明日は体育の日だけどなんかピンとこないんです。
やっぱり体育の日は10月10日がいいなぁ~
長年染み付いたカレンダーって簡単に変えられないんです・・・
この歳になると特に・・・
1964年10月10日の東京オリンピックが体育の日創設のきっかけだったから、日にちはいじらないで欲しかったし、何よりこの日は取って置きの晴れ日なんだから運動会もスポーツ大会もこの日がいいんだってばぁ~~~~って叫んでもほとんどの人は知らないですね。
案の定明日は雨ですよ!10日なら晴れでしたよ![]()
ブツブツブツブツ・・・・・・・
東京オリンピックの年の幼稚園の運動会は、先生達の力が特に入っていたように思いました。ちょうど年長さんで、色んな係りの仕事も頼まれ充実した最後の運動会になるはずでした。
運動会を控えたある日、いつもは父の運転で祖父母の家に行くんですが、その日は母の運転で遊びに行きました。決して母の運転が下手ではないけれど、必要に迫られなかったので余り運転はしていませんでした。いつも通る大きな交差点で突然何かがぶつかり車が急停車しました。横に座っている父は額から血を流し、運転している母は顔が真っ赤に血で染まり、足が挟まったみたいで痛い痛いと泣いています。私はと言うと・・・全くの無傷・・・
あっという間に救急車が来て母を救助してくれて怪我した父と救急車に乗っていってしまいそうになりましたが、父が気がつき私も救急車に乗せてもらいました。
母は足を激しく痛め手術して、下前歯をハンドルで強打したので全部折れてしまい結果的に入れ歯になりました。父の切り傷は最初は包帯ぐるぐる巻きでしたが、じきに絆創膏になりました。
救急車の中や看護婦さんの話が今でも耳に残っています。
「あんな凄い事故なのに何でこの子は無傷なの?」
私にも分かりませんが、見えない力に守られたのかもしれません
母の入院中は、団地の近所の人や伯母にお世話になって何も問題なく過ごしていましたが、私の運動会があるではありませんか
張り切って頑張るはずの運動会が、母の来ない寂しい運動会になってしまい、相当落ち込んでいました。いよいよお母さんと踊るダンスの時間が来てしまいました。そこへ私の大好きな大野先生が近づいてきました。
「先生と踊ってくれない?」
割と大人びて母が入院しても泣かないで頑張っていたけど、さすがにみんながお母さんと手をつないでいるのを見た時は泣きそうになっていました。誰かが
「いいなぁ~大野先生と踊れて~」って言ったような気がしてから私もそうだ、私はみんなが踊れない大野先生を独り占め出来るんだと、気分を変えて思いっきり楽しく踊りました。今でも写真を見ると、楽しそうな様子が伺えますが、本当はね・・・
すご~~~~く・・・・さびしかった・・・・
事故の原因は交差点でタクシーが信号無視して突っ込んできてうちの車の運転席側にぶつかったと言うことで、母は青信号を普通に運転していただけなのに被害にあったんです。まったくヒドイ話です。