相変わらずの遅い更新でごめんなさい
会社を辞めてしばらくしたら、長年の(?)勤めの疲れが出たのか、緊張の糸がプッツリ切れたのか、
はたまた妊婦特有の症状なのかは分かりませんが、かなりヘタっていました
少し動くと、もうしんどくなってダメなんです。ぜぃぜぃ、はぁはぁという感じです。
貧血気味なのかもしれないですね~。
ところで、この間、「金曜日のスマたちへ」という番組で安藤和津さんのドキュメントを見ました。
俳優の奥田瑛二さんの奥様であり、エッセイトでもあり、とても華やかな感じの方だと思っていましたが、
なんと20年以上も、実のお母さまの介護をされていたんですね。
お母さまは和津さんを女手ひとつで育て上げた、とてもしっかりした方だったようです。
でも60歳くらいから言動がおかしくなり、悪魔のようになってしまいました。
長年、どうしてなのか分からなかったのですが、なんと悪魔の正体は脳腫瘍でした。
(主治医に何度相談しても、老人とはそういうものだ、キミの我慢が足りない!
といつも説教されていたらしいです。
そういう決め付けをした主治医がどうか…と思いますが)
20年以上にも及ぶ壮絶な介護人生で、よっつも見ていて何度も涙しました
親子の愛が痛いほど伝わってきて…。
最後に飯島愛さんがコメントしていましたが、
「正直、私には出来ないと思います」と率直に言ったのが印象的でした。
あれは確かになかなか気軽に「わたしも出来ます」とは言えないくらい大変な介護です。
介護されている方は、きっとたくさんいると思います。
きれいごとでは済まされないつらさがあることでしょう。
これから日本はどんどん高齢化社会になるし、こういうことは誰の身にも起こることだとも思います。
和津さんのお母さまは、とても立派な方だったみたいですが、
若いときから人に頼ることだけは嫌ったそうです。
わたしは、「だからこの方は、人様の愛を受け取らざるを得ない病気になったんだな」と思いました。
時々書いていますが、愛は与えるものであり、受け取るものでもあります。
どっちも大切な経験です。
人様の愛を素直に受け取れない方がたくさんいます。
人に迷惑をかけたくない、という思いが強いのかもしれませんが、
それはプライドの高さ故でもあります。
金八先生じゃないけど、「人」という字は、お互いを支えあって成り立っています。
「人間」とは”人の間”と書きます。
人の間で愛を受け取り、与え、もまれ、磨きあってこその「人間」なのです
愛は与えるだけでは不充分です。
素直に受け取ってください。
自力で受け取れない人は、魂が「絶対に受け取らざるをえない方法」を用意しています。
それは時に、人様の介護(愛)なしでは生きることができない怪我や病気という形で現れます。
これも大切な「人生のしくみ」なのですね。
今回の和津さんのお母さまは、自らの人生のしくみで【介護を必要とする後世を送る】と同時に、
【そのお陰で和津さん一家の絆が深まり、子供達も思いやり深い子に育つ】というギフトをくれました
このように天はつねに一石二鳥以上をプレゼントしてくれます。
だからどちらが良いとか悪いとかではありませんが、
できれば今、健康なうちに、人様の愛を受け取れるようにしたいですよね
わたしも結婚して5ヶ月間、夫ぐるぐるのお母さんに週3日お料理を作ってもらい、存分に愛を受け取りました。
そのおかげで、ぐるぐる家のお料理の味を知ることができ、とても良かったです。
会社を辞めた今、よっつもとうとう主婦として独り立ちしましたが、5ヶ月間頂いたお料理をヒントに作っています。
もちろん実家で長年母に作ってもらっていたお料理の味とのミクスチャーで、とても幅が広がりました
それと同時に、一生忘れることができない感謝の礎ができました。
お料理を受け取るたびに、お母さんとのコンタクトも増え、たくさんの深い話もすることができ、
お互いを深く知ることができて、もっともっと好きになりました
嫁姑という感覚はまったくありません。大切なソウルメイトだと思っています
これが頑なに、「気を遣うし、お母さんにも悪いし、自分でなにがなんでも頑張ります」
とわたしが言っていたらどうでしょう。
しんどいだけだし、お母さんの好意を無にすることになります。
お互いをより深く知るチャンスも逸することになるのです。
愛は美味しく有難くいただくものです
「人に喜ばれること」
に一番幸せを感じるのが、わたしたちの本能です。
だったら、素直に愛を受け取ることも、相手を喜ばせることにつながりますよね。
相手はわたしたちを喜ばせたことで、心の底から幸せを感じるのですから
受け取るシアワセ。
与えるシアワセ。
どっちも経験しつくしてくださいね
最後に
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