自殺について私が思うこと | スピリチュアル・エレガンス

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~無意識的生き方から意識的生き方へ~

前回の記事のコメント欄で、「自殺は罪だと思います」というご意見がありましたので、そのことについてのわたしの思いを書きたいと思います。
(コメント欄ではおさまらなかったので、記事としてアップすることにしました。)


世の中には様々な考え方の人がいると思います。
また人それぞれ考え方、感じ方が違うのは至極当たり前の話だと思います。
自殺を「罪」だと捉える方もきっと大勢いらっしゃるでしょう。


ただよっつは、自殺することしか選べなかった人の気持ちを思ったとき、それが罪だと裁くことはできないのです。
自殺を「罪」だと思う方は、死にたくなるほどいじめられたことがありますか?お金に困ってどうしようもなくなったことがありますか?
よっつは、そこから逃れるために自らの命を絶つことしか選べなかった人の気持ちをまず想像してしまいます。
また、子供がいじめられて自殺してしまった人に向かって「お子さんは罪を犯しましたね」と思うことは出来ません。
ご遺族が大切な人を救えなかったことで自らを憎むことになったとしたら、それはその人たちの人生のシナリオです。
今世のテーマなのかもしれません。
同じ環境でも、そうならない人はたくさんいます。


わたしのヒーリングスクールの友人のお父様が数年前に自殺しました。
丁度ヒーリングスクールに通っていたときだったのですが、彼女のお父様は「来世はスピリチュアルに生きる、と決めているので、人より早く今回の人生を終わらせた」ということでした。
そして早いサイクルで生まれ変わり、前回の人生の宿題にもう一度チャレンジする、とのことでした。
彼女のお父様からのメッセージは「お前たちを本当に愛していた。ありがとう」でした。
そして亡くなられて一ヶ月後には虹の見える美しいところで、とても穏やかにされている、ということでした。


自殺は罪だと捉え、救えなかった自分を憎みながら生きるのと、自殺は彼(彼女)のシナリオだった、もう光の世界に帰っていて幸せにしているから自分も顔晴って生きよう!、という考え方、どちらをとってもOKだと思います。
またどちらが正しい、というのはないと思います。
自分が創造した世界が展開するわけですから。


友人はスクール中に啓子先生やたくさんのスクール生にそういったメッセージをもらい、心から癒されていました。

「救われた」と泣いていました。
そして一年後には電撃結婚し、赤ちゃんにもめぐまれました。
赤ちゃんはお父様の一周忌と数日違いで生まれてきました。


最愛の人を自殺で失った人がいた場合、大切なのは、その人がどれだけ早く立ち直るか、だと思います。
自殺は罪だと説くのと、そうではない、と話すのと、どちらがいいでしょう。
どちらが正しいか、ではありません。
どちらがその人を癒せるか、です。


わたしがいつも迷ったときの判断基準にするのが、「愛から発動したものか、恐れから発動したものか」ということです。
人の感情・行動とは大局で見ると『愛』から発動したものと『恐れ』から発動したものしかないそうです。
このことは「神との対話」に書かれています。


わたしは愛から発動したものを常に選びたい、と思っています。


今、生きている人を癒し、立ち直らせたいと思ったとき、「正しいこと」なんてなんの意味もないのです。
これは自殺に限ったことではありません。
日々の些細な出来事すべてに共通して言えることだとよっつは思います。
「正しい」ではありません。
「そこに愛はあるのか?」です。(by 「ひとつ屋根の下」のあんちゃん(古っ))


わたしは元々直感的に自殺を罪だとは思わなかったのですが、このヒーリングスクール中の友人のお父様の自殺で改めて「この世に罪はない。罪とは罰したい心が生むものだ」と思いました。
これはあくまでわたしの見解です。


わたしは思います。裁きたい心が「それは罪だ」という思いを生むのではないでしょうか。
わたしは人を裁くことなんか、とてもじゃないけれどできません。

そんなに偉い人間ではないからです。
そして人はとても弱い生き物だからです。(同時にとても強くもありますが)
しかしまだまだ弱い立場を余儀なくされている人もたくさんいますよね。


どうしてなのでしょう。
まずはそういう立場を経験したかった、という魂の計画があると思います。
もしかしたら負のカルマの返済のためかもしれません。


めぐまれない環境から、見事に人生を創造し花開くパターンも21世紀波動で生きれば当然あると思います。
わたしが常々書いているのは、まさにそういうことです。


でもまだまだスピリチュアルを知らない方たちは、どうしようもない運命に翻弄され、浮き上がることができないでいるのも事実です。
だからこそ、今、スピリチュアルがこれだけ広まりつつあるのです。
ライトワーカーたちがそれぞれの場所で水面下に活動し、光を伝えているのです。


どうすることもできなかった弱さを、「弱い、それは逃げだ、それは罪だ」と言うことは簡単です。
でもわたしは心からそう決め付けることができません。

そんなことは、これっぽっちも思いません。



これがわたしが「自殺を罪だ、という考え方は受け取れない」と書いた理由です。
受け取れないだけであって、何が正しいのかは分かりません。

またそんなこと突き詰めたいとも思いません。

ただ、自殺は罪だ、という考え方は、一体誰を救えるのでしょうか。

自殺したい人の救済になるとでもいうのでしょうか。



自殺された方が、何度も生まれ変わりを重ね、より光に近づくであろうことだけは分かります。


わたしの弟は、直近の過去世でレイプされて自殺しました。
今世でも、「人が怖い」という性質を持っていますが、絶対に自殺だけはしない、と決めて生まれてきています。
一度経験したことは、もう繰り返さない、と決めてこれるのです。
絶対に自殺しない、と言い切れる人は、きっと過去世で経験済なのかもしれません。
彼の場合、何も成し遂げなくても「自殺せずに生き抜くだけで今世のテーマはクリア」だそうです。



必ず自分で自分のカルマを刈り取るしかないのです。
良いカルマも悪いカルマもすべてです。
だから他人が「罪」だと決め付けて罰することはできない、とよっつは思っています。
重ねて書きますが、「罪」だと思う気持ちは「罰したい心」が生むものだとわたしは思っています。
いや、そうじゃない、と思う方も当然いらっしゃるでしょうが。


以上、すべてわたしの今の思いです。
違う見解の方がいてもしかりだと思います。
ただ、私の思いを書きました。



色んな考え方があるけれど、どんな人だって血と汗と涙を流しながら生きている。
みんな尊い。
誰もが懸命に生きていて美しい、と思います。


自殺が罪だという考え方が悪いとは決して思いません。
自分と違う、という事実があるだけです。

ただ違うだけ。あなたはあなたの思う道を歩けばいい。

結局は自分が信じている道が目の前に開けるのですから。


わたしと違う考えの方も、そう思って軽やかに流していただければ…と思います。


違いがあるからこそ、個性がキラめくんだしねキラキラ



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ドキドキ ぐるぐる の更新が遅れていますが、

   仕事が急に忙しくなり毎日帰ってくるのが夜中の12時を過ぎています。

   書きたいことはたくさんあるそうですが、なかなか書く時間がありません。

   (彼の場合は撮影時間もいりますし…)

   おまけに新居は未だインターネットが通っていませんしょぼん

   というわけで、ご心配おかけしていますが、彼は仕事は忙しいけどとても元気キラキラです。

   早く更新できる時間が持てるよう、祈ってやってくださいねねこへび 祈りは通じますからアップ