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Ribi's room

きまぐれな独り言・・昭和のかおり

台風19号が現在日本を縦断中!


今、豪雨が降ったり止んだりしていますが、明日の朝までこんな感じでしょうか?幸いうちのそばには河川も山や崖も無い平らな所なので、怖いのは風や雷です。でも豪雨の音は激しくて今晩は睡眠不足になりそうです。(たぶん爆睡!)



昔、台風が来ると言うとなんだかワクワクしていました。大雨が降る景色を窓から眺めるのが好きでした。そして、学校も休校になったりもしました。

しかも家は団地の3階なので、風で揺れることもなかったし、水が押し寄せることもなかったので、台風の怖さなんて全然感じたことはありませんでした。でも強いて言えば、今みたいな良いサッシじゃ無くて隙間風が入ってきたと思います。



「岸辺のアルバム」と言うドラマが高視聴率で話題になったことがありますが、実は私が高校の時の水害を題材にして作られたドラマなんです。ドラマの最後に家が川に飲み込まれていくシーンがあるんですが、実際の映像を使ったそうです。


私はこのドラマは見ていません。

不倫とか家族崩壊とかがテーマだったみたいですが、最後に家が壊れて流されていく様と、家族がバラバラになる様を重ね合わせて描いているそうで、本当に家や大事な家財道具や思い出が一瞬のうちに流されて失った方々に対して失礼だと感じたからなんです。


だって私・・・本当に家が流れて行く所をこの眼で見たんです。高校の教室からよく見えました。高校は多摩川べりに建っていたんです。


台風は大丈夫そうなので、とりあえず学校に登校してみました。電車も遅れてやっとの思いで着いて、教室に行くと生徒はまばらで、先生方が「すぐ帰りなさい」と会う生徒会う生徒に言って歩いていました。

立派な家がいとも簡単にえぐり取られるように川へ引き込まれていきました。上空を無数のヘリコプターが旋回し、自衛隊のヘリコプターは校庭に降りたり飛んだりしていました。人々の救出だけでなく、川の水の流れを是正する為の作戦本部だったようです。


私も速攻家に帰りました。その後すぐ電車が止まったみたいでギリギリセーフでした。


後で聞いたら、担任の先生のお宅の前まで水が来ていて、近所のクラスメートがリアカーで先生の荷物を運んだんだそうです。

そして、学校に通う生徒のお宅も持っていかれたそうで、みんなでカンパしたのを思い出しました。


人間の力は自然の猛威の元では本当に無力です。予測や予防は出来たとしても、100パーセントの備えにはなりえません。

今回の台風で被害が最小で済みます様お祈りいたします。











明日は体育の日だけどなんかピンとこないんです。


やっぱり体育の日は10月10日がいいなぁ~


長年染み付いたカレンダーって簡単に変えられないんです・・・

この歳になると特に・・・


1964年10月10日の東京オリンピックが体育の日創設のきっかけだったから、日にちはいじらないで欲しかったし、何よりこの日は取って置きの晴れ日なんだから運動会もスポーツ大会もこの日がいいんだってばぁ~~~~って叫んでもほとんどの人は知らないですね。


案の定明日は雨ですよ!10日なら晴れでしたよ!!

ブツブツブツブツ・・・・・・・



東京オリンピックの年の幼稚園の運動会は、先生達の力が特に入っていたように思いました。ちょうど年長さんで、色んな係りの仕事も頼まれ充実した最後の運動会になるはずでした。


運動会を控えたある日、いつもは父の運転で祖父母の家に行くんですが、その日は母の運転で遊びに行きました。決して母の運転が下手ではないけれど、必要に迫られなかったので余り運転はしていませんでした。いつも通る大きな交差点で突然何かがぶつかり車が急停車しました。横に座っている父は額から血を流し、運転している母は顔が真っ赤に血で染まり、足が挟まったみたいで痛い痛いと泣いています。私はと言うと・・・全くの無傷・・・

あっという間に救急車が来て母を救助してくれて怪我した父と救急車に乗っていってしまいそうになりましたが、父が気がつき私も救急車に乗せてもらいました。

母は足を激しく痛め手術して、下前歯をハンドルで強打したので全部折れてしまい結果的に入れ歯になりました。父の切り傷は最初は包帯ぐるぐる巻きでしたが、じきに絆創膏になりました。

救急車の中や看護婦さんの話が今でも耳に残っています。

「あんな凄い事故なのに何でこの子は無傷なの?」

私にも分かりませんが、見えない力に守られたのかもしれません


母の入院中は、団地の近所の人や伯母にお世話になって何も問題なく過ごしていましたが、私の運動会があるではありませんか


張り切って頑張るはずの運動会が、母の来ない寂しい運動会になってしまい、相当落ち込んでいました。いよいよお母さんと踊るダンスの時間が来てしまいました。そこへ私の大好きな大野先生が近づいてきました。

「先生と踊ってくれない?」


割と大人びて母が入院しても泣かないで頑張っていたけど、さすがにみんながお母さんと手をつないでいるのを見た時は泣きそうになっていました。誰かが

「いいなぁ~大野先生と踊れて~」って言ったような気がしてから私もそうだ、私はみんなが踊れない大野先生を独り占め出来るんだと、気分を変えて思いっきり楽しく踊りました。今でも写真を見ると、楽しそうな様子が伺えますが、本当はね・・・


すご~~~~く・・・・さびしかった・・・・



事故の原因は交差点でタクシーが信号無視して突っ込んできてうちの車の運転席側にぶつかったと言うことで、母は青信号を普通に運転していただけなのに被害にあったんです。まったくヒドイ話です。






昨夜は風邪を押して高校1年3組のクラス会に行ってきました。

行くまで少し悩みましたが、行ってよかったです。


42人中2人亡くなっていてビックリしましたが、5・6人消息不明がいて、今回出席は16名。先生も遠路来ていただきました。

それにしても月日の流れには一人も逆らえず、いい年取っていました。特に男子!誰だかわかりません!まあお互い様で、きっと向こうもそう思っているんでしょうけどね。女子は老けたとは言えすぐ分かりましたが・・・名前が・・・お互い出てきません。うんうんうなずきながら名前を確認しながら納得していきました。


出てくるお食事より話に夢中になり、ドリンクは進んでどれだけ飲んだかわかりません(風邪なのに)


会半ば、簡単な近況紹介をしました。

悪だった男子が良いお父さんになってバリバリ頑張っている様子

クールで近寄りがたいオーラを出していた男子が、今は大阪のノリのビジネスマンになった様子

割と寡黙だった男子が4人の子供のお父さんだった様子

悪っぽかった女子が孫を今か今かと待つ様子

立派な会社を起業して社長さんをしている様子

大学教授をやりながらコンサートをやるテノール歌手兼指揮者

一番小さい子で高校受験の子供がいる男子


そして先生が最後に、「新任で本当にいい先生じゃなくてごめんなさい。でもあの頃のあの学校は凄くいい学校だったんだと言うことと、生徒も自由の中のびのびとしていていい子ばかりだった事は忘れないでいてください」って言いました。

そうだったかな~?って思っていたら隣に座ってた男子が、「あの頃のあの学校の生徒は頭がいいのに勉強しなかったんだよ」

的を得たり!私もそう思う!もう少し勉強に力を入れていたら少しは違った人生があったかも・・・・なんてね~。


あっという間に3時間過ぎて、二次会に行こうと盛り上がり私も最初は少しだけ行こうと思ったけど、風邪気味なのを思い出し帰って来ました。ほとんどの女子が帰る中、高校の時無口でお人形さんみたいだった女子が「二次会行こう!行こう!」って叫んでるのをみて少し引きました。

そして、近いうちに女子会を何処かでランチを食べながらやろうと帰路盛り上がりました。


今日も風邪が良くならずゴロゴロ寝てばかりいましたが、クラス会は行ってよかったと思いました。