにつきる。
セレンディピティとは偶然訪れる幸運なめぐりあわせのこと。
現状を変えるには、体質を変えるしかない。



①「非モテの逆はモテ系」 という幻想を捨てる。
モテてもしかたないでしょ。というかそんな男、一部だけでしょ。
自分と気が合うかも、と思ってもらえる人と1人出会えたらラッキーなんだから。
あくまでふつうの男性、ふつうの社会人を目指すのが吉。


②ひがまない。ねたまない。バカにしない。見下さない。恨まない。
一人暮らしで地味に生活してると、いつのまにか自己が肥大化して、他人を見下す思考がにじみでてきたりしちゃいます。
これを振り切る練習をしよう。
例えば、自分に興味がないアイドルとか趣味に没頭してる人を見ても、「熱中できる趣味があっていいなぁ」と思ったり。
「なんで暑い中、そんな混雑してるところに行くんだ。バカじゃねぇの?」と思ったりするのを辞めたり。


③いったん、「異性と付き合うこと」「結婚すること」というゴール設定を捨てる。
前書いていることとかぶるこけど、モテるためにあれこれがんばろう、という意識をいったん捨てよう。
でないと、オシャレ系の雑誌とか自己啓発系の本を買って、へんな方向にいってしまったりします。


④オシャレじゃなくて、まず清潔を目指す。
いきなりオシャレになるのは難しいし、こんなのオレじゃない、という自己葛藤がハンパない。
手始めに、まずデカい百貨店の紳士服売り場にいきましょう。
そして適当にウロついていると、店員さんが声をかけてきます。
店員さんは30代~40歳ぐらいの女性がおちついて話できて良いような気がするけど、選べないなら別にこだわらない。
で、「休日に遊びに行く時の服装をあまり持っていなくて」みたいな事を相談しましょう。
選んでくれた服を見て、気にいらないなら、正直に「ちょっと自分には派手すぎるかも」とか、思った感想を伝えます。
ひやかしだと思われなければ、あれこれとみつくろってくれます。相手はプロです。 遠慮せずに自分の要望を伝えましょう。
当然、他の服屋さんよりお金はかかりますが、まずこれが第一歩。
買った服を着て、他の店に行ってみたら、こんどは上着とか靴とか選んでもらいます。
そうやってどんどんバリエーションとか季節ものを増やしていきます。
あと、スーツと靴もケチらずに季節ごとに買い替えたほうがいいかも。


⑤ネット(パソコン)に向かう時間を減らす。
休日に2ch見て1日が終わる、とか最悪。


⑥今まで興味のなかったものに手を出してみる
例えば映画とか、登山とか、小説とか、演劇とか、美術館とか、コンサートとか、グルメ旅とか、カメラとか、スポーツとかダーツバーとか。
とにかく、今まで自分の視界に入っていなかったもの、やってもいないでバカにしていたことなど、手当たり次第にチャレンジしてみよう。


⑦職場の人、友人からの遊びの誘いは断らない
これ重要。
とにかく参加。酒が飲めなくても参加。話すのが苦手でも参加。
ただし宗教やマルチなどの勧誘系には注意。



⑧まじめにきっちり働き続ける
これも重要。
30代、40代になるほど、働き続けてきたということはプラスに働きます。社会人としての実績が評価されます。
専門的に深いことをやってきたとしても、転職を続けて広く仕事をしてきたとしても、それは同じ。
ワイルドで破天荒な男性がモテるのは10代まで。


⑨仕事関係の知り合いを増やす
商工会議所の講演会とか、産業なんとかプラザとか、見本市とか、研修会とか、とにかく参加。
知らないなら、そういう接点を今まで作ってこなかっただけのこと。
ほとんどの集会はそういう時に名刺交換とか懇親会とかあります。
もちろん、本来の目的は、異業種交流とかビジネスの人脈を広げること。
なんだけど、お酒が入ると打ち解けられる人も多し。
特に年配の偉い人になるほど、相手が話をしてくれるので、興味をもちつつ聞き手に回ればよし。




以上、①~⑨を1年ほど繰り返して自分自身の意識に変化があるか感じること。
ここまでは準備運動。



で、最終的にどういう人間になることを目指すかというと、
友人に「こいつは他の友人(や異性)に紹介しても大丈夫」
と太鼓判を押してもらえる人になること。

ただこればっかりは表面的に装うことはできないので、これまでの生い立ちや人生観や人間関係に大きく左右されるかも。
非モテ脱出のための演技を続けていても絶対ムリ。それは完全に忘れて、忘れたころにそういう話がまわってくる、ぐらい気の長い話だから。

でも「ちょっと暗くて口下手でオタクだから人付き合いが苦手だけど、根はマジメ」というタイプなら、
異性はともかく同性の友人からの信頼は得られてるはず。




そこまでいけば、男性も女性も、「いい人がいたら紹介してもらいたいけど、まったく知らない人と会うのは怖いから、友人から紹介してもらいたい」という人がいるはずなので、そこの「紹介される友人」の候補にあがる人間になれればいう事なし。

で、友人の紹介というのは、妙な人を紹介すると自分自身も信用を失うので、ほんとうに紹介したいと思う人しか選ばれないことが多いので、ようするにそういう人になろう、という話。


この話のロジックは、「恋愛関係でも友人関係でも仕事関係でも、人に好かれる条件の人間性というのはそんなに変わりませんよ」ということだけなんだけど。
ようするに婚活とかムダだと個人的には思うわけ。



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で、ここから愚痴というか雑感ですが。

婚活してる人の「ふつうの人がいい」の「ふつう」っていうのは、「世の中の平均的な人」と思ったら、どうやらそうではないらしい。
つまり、「身長が平均以上」「収入も平均以上」「容姿も平均以上」「性格も平均以上」 なわけ。
その減点法の考え方はどうなの? と思ったりするわけで。
フィギュアスケートの審査員じゃないのよ。人間関係は。

あと、これは多分に自分の若いころの妬みや嫉みが混じっているかと思いますが。
飲み会とかで、男女がいるとするじゃないの。
「あ、この人恋愛対象に成りえないわ」って判断するのはやくね?
んで、明らかに「恋愛対象なるかも異性」と、会話や表情が違うの。
で、たまに「私は誰とでもやさしく接する性格の良い人ですよ」って風を作るために、すみっこにいる人に声かけたりする。

あ、すみっこにいたのは私です。

っていうか妄想ですね。うん。そうにちがいない。

あ、でも、「結婚されてますか?」「お仕事は何されてますか?」って聞いて回ってる人を見かけた。
年齢があがるほどあからさまになってくんだろうか。