先日、ある本を読んだことで結構な衝撃を受け、ようやく今日になって衝撃・・・闇から抜け出した(笑)

その本を自分のことのようにして読み、自分を振り返った。


それでいくつか気づいたことは

・幼いころの過去をまだ再現している面があり絶望感が強い

・自分が作った思い込みによって、人の親切が受け取りにくくなっている

・アクセルを踏みつつブレーキをかけている面がある(ずいぶんブレーキの強さが弱くなったが、確かにまだある。でも、それによって何が起こっているのかを感じることが出来ているし、少しずつ、向かうべき方向へ、最善へと向かっている)

・私の場合は、誰かとの関わりを見つめ、それがある程度まで終わったら、残っているのは、やはり自分の中にいる自分自身である(それ以外もあるけれど)

・一つではなく複数を一気に捉える自分がいる(そのことによる影響も分かりつつある)

・自分の過去が積み重ならず、過去が消えていく(それがとても苦しかった)


過去や現在の自分がどんななのか、改めて感じたため、衝撃を受け、しばらくの間、闇の中にいた。

そんななか、体の調子が悪くなり、今朝は夢をみた。
その夢で、過去していた仕事で失敗してしまった自分を、認めることができ、それらによって、このところの闇から抜け出せた。


そして今思うのは

・たとえまだ絶望感があっても、とことん、そこと向き合っていて、昔に比べたら絶望感の出方が随分、変わってきているし、生きよう!としている自分がいるということ。それは諦めていない!

・自分の持っている質は、それ以上でもそれ以下でもなく、持っていない質を持とうとしても、疲れるだけということ
だから、自分は自分でいい!ということが再確認できた。自分の質をまず自分で認めて大事にしてアリにすること。

・やりたくても今は難しいなと思うことは、無理のない範囲から始める。
出来ないことは出来ないと認める。認めれば場合によっては出来る方へ進むことがあったり、助け舟が出たりする。

・自分の気持ちを自分で認めてアリにする。ただひたすらそれに尽きる。

・「リーダー」とひとくくりで言っても、大まかに分けると、現象に対するリーダーと精神に対するリーダーがいて、私は特に精神に特化していて、現象に対しては、まるで分からないし、見えていない面がある。
私には分からないことがあるが、一方で分かることもあり、分かることを活かしていきたい。

・不完全でもいい。私が私として、その質を最大限生かしながら生きて行こう。

人のエネルギーは、もともと男性も女性もなく、ただエネルギーとして存在している。

エネルギーの交流は、
それぞれの海が、ころんころんと混ざり合って分かれて一つになって、また分かれていき、言葉では表し切れない、交わり方をする。

何とも気持ちが良い。

場合によっては、その場にいる見えない存在たちも全部がハッキリと存在し、
それらも混じって交流が始まる。

意識だけの世界や、意識が存在しやすい世界では、それはとても簡単な事で、自分として存在し合って交流するだけで良い。全く言葉もいらない。
言葉よりも的確で、奥が深くて、まろやかで、鋭い交流。

人のエネルギーは膨大な情報のような個性のようなものを持っているので、少し違うエネルギー同士がそれを感じあい、触れ合い、刺激し合い、交わっていく。


ただ、この地球でそれをしようとすると、今のところ、ちょっと難しくなる。

まずこの地球は、波動が荒い一面を持っている。

交流しようとする人が、内と外にある、その荒さを受け止め、アリにしておかないと、足元を取られてしまうというのか、肉体レベルが置き去りになって、意識だけの交流になってしまう。

地球では意識だけで存在しているわけではない。肉体も一緒に交流する必要がある。

分離している肉体や3次元での自分を、意識と統合させた上で、エネルギー交流をすれば
そのレベルでエネルギー交流をしている人のいる、その空間は、ただ存在してるだけで
地球の未来の素晴らしい可能性を示唆する空間となり得るのだ。

全存在がハッキリと存在し、共鳴し合う空間。

今も全存在は、存在しているが、一部は控えめに存在しているというのかな・・・
どうしても、本来の姿を現しにくくなっているのが現状だ。

でも、それらの存在たちを含めて全てがハッキリと存在することにより生まれる空間は、全部がその存在らしく存在し合って、非常に心地の良い共鳴が自然に起こる。

その人らしさを超えたその人らしさが生まれ、
人それぞれ違っている個性が、心地よく交わり交流し共鳴し合うことで、さらにまたそれぞれの存在が、それぞれらしくなっていき、新しいものがどんどん生まれていく。


私が生きている間に、少しでもいいので、この地球でその空間を感じたい・・・。

何故、本質だけを表現する存在が、この世では生きにくくなっているのか???
自分が存在することで、見えるものも見えないものも、周りのすべてがハッキリと存在していることを感じる。
自分が存在していなければ、見えるものも見えないものも感じにくくなってしまう。

地球に生きていくならば、前者で生きていきたい。
「もっと真剣に向き合え!」という激しい怒りが私の中にあった。それは、向き合わないと誰にも認められないと思っていたから。認められないと、自分らしく生きられないと思っていた。

誰かに認められたい気持ちは、人には大なり小なりあるものだし、それによって喜びも生まれるだろうから、持っていていいものだと私は思っている。
しかし、認められないと、自分らしく生きられないかというとそうではないんだ!ということに気付いた。

認められないと、自分らしく生きられないのではなく
認められようが、認められまいが、自分らしく生きれば、その結果の一つとして、認められていくのだ。

そう。自分らしくのびのび喜びで生き続けて、その結果、認められない筈はない!
まずは自分が心からそれを認めれば、誰かにも認められるだろう。それを認めてくれる人が現れる筈!

自分らしく生きた結果の一つとして、認められていく!