【21】
1984年冬、利尻島から秋田市、東京
海のそばでブリザードの中、ボーッとしていた。
するとカラスが浜で何かをついばんでいた。
こんな寒い中でこいつらも頑張っているなあと思った。
寒くなったのでテントに入り寝た。
不思議なもので登山をしている時は寝不足も空腹も感じないが、安全な場所にいると人間らしい欲求を感じるものだ。
骨折した小指が痛んだ。
茂子の事は思い出さなかったが、なおちゃんを思い出した。
会いに行ってみようと思った。
だが、それから1週間吹雪と流氷が邪魔をして、道内に戻れなかった。
船が来なかった。
食糧は普通に食べていたので底をついていた。
山は登れたが、そのふもとで餓死してはシャレにならないと思った。
またカラスが浜で何かをついばんでいた。
近くに寄って見るとウニだった。
膝くらいの深さにカラスが飛び込んでウニを取り、浜で食べていた。
食べ物を見つけた。
カラスが教えてくれた。
海水温度は気温より高かった。
パンツまで脱いで素っ裸で海の中に入ったら足の裏を切った。
海の底の岩や小石から海面に向かって氷が生えていた。
鍾乳石を逆さにした様に生えていて、カミソリの様に鋭利だった。
仕方が無いので素っ裸に登山靴を履いて海に入った。
直ぐにウニが見つかった。
トゲが痛かったので拾い上げたウニを浜に投げた。
10個程投げた。
すると、ことごとくカラスに持って行かれた。
悔しかった。
カラスに知恵で負けた。
仕方が無いので、今度はジャージの上着を片手で袋状にして持ち、その中にたっぷりウニを取った。
テントに持ち帰り割って食べた。
旨かった。
この世の物とは思えない程旨かった。
そして助かったと思った。
翌日、カラス達は相変わらず、海に飛び込み、浜でウニを食べていた。
今度はスニーカーでちゃんとジャージも着たまま浜に行った。
カラスがウニを浜で食べようとする時にカラスを追い立てる。
カラスが居なくなった後に砂浜に落ちているウニを頂いた。
俺の食い物を横取りしたカラスに仕返しをした。
だけど、そのカラスじゃないかも知れなかった。
全部黒いから分からなかった。
とにかく、仕返しの数が終わるまでカラスのウニを貰った。
10個貰った。
カラスに勝って、嬉しかったが、暫くすると情けなくなってきた。
旨いウニだけを数日間食べ続けると飽き飽きした。
飽き飽きしたが他に食べる物は無かった。
天気が良くなって流氷が離れると船が来た。
利尻岳西壁初登攀、冬季単独、成功
稚内に着くとおばあちゃんの家に挨拶に行った。
泊まっていけと言うので遠慮なく泊まった。
その夜、早稲田山岳部の部室となおちゃんに電話した。
部室には無事だと伝えた。
なおちゃんの方は、お母さんがなおちゃんは仕事の都合で秋田市に転勤になったと言った。
なおちゃんは秋田銀行に勤めていた。
おばあちゃんに好きな子かと冷やかされた。
そうではないと言った。
そしたらおばあちゃんは根掘りはほり聞いてきたので、出会ってからの事を正直に話した。
おばあちゃんは今の時代が羨ましいと言い、会いたいのは好きな証拠だと言った。
翌日、おばあちゃんに見送られて秋田に向かった。
だが、稚内から秋田はとんでもない距離だった。
まず稚内から函館まで8時間以上掛かり、そこからフェリーで青森、青森から秋田は7時間も掛かった。
稚内を出てから秋田に着いたのは翌々日になった。
秋田に昼過ぎに着いて、なおちゃんがいる銀行に電話をした。
暫く待たされて、なおちゃんが出た。
『今日会えない?』
『えっ?』
『今秋田なんだよ』
『えぇ~?』
待ち合わせ場所を決めて待つことにした。
待ち合わせ場所は駅前の喫茶店だった。
場所は直ぐに分かったが、待ち合わせ時間までにはまだ5時間もあった。
大きなザックを背負って手には登山靴とピッケルを持って歩き回るのも大変だったので、駅の荷物を預かってくれるところに預けた。
当時、新宿や上野駅等の夜行列車が発着する駅にコインロッカーがあったが、秋田には無くその代わり預け場所があった。
初めての秋田駅近くの千秋公園を寒い中歩き回った。
時間になって約束の喫茶店に行った。
少し遅れてなおちゃんが来た。
2月から秋田市に転勤になったと言った。
その日はなおちゃんのアパートに泊めてくれる事になった。
パンツとTシャツを買って、預けた荷物を取ってタクシーでなおちゃんのアパートに向かった。
アパートに着くとお風呂に入った。
その後有り合わせでご飯を食べさせて貰った。
俺が食べている間になおちゃんはお風呂に入った。
俺はご飯もそこそこに入るよと言った。
お風呂に入ってセックスをした。
暫くなおちゃんの体をあちこち舐めたり触ったりして、キスもした。
そして後ろからなおちゃんの丸いお尻を抱えながらした。
ゆっくりしたり激しくしたりした。
なおちゃんは泣きそうな声でモウダメと言った。
さらに激しくするとなおちゃんはイクと言った。
俺も一緒に果てた。
ベッドでは並んで寝た。
なおちゃんは言った。
『さっきいったの初めてだったの』
『そうなの?』
『大学の先輩と少し付き合っただけで…』
『♪恋は二度目なら♪』と歌うと
『茶化さないでよ』と弱々しく言った。
『俺の事も聞きたいの?』
『私達付き合えるなら教えてくれる?』
『わからない』
『そう』
なおちゃんは自分の意志をはっきり言わない子だった。
だから余計に優しさが伝わり、切ないくらいに可愛かった。
俺はベッドの中に入ってから彼女の乳首を触りながら話していた。
『もう聞いてられない』
となおちゃんは俺に抱き着いて言った。
俺は今度はその乳首を舐めた。
あちこち舐めた。
あそこも舐めた。
終わった後に、何か違うと言った。
何が違うのか分からないけど、とても良いと言った。
俺は何が良いのかわからなかったが、なおちゃんが少し好きになった事がわかった。
翌日、俺は東京に戻った。
山岳部の部室に行くと田口さんから伝言があった。
直ぐに電話すると、田口さんが言った。
『お前、ビンソンマッシフに行く気はあるか?』
『行けるんですか?』
『ああ5月に出発だ』
『行きます!』
ビンソンマッシフは南極大陸の最高峰、1966年に登頂されて以来登られていない、南極大陸中央部にあり標高4900m、極地にあるためエベレスト以上の厳しさがある山だった。
南極大陸が国連の管理下にあり、学術関係以外の目的で上陸を許されていない。
翌日、田口さんと日本山岳協会を訪ねた。
ビンソンマッシフの話をした。
行って話を聞いてみると、どうも無理そうだった。
翌年の1985年から普通に登山が出来る様になるらしく、そのベースキャンプ作りとルート確認のための試登だった。
それに日本の他に10ヶ国から40人が参加し、ポーラメソッドでの予定だった。
『ポーラメソッドじゃ参加は無しだろう?、島ちゃん』
『はい残念ですが』
『ところで利尻はどうだったんですか?』
『雪崩とカラスとの闘いでした』
『カラス?』
『はい下りてから食料が無くなって、カラスとウニの取り合いをしました』
『カラスはどうでも良いから、山の中での話を聞かせろよ!』
『確か9時間位で登りきりました。地形的に雪崩も多くて大変でした。それ以上に大変だったのは風でした。少しでも気を緩めたら持っていかれそうな風がいつも吹いていました』
『それにして、また凄いところを登ったな。とにかく初登攀おめでとう』と理事に言われた。
『こいつはこんな奴ですよ。自分の価値観だけで登っているんですよ。それが価値以上の事、登山界の価値の基準を越える様な事をする。
結果的に回りをびっくりさせることになってしまうんですよ』と田口さん。
『僕が目指すのはアルピニズムですから古典的な事をやっています』
『この前のツイタテは?』
『あれは渡辺さんに申し訳なかったと思っています』
『独りで登った事が?』
『違います。雪崩が起きる前に、嫌な感じがしたんですが、根拠が無かったので何も言わなかったんです。結果的に雪崩にあってしまった事が渡辺さんに申し訳ないです。それを確かめたくて独りで登ったんです』
『でも、今まではツイタテを独りで、しかも冬にあんな短時間に登る事は有り得なかった』
『それは結果的にそうなっただけです。1日で登りましたが、3日の予定だったんです』
『しかしツイタテをノーザイルで登るなんてどうかしている』と理事は言った。
『階段を登るのに補助が必要な人もいます。海で泳ぐのに水着でなければいけないのですか?自然を楽しみ、愛し方は決まりが無ければいけないのですか?山を登るのにこうで無ければならないと考える事は、既成概念を庇護する事になり、ひいては登山を文化として昇華させる上で障害となります。何故、登山の進化を止めるのか僕にはわかりません』と初めて日本山岳協会に対して意見を述べた。
続けて、
『マッターホルンの登り方はよくて、モンブランの登り方は悪い。剣岳を回った事もアンナプルナの登り方も悪いとあなたがたは言う。だけど確かに僕が感じて僕が登ったんです。あなたがたは登っていないし、感じた事すらない。それなのに僕に話も聞かずに批判する。僕が言いたいのは好きな事を誰にも迷惑をかけずにやっているだけなのに、その純粋な気持ちを痛め付ける結果になっている事を気付いて欲しいと思います。ただそれだけです。例え日本を代表するクライマーになっていたとしても、僕はただ楽しんでいるだけですから』と言った。
『副会長や田口さん、渡辺さん、その他大勢の人達が島谷君を庇う気持ちが良くわかりました』と理事は言った。
今まで一方的に批判して申し訳なかったとも言った。
田口さんと岸記念体育館を出て喫茶店に行った。
『あんな風にはっきり言った奴はいないだろうな?』
『そうですか』
『それより南極は無くなったが、ブータンに行かないか?』
『良いですよ』
『何も聞かないのか?』
『田口さんは俺を理解して誘ってくれるから聞かなくても良いです』
『わかったよ。それと秋田の子はどうなった?』
『会って来ました』
『秋田でか?』
『稚内から秋田ってあんなに遠いって知りませんでした』
『続きそうか?』
『山と同じくらい好きになる人が欲しいです』
『ダメなんだな?』
『罪悪感が無くなるくらいは、好きになりましたよ』
『お前は女遊びが出来ないな!』
『いいえ、してみようと思っています』
『女は山より危険ダゼ!』
『覚悟してます』
田口さんと別れて寮に帰ったら、高校の同級生、看護婦見習い、ヤマケイの事務員、緒方漣から伝言があった。
片っ端から電話して会う約束をした。
緒方漣は大学6年もかかったのに4月から通産省への入省が決まっていた。
翌日、お昼に緒方漣と会った。
『今日、夕方ヤマケイに行くんだよ』と俺は言った。
『インドの店のコマーシャルか?』
『ああ、茂子が卒業して担当がいなくなって俺の仕事になっちまったからな』
緒方漣は最近また新しい女と付き合っていると言った。
入省のオリエンテーリングの説明会で会ったらしい。
『お前は、どこでもそうなるんだな?これから働く場所だぜ。そんな場所でまたナンパかよ』
『出会いは貴重だよ』
『ケダモノじゃん』
『お前も勉強した方が良いよ。女を勉強して良い女と出会うのを待つんだよ。誰が本物か見分ける目を持つんだよ』
『お前の理屈もそこまでいくと哲学だな?』
『やっと認めてくれたな?』
『ああ』
緒方漣と別れて赤坂に向かった。