東京45年【24】軽井沢 | 東京45年

東京45年

好きな事、好きな人

【24】

 

 

 

1984年夏、上高地から軽井沢、東京上井草寮
 


春から夏にかけて経験だけを積み重ねる恋を幾つもした。

 

果たして恋と呼べるのだろうか?

 

何人と形だけの付き合いをしただろう。

 

いや、形も無かった。

 

恋をした相手には失礼な事をしたのかも知れない。


それでいて心の中では陽炎の様に茂子がユラユラと揺れていた。

 

いや、陽炎ではなく茂子を求めていた。

 

 

 

 

 

信州の山に行く前に茂子から電話を貰った。

 

声を聴くのは久しぶりだった。

 

山に行った帰りに電話をする事を伝えた。

 

夏休みに入って山岳部の合宿で剣岳に、仲間と穂高に行った。

 

穂高の帰りに新島々駅から茂子に電話をした。

 

会いたいと言った。
 

茂子は直ぐに応じた。
 

 

 

 

山の帰りに茂子と会ったのは軽井沢だった。
 

『ご無沙汰ね』と茂子。
 

『ああ、ホントに』
 

『元気だった?』
 

『ああ、しおんも元気そうだな』
 

『二人で会うのは何年振りかな?』
 

『2年近くかな?』
 

『そっか、青山墓地以来だね。うふっ』
 

『またスケベな事思い出してるんだろう?!』
 

『あらっ、いけない?』
 

『いや、あれは相当に刺激的な出来事だよ』
 

軽井沢銀座を二人で歩いた。

 

茂子はジャムやアイスクリームや紅茶の店を教えてくれた。

 

そういえば茂子は珈琲より紅茶が似合っていた。

 

インドに一緒に行った時は紅茶畑に興奮して、紅茶の露店商をずっと見て歩き、大きなザルで売られる紅茶を買って喜んでいた。

 

それを茂子に話すと良く覚えているねと言った。
 

『当たり前だろ!全部覚えているよ』
 

『そうね。私もよ。どうしてかな?』
 

『出会うべくして出会ったからだよ。運命を信じるかい?』
 

『ええ、もちろんよ』
 

『俺も信じるけど、変える事も出来ると思ってるよ』
 

『変えられるかな?』
 

『変えてきたと思ってるよ』と俺。
 

『そうなのね。私とは?』
 

『俺が待てば良いんだろう!?』
 

『それは…』と茂子は言って黙った。
 

それから茂子の仕事の話や俺の大学の話をした。大学院に行くつもりだと言ったら茂子は驚いていた。
 

『山に行きたいから』と言った。
 

『羨ましいわ』
 

『そうか?学生を長くやってるから明るい青春、暗い老後になるかな!?』
 

『でも、つかさはつかさだよ』
 

『ああ、お前もお前だよ』
 

『違うわ。つかさは年をとっても何かを追い掛けていると思うわ。私もそうしたかったけど、そうじゃなかったの。何事もなく平凡に生きていくわ。あなたには完敗だわ』
 

『そうか…』
 

『何か言ってよ』
 

『俺達の付き合いは勝ち負けかよ?そうじゃあないだろう?』
 

『そういう意味じゃあなくて、つかさが強くなり過ぎて私は付いて行けなくなったの。つかさは私をいつも待っていてくれるのはわかるけど、それは嫌なの!』
 

『俺はいろんな女と付き合ったけど燃えないんだよな。かと言ってお前には戻れない事はわかっているしな!でもな…』
 

『私も同じよ』
 

『だけどお前と続ける為の何かを探しているんだよ』
 

『私も』
 

『でも無いんだよな』
 

『そうね。私も見つからないの。でも今は悲しいけれど楽しかったわ。楽しかったなんて言葉で片付けられる程、簡単じゃあないけどね』
 

『とにかく、しおんと俺はややこしいって事だよ』
 

『もう一緒にいられないって事だわ』
 

『残念ながらな。別れてから数え切れないくらいお前を思ったし、お前もそうだろう?一緒にいたいとお前も思ったろう?でも答えはお前もNOだろう?アグリー??』
 

『アイ・アグリーよ!でも…』
 

『これからお前は誰かと結婚するだろう。でも60や70になっても覚えていたら連絡してくれよ。また会おうよ』
 

『つかさはいつもそうね。女心はわからないくせに、私の気持ちは直ぐにわかる。私だけのジゴロだわ。いいわよ。会いましょう。楽しみにしているわ。また会えるなら悲しくないわ。会えるのを楽しみに生きていけるわ。ありがとう。やっとあなたが忘れられそうだわ』
 

『俺は忘れるのは悲しいけどな。そう言えば、お前とはたくさん喧嘩をしたな』

 

『そうね、あなたは最初から私が何に怒っているのか感じていたわね。いいえ、怒る前から分かっていたわ。口から出る言葉は違う事なのも知っていた』

 

『ああ、そうだったな。さも、口から出る事を分かって欲しいと言いながら違う事で怒ったり泣いたりしていたな。その本当の理由は言わない。俺は何故そうなるのか不思議だった』

 

『話している事は分かった振りをして、ホントの理由はこれだろう?って言われるとホントに頭に来たわ』

 

『そうそう。そうだったな』

 

『見透かされてるって思ってたわ』

 

『そんな話もしたな。しおんもそうだったじゃないか』

 

『そうね。でもあなたは、分かり易かったから。でもね、私の本心を見てくれるのはつかさだけなの』

 

『だから、一緒に居たい。でも、自分の足で歩きたい。自分の意志で誰にも頼らずに生きたい。それって無い物ねだりだよな。矛盾だよ』

 

『もう、そこも合っているわ。やっぱり、お見通しだったか』

 

『そりゃあ、分かるさ。しおんの事ならな』

 

『最大の矛盾だって分かっているの。でも、あなたみたいに強くなりたいの。何があっても乗り越えるあなたが大好きよ』
 

『俺は弱いよ。知ってるだろう?』
 

『いいえ。それがつかさの強さよ。弱いから敏感に怯えや恐怖や不安を感じるの。そしてすぐにそれを乗り越える強い力を持つの、それと明るさがある。その弱さを克服する誰にも負けない強い力があるわ。そして人を引き付ける魅力がある。若い女達はそれを男の魅力と勘違いするの。そしてつかさを好きになるの。でもそれは勘違いなの。つかさの魅力は男の前に人なのよ。私はつかさの魅力と強さが羨ましいわ』
 

『でも俺にとってしおんは女ダゼ』
 

『私にとってもそうよ』
 

『でもその魅力が一緒に居られない理由だろう。それなのにしおんの魅力は俺を強く掴んで離さない事だよ。矛盾してるよな?乗り越える強さの俺の魅力と掴んで放さないお前の魅力。どっちが強いんだろうな?一番素敵な女だよ。俺は出会ってからずっとお前がただ一人の女だよ。ただひたすらにお前が好きだ。今は言っちゃあいけないかも知れないけれど、俺達は出会うべき運命に導かれて出会い、別れるべき運命で別れるのか?俺はお前と生きていきたい。昔も今もそう思っている。ダメかい?』
 

『。。。。。。』
 

茂子は何も言わずに目に涙をためていた。そして一筋の涙がこぼれた。
 

俺はその涙の意味がわかっていた。

 

知りたくなかった。
 

『俺の魅力はお前が見付けて、お前が育ててくれたんダゼ。目覚めたらお前がいた。一緒にいない日も朝起きるとお前が生きてる事だけで幸せだった。別れてからもお前がいるんだよ。また言っちゃあいけないかもしれないけど、お前が好きだ!しおんは素敵な素晴らしい女だよ。こんなにお前の事を思っている奴は要らないのか?』
 

『私こそつかさに育てて貰ったわ。ありがとう。私も今でもあの頃と変わらずつかさが好きよ!』
 

今度は涙を流しながら真っ直ぐに俺を見つめて言った。あの目だった。意思の強い目だった。
 

『俺は駄々っ子だよな?何もいらないからお前が欲しいと言い続ける駄々っ子だ』
 

『つさか。。。』
 

『わかってるんだよ。ダメな事は』
 

『つかさがこんな風に言うのは初めてね』
 

『恥も外聞も無く、すがり付いているよ。今くらいすがりつかせろよ。こんなに好きなのに何故別れなきゃいけないのか?分かってるよ。そうしたいのも、それしかないのも分かっている。だけど、今は。。。悪いかよ?カッコ悪いかよ?笑えよ!カッコ悪さを軽蔑してくれ!そうしてくれたら、もしかしたらお前を忘れられるかも知れないから』
 

俺は涼やかな軽井沢の中で泣きながら言った。
 

『カッコ良いわ。つかさ。私は今もつかさが好き。大好きよ。でもダメなの』
 

『わかってるよ。わかっているけど、お前無しで生きて行く自信が無いんだよ』
 

『それでもつかさは乗り越えるのよね』
 

『乗り越える乗り越えないの問題じゃあない。運命を変えないか?』
 

『ダメなの。つかさも分かっているでしょう?私達は一緒には居られないわ』
 

『完膚無きまでに振られたな』と明るく言った。

 

まだ涙は出ていた。
 

『俺は乗り越える強さ、お前は持って生まれた強さだな?』
 

『そうかもね』と茂子は言った。
 

『つかさは不思議な人ね。私の心に入って幸せな気分にしてくれる。ジゴロで麻薬だわ』
 

『いつかも聞いたな』
 

『これ以上ないくらい強い麻薬よ。一緒にいると麻痺するわ』と明るく言った。

 

『もっと麻痺させときゃあよかったよ。ホントにもうダメなんだな。。。。。。』
 

軽井沢のサーっと流れる風は、澄んだ空気の中に二人の涙を溶かしていった。
 

そして二人の心も爽やかな風の中に流れていった。

軽井沢駅のホームで長野行きの電車に乗る茂子を見送った。
 

二人でホームのベンチに座り、あの時と同じ様に茂子にキスをした。
 

『しおんの唇は磁石だよ』
 

茂子の唇はあの時と同じ柔らかだった。
 

あの時と同じサラサラの髪はシャンプーの匂いがした。
 

あの爽やかな4月の代々木公園で初めてキスをした事を思い出していた。
 

夕暮れ時の軽井沢は肌寒かった。

 

茂子は寒いと言って俺に肩を預けた。

 

手を繋いで、指を絡めてキスをした。何度もキスをした。
 

『しおん。愛してる』
 

『私も愛してる』
 

『60か70になったら幸せにしてやるよ!』
 

『あらっ、出来るかしら?』と茂子は笑いながら言った。

 

いつもの茂子だった。
 

『ああ、悔しいから幸せにしてやるよ!余生は一緒になッ!』といつもの俺が言った。


『その時つかさはセックス出来るかしら?』
 

『するさ!』
 

『あははは。また感じさせてくれる?』
 

『もちろんだ』

 

『それも楽しみにしてるわ』

 

物悲しい肌寒い夏の軽井沢だった。
 

時間が止まって欲しいと茂子が言った。


俺は40年くらいワープ出来ないかなと言った。
 

『ワープするならポン女の正門が良いわ』
 

『過去に戻りたいのかよ?すれ違わない様にやり直すのかよ?』
 

『いいえ。戻っても同じ事をするわ。つかさをもう一度愛したいの』
 

『青山墓地もありかい?』
 

『もっといろんなところでするわ』と茂子は悪戯な目で笑った。

と、いきなり電車が滑り込んで来た。
 

近くに来るまで二人とも気が付かなかった。
 

電車に乗った茂子を抱きしめた。キスをした。
 

『しおん。。。』
 

『つかさ。。。』
 

二人とも言葉が出なかった。
 

『ありがとう』とドアが閉まりかけたとき茂子が言った。
 

『またな』と俺は返した。
 

ガラス越しに見つめ合った。

 

茂子の唇が何か言ったが、発車のベルの音で声は聞こえなかったが。。。
 

『あ・い・し・て・る』と動いた気がした。
 

軽井沢に行ったのはそれが最後だった。
 

 

 

 

自分の事は自分では解らない事が多い。
 

自分を見てくれる人がたくさんの自分を教えてくれる。
 

茂子や彼女のお母さん、朝日新聞の田口さん、日本山岳協会の副会長、上井草の寮母さん、ヤマケイの編集長、山岳部の仲間、亡くなった竹中さん、たくさんの人達が俺がどんな奴かを教えてくれた。
 

俺は幸せな奴だった。

その時までは、俺を教えてくれる、

 

その最たる人が茂子だった。
 

だが俺はその後どんどん茂子を忘れていく事になる。

東京行きの電車は30分後くらいだっただろう。
 

しかし、長く長く果てしなく長く感じた。
 

独りの夕暮れはどこまでも寂しかった。

 

深い深い暗闇に落ちていた。
 

世界一短い詩がある。
 

『咳をしても独り』という詩を思い出していた。


俺は一人ホームにたたずんでいた。
 

せめてもの慰めは茂子をホームに独り残せずに見送れた事だった。
 

こんなに強い孤独感を茂子に感じさせなくて良かったと思った。


慟哭は何処までも深かった。心は叫びと悲しみで満たされていた。
 

俺は茂子を愛していた。
 

愛する茂子が居なくなっても愛していた。

 

その思いが強くて深い分、悲しみも深い深淵に落ちていった。

帰りの電車はガラガラだった。

 

赤の他人でもいいから隣にいて欲しかったが、それも叶わなかった。

 

上野までの電車の中で咳をしても独りと繰り返しつぶやいていた。
 

ガラガラの電車が嫌で、早く人に触れ合いたかった。

 

しかし上野駅に着いたとたんに他人だらけの雑踏は、さらに孤独感を深めた。


高校も大学も仲間の中心にいた俺だったが、今は世界の外れに一人取り残された気分だった。


花の都、大東京は冷たく感じた。
 

都会の雑踏と喧騒の中で静寂の孤独の中にいた。


空いている山手線で涙を堪え切れずにドアの前でうつむいて立っていた。
 

ネオンライトが飛ぶように過ぎて行ったが、心は軽井沢に留まっているように感じていた。

高田馬場で西武線に乗り換えた。

 

混んでいたが、涙は止め度も無く流れた。
 

ボロボロのジャージと大きなザックを抱えて涙を流す姿は異様に映ったのだろう。

 

ジロジロと見られたが恥ずかしさも無く涙を流した。
 

上井草駅に着いたのは深夜12時を回っていた。

 

寮への道を歩きながら見上げた空にカシオペアが見えた。

 

星を見ながらこんなに悲しんでいても周りは何も変わらないと思った。


悲しんでも苦しんでも変わらない。

 

茂子が戻る訳でもない。

 

何も変わらないのなら、どうせ一人なら、やりたい事をしようと思えてきた。

 

しかし、それでも涙は止まらなかった。
 

寮に着いて、ラグビー部の後輩達が麻雀に誘ってくれた。

 

俺が泣いて戻った事を知っていたからだろう。
 

 

 

 

風呂に入って、麻雀をした。

 

朝までやった。

 

何故かバカツキして大勝ちした。
 

スーアンコウをツモったが、フリテンにして頭を切り落とした。

 

すると2巡目にツモった。

 

親のスッタンキ!

 

ダブル役満を上がったのは人生の中でこれしかない。
 

こんなもんだなと思った。

 

『捨てる神あれば拾う神あり』

 

『楽あれば苦あり』
 

だが望まなければ運命は変わらない。

 

俺は俺だと思った。

 

茂子との別れは悲しかったが、嘆いても仕方がない。

 

笑っても泣いても何も変わらない。

 

ならば笑いたいと思えた。

 

しかし1週間は何もする気にならなかったので寮母さんの手伝い以外は何もしないで寝ていた。

 

寮母さんは心配してくれたが、充電期間だと嘘ぶいた。


その夏は暑かった。
 

茂子と出会ってから7回目の夏が過ぎていった。
 

出会った時は18才だった。

 

茂子は25才、俺は24才になっていた。