【23】
1984年冬~春
緒方漣が卒業した。どこまでもエロいイケメンは上級公務員試験に受かり、通産省に入った。
俺は山岳部7年生になった。
早稲田大学山岳部7年生の新学期が始まった。
必要な単位は卒論だけで、授業は何も無かったので暇だった。
毎日研究室と部室に行く繰り返しになる予定だった。
だが、勉強とエロと変態と山の日々になった。
春の肌寒さを感じるある昼下がりに16才の子と定食屋に行った。
キャンパスの桜は葉桜になっていた。
恥ずかしがり屋の彼女は幼くて可愛かった。
定食屋でご飯を食べながらお互いの学校の事とか当たり障りのない話をした。
彼女は中学を卒業して看護学校に通いながら病院で働いているとの事だった。
ご飯を食べてから喫茶店に行った。
そこで話す事も無くなったので何の気無しに、俺は彼女に彼氏はいるのと聞いた。
後から思い出すと寮母さんが言った俺の悪いところだった。
『島谷さんはどうなの?』と聞かれた。
別に隠す必要も無かったので寮母さんに話した様に話した。
『で、自分はどうなの?』と聞くと、
『内緒』と返してきた。
別に興味も無かったので違う話をしたと思うが、よく覚えていない。
喫茶店を出る前に彼女が淋しそうにまた会えるかと聞いた。
多分と答えた。
また淋しそうにするのでボーリングでもと誘うとニコニコしながらコクッと頷いた。
まるで楽しそうに尻尾を振って付いて来る子犬の様で可愛かった。
彼女はボーリングは下手くそだったが、一度だけ出したストライクをよほど嬉しそうにして、何度も自慢していた。それも可愛かった。
『彼氏はいないの?』と彼女が唐突に言った。
夕暮れの二人は、高田馬場から落合に向かって歩いていた。
俺は何も言わずにキスをした。
『人が見てるから』と彼女は言った。
それでも構わずにキスを続けた。
その後、二人は黙って歩いた。
そして彼女のアバートに行った。
病院が借り上げているアパートで、同じ病院で働いている看護婦と相部屋との事だった。
同部屋の人は夜勤だと言った。
聞いてもいないのに言った。
言った後に彼女は俺の側に寄ってきた。
俺はそっと抱きしめてキスをした。
そしてセックスをした。
白くて若い肌は俺を興奮させた。
彼女は初めてだった。
“ケダモノ”かなと思った。
ゴールデンウイーク前に茂子と会った。
緒方漣と智子も一緒だったと思う。
茂子に会ったのはかなり久しぶりだったと思う。
戻れないあの頃が懐かしかった。
茂子もそうだったのだろう。
別れ際に『元気でね』と言いながら涙ぐんでいた。
俺は『ガンバダゼ』と返した。
『お互いにね』と茂子は言った。
すれ違った道が恨めしかった。
すれ違った心を取り戻したかった。
何故別れたのか考えてもわからなかったが、心は十分に感じていた。
俺は茂子を理解し、茂子は俺を理解していた。
わかり合えていても二人は別れた。
選んだ訳ではなくて、そうせざるを得なかった。
無くした物を探しながら、その後も俺は情熱の限りを尽くして山に通った。
俺は渋谷のエンパイアと言うグランドキャバレーで1年前からバイトをしていた。
インドのお店だけの見入りで十分だったが、田中に悪いと思ったので始めたバイトだった。
店の営業時間は夕方6時から深夜1時までだが、バイトは夕方3時から11時までだった。
エンパイアは今のマークシティがある場所で、奥まった方にあった。
そこで知り合った典子と言うホステスと数ヶ月の恋をした。
年上の女性で自分では28才と言っていたが、定かでは無かった。
いつも俺に負担をかけない様に、もっと若い子と付き合いなさいと言っていた。
それが嬉しかった。
優しい女性だった。
典子と付き合っている間、他の女の子の誘いは無視していた。
もう慣れっこになったラグビー部寮のは男臭さより、慣れていない女臭さが本能を騒がせた。
年上の女性は初めてだった。
バイト先では店のホステスとボーイの恋愛はご法度だった。
だが、その持って生まれた本能が俺を典子に向かわせた。
本能のままに典子のアパートに転がり込んで、ほとんどの夜をそこで過ごした。
アパートは代々木上原だった。
ある日、バイトが終わった後に先輩社員に誘われて、ご飯を食べに行った。
いつもは終電で帰ったが、典子に帰るのは朝だとお客がいなくなったホールで合図を送った。
ひとしきりご飯を食べ終わると先輩が先に帰ってしまった。
一人残された俺は仕方がないのでタクシーで帰った。
アパートに着いたのは3時頃。典子はベッドに入っていた。
横に潜り込んで典子の体を触った。
いつもは直ぐに反応して俺が望んだ通りに抱き着いてきたが、その日の反応は違った。
眠そうにしながら今日はダメだと言った。
典子と一緒のベッドにいて断られたのは初めてだった。
俺は断られた事がショックだった。
キヨシロウの歌が浮かんだ。
『こんな夜にお前に乗れないなんて~♪こんな夜に発車出来ないなんて~〓』
エンジンはビンビンで、ガソリンタンクは満タン、足回りもサスペンションも最高のチューンナップが施されていた。
それにドライビングマップもオプションも準備万端だった。
以前、典子が生理の日もした。
風邪をひいている日もした。
帰ってからシャワーも浴びた。
喧嘩をした訳でもない。
他に男が出来た風でもない。
俺も他の女と会っていないし、連絡すら取っていない。
何故だかわからなかったが、悶々としながら浅い眠りについた頃、典子は俺を揺り動かして眠りから呼び戻した。
そして、したいと言った。
俺は訳がわからなかった。
さっきはダメだと言ったのに今はギンギラな典子だった。
理由は後にして、とりあえず、した。
典子を強く抱きしめて激しくした。
終わった後に理由を聞いた。
『さっきはなんで断ったんだよ?』
『そんな気分じゃなかった』
『嘘つけ!ホントの事を言えよ!』と俺は何度も問い詰めた。
『えーっとね。。。』
『嘘ついてもわかるからな』
典子は恥ずかしそうに話した。
『ゆで卵が入ってたの』
最初、俺は何を言っているのかわからなかった。
俺は考えた。そして驚いた。
『ナンダッテェー』
典子は恥ずかしそうにしていた。
『だってあなたが悪いのよ。昨日約束したでしょ。いっぱいしてくれるって言ったのに帰りにご飯に行くから。。。』
『でも、それは先輩に誘われて、断り辛くて。。。』
典子はそう言いながら抱き着いてきた。
もう一回した。
典子はセックスに対して大胆で貪欲な女だった。
オナニーをしていたら食べ残しのゆで卵でクリトリスを刺激したら気持ちよかったと言った。
そしてついつい夢中になって押し付けたらスポッと入ってしまったと言った。
取り出せなくて焦っているところに俺が帰ってきた。
いつもの様に俺が迫ってきたが、ゆで卵があそこの中で崩れるとまずいと思い、NGを出した。
俺が寝付いたところで、オシッコに行ってトイレでしゃがんだらポコッと出たらしい。
俺が悶々とし、他に男が出来たのかと嫉妬した相手はなんとゆで卵だった!!
ゆで卵に嫉妬した。
『ゆで卵が相手じゃ勝てないな』
『でも気持ちよかったの』
『俺とどっちが良いんだよ?』
『どっちも!』
『やっぱり、ゆで卵は敵だ』
俺は再びゆで卵に嫉妬した。
でも嫉妬している自分が可笑しかった。
典子も笑い転げていた。
驚きはあったが、典子を身近に感じた出来事だった。
それからの二人のセックスは変わった。
生クリームやハチミツを体に塗って舐めあったり、ソーセージやこんにゃくを使ったりもした。
変態になった事を緒方漣に話した事があったが、鼻で笑われた。
序の口どころか、入り口にも辿り着いていないと言われた。
緒方漣はあらゆる事をしていた。
ケダモノ1号はパワーアップしていた。
ケダモノ2号は追い付く事は出来ないと思った。
それから間もなくバイト先で典子との関係がばれた。
グランドキャバレーの裏に潜む恐いお兄さん達にバイト中に呼び出された。
ネオンライトが灯る店の裏で5人に囲まれた。
夜の繁華街にある暗がりだった。
その暗がりの中で蛇の様に冷たく妖しく光る目を持つ兄貴分に脇腹を殴られた。
藤岡さんだった。
痛かったが、それ以上にその目の深くて暗い輝きが恐かった。
『悪いな。つい力が入った。病院に行け』と言って5万円をその場に落としていなくなった。
『それからもう来なくていい』と言われた。
その為に俺はバイトを首になった。
典子はその月の給料を半分減らされた。
典子は店で売上がよかったので首にはならなかった。
左の脇腹は痛んだ。
1ヶ月半程して病院に行ったら肋骨が折れていた。
だがほとんど治っているとの事だったので、それ以降は通院しなかった。
痛みの原因が分かれば堪えられるものだった。
俺は典子が好きだった。
二人の同棲生活はその後も続いた。
そして、俺は典子にバイト先を紹介して貰った。
次のバイト先は新宿の靖国通りにある炉端焼きだった。
昼の3時から夜の11時までだった。
忙しい時は閉店時間の朝5時までだった。
靖国通り沿いの歌舞伎町の入り口にある炉端焼居酒屋“志ろう”だった。
そのビルは地下1階から8階まであり、“志ろう”の社長が所有していた。
3階から8階までが“志ろう”だった。
俺の勤務地は6階だった。
午後3時に出勤すると、掃き掃除、拭き掃除をして、板前さん達の仕込みを手伝う。
店の造りは居酒屋形式で、靴を脱いで上がり、座敷にテーブルが多く並んでいた。
炉端焼きの焼き場は、カウンター席になっていてお客が周りをグルっと囲むようになっていた。
カウンター席はその前に食材を並べてお客から注文を取る。
食材は海の幸や野菜・キノコ類、肉等々だった。
そして5時のオープンと同時にお客さんがなだれ込んでくる。
お客の注文を取り、配膳をする。
最初はメニューを覚えるだけで精一杯で、たまに注文を間違えたりしたが。2週間もすると慣れてきた。
仕事は3時から11時までだった。
お店は朝の5時まで営業していた。
6階の店長は中央大学の6年生の水野さんだった。
客のあしらいの上手い格好いい人だった。
社長はゴリラみたいな顔をした人だった。
その人はホモだった。
フロアーでトレイを持ってボーッと立っていると後を通り過ぎる時に“良いお尻ね”とハートマークを付けながら言って、俺のケツを触った。
登山で鍛えたから良い尻だったのだろう。
何度も触られた。
初めてのホモとの出会いだった。
俺は何度もケツを触られながら頑張って働いた。
2,3ヶ月経つとフロアーの配膳係から焼き場係で働く事になった。
お客との掛け合いの会話を楽しませながら食材を焼く仕事だ。
最初は厚揚げや椎茸、ネギ、シシトウ等の野菜類だったが、そのうちに魚を焼くようになった。
サンマや鰯、鮎は一本串を差して焼く。
この串を刺すのが難しかった。
海の魚は目から串を入れて背骨に絡ませる様に螺旋を描いて尻尾の近くから出す。
川魚は皮が弱いので口から入れて肛門から串を出す。
皮を串で傷付けると、焼くとその傷付いた皮からボロボロと身が落ちていき、焼く上がりがボロボロになる。
上手く焼き上がると魚がクネクネとして、尻尾がピンと立った状態になる。
俺はその店で魚の焼き方を教わった。
一日に何百本も焼いていると色を見ただけで焼き上がりが分かるようになった。
それから包丁の持ち方や、ネギの刻み方、大根の桂剥きも教わった。
ラグビー部の寮で教わった持ち方とかなり違った。
だが年上の典子との生活は長くは続かなかった。
理由は俺の浮気だった。
もしかしたら典子との恋は始まってもいなかったのかも知れなかった。
俺は浮気だと思っていなかった。
“志ろう”の焼き場は楽しかった。
焼き場をお客が囲んでカウンター越しに注文を貰ったりもした。
そのカウンター越しにお客さんと話をしたりした。
そのうちに若い女性の常連さん達がカウンターの前に座るようになった。
『いつも友達とばかり来るけど、彼氏は居ないの?居酒屋でやさぐれていると行き遅れるよ』と軽口を叩いたりした。
女性の客はOLや伊勢丹や丸井のアパレルが多かった。
汗を拭きながら焼いていると、『そこは暑いでしょう?』と見慣れた顔が言った。
俺は、『生ビール一丁』と声を上げた。
その女性にプレゼントだった。
もちろん伝票は付けなかった。
それからサンマの焼き物をプレゼントした。
お店から俺が盗んで人に上げた事になるが、『暑いでしょう?』の一言が嬉しかったから気にしていなかった。
それから、その女性は来る回数が増えていった。
いつも焼き場の前に座った。
俺は早稲田の学生である事や山岳部で山に行く金を稼いでいる事、寮にモグリで住んでいる事、そんな事を暇な時に話したりした。
彼女は丸井のヤング館の販売員だと言った。
俺から質問をする事は殆ど無かったが、いつも仕事終わりに来て終電まで居たので、『お酒が好きなんですね?』と言った。
『お酒は普通に飲めるだけでそんなに好きじゃないかな?』と笑った。
『じゃあ、炉端焼きが好きなんですか?』と俺が聞く。
『そんな訳じゃあないんですけどね。。。』と彼女。
『また来て下さいね』と俺は言ってバイトを上がった。
俺は寮に帰って、先輩たちと麻雀をする約束があった。
彼女は『これからデートですか?』と聞いた。
俺は笑いながら『そんなんじゃあなくて、寮で先輩と麻雀なんです。この前、僕が勝っちゃったから先輩に仕返しされるかも知れませんけどね。リベンジ戦です。勝ったらまたサンマを奢りますよ』と言って笑って帰った。
それから彼女は毎日の様に来た。来ない日もあったが、俺は今日は来ないなと思うくらいで気にも留めなかった。
『昨日は来なかったですね?何かあったんですか?』と俺が親しげに聞くと彼女は送別会があったと嬉しそうに言った。
『送別会がそんなに嬉しかったんですか?嫌いな人が辞めたんですか?』と冗談めかして言った。
『そうじゃなくて。。。』と彼女は暗い顔をした。
ある時、店長の水野さんにお客と仲良くするのは良いが、思わせ振りはするなと言われた。
俺は何を言われているのか分からなかった。
『なんでしょうか?』と俺は水野さんに聞き返した。
『お前は、わからない奴だな。女が可哀想だ』と笑った。
なんだそれは???俺はいよいよ意味不明になった。
『良いよ。良いよ。俺が悪かった。気にするな。気にしないで今まで通り仕事をしてくれ』と水野さんは笑っていた。
ある時、遅番が来ないから深夜も通しでやってくれと水野さんに言われた事がある。
遅番は、9時出勤だったが、もう10時半だった。俺は寮に電話をして事情を説明して明日の朝の寮母さんの手伝いが出来ないと寮生に伝言をお願いした。
深夜の客層はガラッと変わる。
綺麗に着飾ったお姉さんたち、やさぐれたサラリーマン、終電を逃した若者たちだった。
まだマンガ喫茶やカラオケボックスが無い時代だから、新宿では終電を逃がすと深夜喫茶か朝までやっている居酒屋に客が集中した。
その日は11時を過ぎると急に混み始めた。
しかし平日だったので2時を過ぎると空席が目立ってきた。
深夜3時過ぎに水野さんが、『今日は平日だからもう客が引いてきたから、もう良いよ』と俺に二万円を渡しながら『あの子と飯でも食って来い』と言われた。
俺はまた意味がわからなかった。
あの子とは、あの丸井のアパレルだった。
俺は意味不明状態だった。
水野さんが、その子に話し掛けるとニコニコと満面の笑みで答えていた。
他人に太鼓持ちの様な事をされたのはこれが初めてだった。
その子は以前から俺の事を島ちゃんと呼んでいた。
その子は浩子という名前だと知った。
23才だった。
何故俺がお客と飯を食わないといけないのか意味不明だった。
二人で深夜の歌舞伎町で焼肉を食べた。
始発もあるからさっさと食べた。
浩子はあまり食べなかった。
だから浩子の分まで食べた。
浩子はビールを飲んでいた。
浩子に何か聞かれると『そうです』とか、『はい』と答えるだけで、話しているつもりでも俺から問いかける事は無かった。
ただ、黙々と食べていた。
食べ終わって4時半頃にもう始発が出るから帰りましょうと俺は言った。
すると浩子は、『今日は休みなんです。だからまだ大丈夫です』と言った。
大丈夫と言われても俺は困る。
俺は帰って寝たいと答えた。
浩子は悲しそうな顔をした。
俺はそこで分かった。
ああ、そういう事なんだ。
鈍感な俺。
可哀想な事をしたと思った。
そこから俺は焦って話をし始めた。
子供の頃の事や大学での事、山登り、そんな事を話した。
『彼女は居るんですか?』と聞かれた。
俺は居る様な居ない様なと言いながら、でも体の関係があるのは3,4人居ますと答えた。
いや、典子には振られたから3人かな?と言った。
ああ、むつきは彼氏が出来たから。。。と覚えている事を話した。
でもあまり会っていない事も言った。
『そんな感じなので、いい加減な付き合いばかりです』と笑って言った。
彼女は熱心に俺の話を聞いていた。
彼女は八王子の生まれで、丸井に勤めて5年目、住まいは高円寺だと言った。
その日は浩子のアパートに泊った。
それからカウンター越しに声を掛けて、バイトが終わってからお客さんとご飯を食べに行くようになった。
そこで知り合った保母さんやOLと付き合ったりした。
覚えているのは保母さんは雅美、OLは加奈子だった。
同じ時期に付き合った。
雅美は十条のアパートに住んでいた。
加奈子は下高井戸のアパートに住んでいた。
雅美は1才年上の25才で、加奈子は3才下の21才だった。
数日の間に、呼んでもいないのに店に客として来て、バイト上がりに一緒にアパートに帰るという付き合いになっていた。
少しずつ典子のアパートに帰らない日が増えていった。
他にも同じ様に付き合った人はたくさん居た。
店で知り合い、ご飯を食べに行って、その後彼女のアパートに転がり込むのが俺の常套手段となった。
ある日、二人が店でかちあった。
仕方が無いのでバイト上がりに二人と一緒に店を出た。
靖国通り沿いにある泥棒貴族という喫茶店に入った。
最初は女二人で話していた。
雅美は小柄でそばかすが可愛い子だった。
浩子は大柄スレンダーで美人だった。
雅美は年の功なのか最初は聞き役だったが、浩子は自分の事ばかり話していた。
俺はこのまま終わるかと思ったが、やはりそんな甘い事はなかった。
俺は二人に責めに責められた。
『いったいどっちが好きなの!?』と浩子。
『何故こうなったの!?』と雅美。
『。。。。。。。』
俺は黙っていた。
口を開く理由もなかった。
事実は事実で認めるしかなく、どっちも好きだった。
だが、どちらにも燃えるものは無かった。
珈琲1杯で4時間も話していた。
加奈子とはどうなったのか覚えていない。
恋は燃えていなかったが、相変わらず山へは足しげく通っていた。
俺は彼女達の中に茂子を探そうとしていたのだろう。
今思えば、そう思える。
だが肉体の無駄使いだった。
それをやると心が荒む。
品位が無くなる感じだ。
やっぱり一人だけが良い。
熱く滾る想いをぶつけられる女が欲しかった。
初夏の頃に田口さんからブータンヒマラヤ未踏峰の許可が取り辛いとの情報を貰っていた。
当時ブータンはインドにしか国交を開いておらず、事実上鎖国状態だった。
もしも許可が取れたとしても登るのは翌年だった。
登るチャンスが貰えるならもう一年大学に残っても良いと思っていた。
登山は一般の人達にとっては価値の無いものであり、それでも登っている人達は無償の征服者だった。
仕事も辞めて登山隊に参加する人達がほとんどだった。
それは社会的に認められていない事の現れだった。
何度も何故山に行くのか自問自答したが、答えは無かった。
ただ憧憬に似た感情だった。
ただの憧れだけで命の危険を侵してやっているとしか言い様が無い程、言葉に出来ない感情だった。
とにかく何物にも変えがたいものだった。
その未踏峰は7400mだった。
地球上で唯一残された7000m以上の未踏峰だった。
ある日、研究室の教授に相談した。
バカな相談だと思われるだろうと思った。
その相談とは山に行きたいから大学にもう一年おいてくれと言う事だった。
『大学は学問をするところで、山を登るところではないよ』と言われた。
『山は文化です。文化を守る事も学問の役目ではないですか?』
『それは文化かも知れないが、君がやっている事が文化だとは言えないだろう?だから大学にいる事は奨められない。但し、大学院に進むなら話は別だよ』
山に行きたいから大学院に行く事にした。
行くと言っても試験に受からなければならなかった。
試験課目は4課目、必須2課目、選択2課目だった。
もしもブータンに行けるとしたら大学院に行くか、就職せずに自由人になるかの2つの選択肢があった。
ブータンに行けないとしたら就職する事になるだろう。
だがタイミングとしてはブータンの許可が下りるのが今年の秋から冬にかけて、大学院の試験は来年2月、就職活動は遅かった。
あまり考えもせずに大学院か自由人にした。
あれこれ悩んでも仕方が無いので簡単に決めた。
これで東京7年目と8年目は、やりたい事が決まった。
受験勉強と山に集中しようと思った。
それから2月までは山に行かない日は受験勉強をした。
あと受験まで8ヶ月くらいしかない梅雨の季節だった。
バイトも辞めて、がむしゃらに勉強した。
大学受験以上に勉強した。
大学の成績は下の下だったので実力で受かるしかないと思った。
その頃は上井草の寮に戻っていた。
寮生や寮母さん達は、俺が学問に目覚めたと思っていたらしい。
俺は目的の無いジョギングが嫌いだ。
体力を強化して何をやるかはっきりしていなければ、ジョギングに気合が入らない。
俺の大学院進学の目的は、山に行く時間を作る為。
山に行く為に、社会に出る執行猶予期間が欲しいだけだった。