子育てを、「報酬と罰」という、アメとムチ、報酬で釣ることについて。
ある本には、「報酬で人を釣ってなにがわるい。100点取ったらごほうびをあげるよ、と言ってきかせていたら、そのうち98点しかとれなかった時に悔しくて自分で勉強始める」
「そもそも社会人の労働に対する賃金も、同じ仕組みじゃないか」
といった主張のものを見かける。
まったく別の文章で、「報酬と罰で人間をコントロールすると、だんだんエスカレートしていくことになり、小さな報酬では満足しなくなる」
「いつまでたっても内的報酬(モチベーション)が育たない人間になってしまう」
という、両極端の主張を見て、判断に困ってしまう。
ただ、それぞれの背景が違う。
前者がビジネスマン、後者が教育学の分野での主張。
自分としては、こどもがタブラ・ラサ(白紙の状態)で、こどもは天使であり、こどもは生まれながらに善性をもっている、とか、こどもの考えを受け入れ、自分で決めさせることで自主的に成長する、という考え方には懐疑的。
いや、白紙というのは受け入れる。
でも、放っておいても正しい方向に成長する、という考え方はちょっと楽観的すぎる。
だって自分の子供のころの記憶をさぐってみると、わかるじゃないの。そんなこと。
終わった後のソフトクリームが嬉しくてプール教室に通っていた思い出とかばっかりだよ。自分。
「こどもの自主性にまかせる」というのは、親と子供の価値観とか成長度がバッチリ合った時に機能すると思うんだけど、すべての家庭で通用するとは到底思えないなぁ。
もちろん、ある程度、例えば思春期だとか成人だとか、区切りごとに親や学校のルールから一度離陸する必要はある。
けどそれも、社会のルールを身に着けてからの話。
ただ、あらゆる行動を報酬と罰でコントロールするのが良いのかというと、決してそういうわけでもない。
そこらへんの距離感は子供がおおきくなるほど難しくなるんだろうけど、倫理観や宗教観を育てるのは小さい時からの繰り返しが必要だから、我が家では適度に信賞必罰は行っていくつもり。
それに「報酬」というのは何も金銭とか食べ物だけじゃなくて、「コミュニケーション報酬」も含まれる。褒めたり喜んだり頭をなでたり、ということだって立派な報酬になる。
褒めて伸ばそう。