【20】
1984年冬、谷川岳~北海道利尻岳
渡辺さんは右手を骨折していた。
フラツいてはいたが歩けた。
肩を貸して麓に下り、東京に電話をした。
そしてタクシーで水上駅まで行って病院に行った。
救急車を呼ぼうと言ったが、渡辺さんはそれを嫌った。
病院で俺も診てもらった。
山の中で痛かったが、打撲だろうと思っていたが右手の小指を骨折していた。
大袈裟に包帯を巻かれた。
渡辺さんは一応診てもらったが、心配だと言う事で入院して貰いたいと言われた。
そうこうしているうちに東京から仲間が駆け付けてくれた。
その中には南米のアコンカグアに一緒に登った医者の田中さんや日本山岳協会の理事もいた。
水上の病院に田中さんを紹介した。
その間に、他の人達は渡辺さん奪還作戦を練り上げ、いろんなところに連絡を取った。
確定した内容は、今日のうちに東京に車で連れて帰り、ちゃんとした脳外科がある病院に入院させるという事だった。
田中さんが病院から必要な薬品や機材を借りて、その日のうちに水上を出発する事になった。
途中、渡辺さんが蕎麦が食べたいと言い出して、高速を降りて沼田の知り合いの蕎麦屋に着いたのは夜の10時を回っていた。
蕎麦をたらふく食べて、深夜に慶應大学病院に入院した。
当直の医者に遅くなった理由を聞かれた。
蕎麦を食べて遅くなったと正直に話すと呆れ顔で見られた。
さすがに各界のエキスパートが揃っているお陰で珍道中は無事に終了した。
翌日俺は、寮の近くの医者を尋ねて小指を診てもらった。
それから2、3週間は大人しくしていたが、谷川岳を思い出すと悔しくなってきて、夜行に飛び乗った。
この前と同じ土合駅から独りで歩き、一の倉沢に着いた。
この前雪崩た箇所を避ける様に登る。
そして、続けざまに現れるオーバーハングを越えて、上部の70度程の壁はザイル無しで登る。
落ちれば500m程のダイブになる。
夕暮れが近づいていた。
途中、陽が落ちて、続いて漆黒の闇が降りてきた。
ザイルを再び取り出して、ヘッドランプの明かりで登る。
100m程でツイタテ岩の頭に着いた。
夜の7時頃だった。
その近くでビバークの準備をする。
準備と言ってもビニール一枚の様な簡易テントの2隅を岩壁に打ち付けて、岩壁とシートの間に潜り込むだけである。
ザックの中身は全て出してお尻の下に敷く、登山靴を脱ぎ、スーパーの袋から食料を全部出して足を入れて縛る。
これで結構温かい。
後は味気無い食事を取り、珈琲、紅茶と代わる代わる飲む。
砂糖をたっぷり入れたが、あまり甘くなかった。
体力が有り余っている証拠だった。
後はする事が無いので、ヤッケの破れを縫ったりした。
眠くなったのでこれまたビニール一枚の様なシートに包まって横になる。
これで寝れるのはセイゼイ2時間だろう。
うとうとしたかと思ったら、やっぱり寒さで目が覚める。
表に顔を出してみると青い月が出ていた。
幻想的な青い光が雪面を照らし、蒼い雪山が浮かんでいた。
風も無い静かな山は蒼く、幽玄さを醸し出していた。
お湯を飲み、また寝る。
目が覚めたのは真夜中の2時過ぎだった。
もう眠れそうも無いので、珈琲を飲み簡単な食事を済ませて、登り始めたのは夜中の4時頃だった。
一の倉尾根を登る。国境稜線に出たのは朝の7時頃だった。
いきなり登って来た一の倉尾根の最後の雪面が足元から雪崩た。
もう少しのんびりしていたら1000m下に落ちていただろう。
国境稜線を辿り谷川岳頂上に立つ。
休む間もなく尾根を下る。
麓に着いたのは午前中だった。
折れた小指がジンジンと痛んだ。
雪が降り出していた。
夕方には東京に帰り、部室に寄った。
すると秋田で会ったなおちゃんから伝言があった。
伝言板にあった電話番号に公衆電話からかけてみた。
東京のホテルにいた。
近くのサウナでシャワーを浴びて部室にあった誰かのジャージを着て、新宿でなおちゃんに会った。
東京には連休を利用して遊びに来たと言った。
居酒屋に入り、ご飯を食べた。
少しお酒も飲んだ。
2時間程して居酒屋をエレベーターで下りた。
降りるエレベーターの中でキスをした。
そのまま、なおちゃんが泊まっているホテルに行ってセックスをした。
なおちゃんは、あまり男と付き合った事がなかったらしく慣れていなかった。
朝までホテルにいて何度かセックスをした。
またそのうち会おうねと言ってホテルを出たが、その夜も次の夜もなおちゃんのいるホテルに行った。
そして何度もセックスをした。
秋田に帰る日に上野駅まで見送った。
ホームでキスをした。
その足で東銀座に行き、田口さんに会った。
『ツイタテ岩を登ったんだって?』
『はい、なんか悔しくて』
『なんか悔しくてって…それで登れる山じゃないぞ!』
『そうですか?』
『全くお前は…で、何日かかったんだ?』
『1日です』
『なんだって?』
『ツイタテ岩を一人で冬に1日だと?』
『はい、ツイタテ岩の頭の横でビバークして、翌日国境稜線を回って…』
『どうやって?』
『ツイタテのオーバーハングの上部はノーザイルで登りました』
『あんなところをか?』
『ただ最後の100mくらいは陽が落ちたのでザイルを使いましたけど』
『また夜か?驚いたスピード登攀だな?それにしても夜行性だな?』
『下りたのが午前中で、夕方部室に帰ったら秋田の知り合いから電話があって…』
『秋田?誰だよ?』
『正月に会った女の子です』
『で?』
『その日の夜に彼女と…』
『ちょっと待て!ツイタテを登って下りた日に女としたのか?』
『そう言う事じゃあなくて』
『そうなんだろう?』
『そりゃそうですけど』
『そうなんじゃないか!』
『そうじゃなくて、そんなに好きだと思わずにしてしまって、少し罪悪感があって…』
『ちょっと待てよ。恋愛相談かよ?』
『ダメですか?』
『お前の山は大人びているのに、好きじゃない女としたって、子供みたいな悩み事を言う。全くお前はなんなんだよ?』
『どれも僕ですよ』
『どちらも楽しめば良いだろう?』
好きでも無い女と楽しめるものかと思ったが、一応ハイと答えた。
俺は数日後には北海道にいた。
利尻岳西壁。
稚内の港に着いたのは日暮前だった。
寒かったが、港で寝るしかないので、水を探していると80才くらい前のおばぁさんが、不思議そうな顔をしてこっちを見ている。
『どっかに水道ないですか?』
『こんな吹きっさらしで水で何するんじゃ?水道管が破裂するから元栓が閉まっているんだ』と札幌とも違うイントネーションで言われた。
『そうですか?飯を食おうかと思って…』
『何しに来た?』
『利尻を登りに』
『独りでか?風の山は今は荒れている。止めなさい。とても独りで登れないぞ』
『やれる事だけやります』
『家にくりゃあ良い』と誘ってくれた。
俺はそんな時は直ぐに甘える事にしていた。
家は港の近くの平屋でおばあちゃんは一人暮らしだった。
古いが落ち着いた日本家屋だった。
子供は3人いて、それぞれ結婚して札幌や旭川で暮らしており、またご主人は数年前に他界したとの事だった。
その晩は魚の鍋をご馳走になった。
魚は何か覚えていない。
でも味噌味でトロトロのスープが旨かった。
お風呂は広かった。
翌朝、おばあちゃんに止められたが、フェリーに乗って利尻に渡った。
波が高かったが、無事に利尻島に着いた。
港から海岸線を歩いて島を半周した。
そこから川沿いに島の中へ入って行く。
暫く行くと林道になり、山道になる。
どんどん登って行くと西壁が圧倒的な迫力で突然目の前に現れた。
夏に下見した時とは全く違う山だった。
雪崩の影響を受けない右の尾根に登り、テントを張る。
そこで雪崩が落ちるのを待ち、チャンスを待つ。
仕事やプライベートでも多々あるが、チャンスはあちこちに転がっている。
そのチャンスをチャンスと思えるか、または、それを掴めるかで人生は大きく変わる。
それには感覚を研ぎ澄ます事と決断力、そして始めたら諦めない事が必要だと思う。
決断力は強い意志と熱い情熱が必要で、何度失敗しても諦めない心が必要だ。
夜もトップリと暮れて寒さが一層増す。
零下20度以下に下がっていただろう。
そこにはおばあちゃんが言った“風の山”があった。
日本海に風を遮るものがなく、冬風は利尻島に吹き付ける。
海からいきなり2000m立ち上がっている、それが利尻富士だ。
暖かい空気は冷たい方へと流れる。
日本海に入った暖かい空気はオホーツクに向かって一気に駆け上がり、独立峰の利尻島にぶつかる。
だから“風の山”なんだ。
山では風は怖い。
いきなり前触れもなく吹く風は人を吹き飛ばしたり、雪面に振動を与えて雪崩を引き起こす事もある。
星のまばたきは星自身の爆発にも因るが、空の空気の流れによってもきらめく事もある。
だから星は風の動きを教えてくれる。
うとうとしていると、ドーンと壁から多くの雪が剥がれ落ちた。
10分ほどで準備をして走る様にして登り始める。
ゼーゼーいいながらあっという間に壁に取り付いた。
真夜中の1時だった。
真っ直ぐに雪壁、氷壁、岩壁と表情が変わる壁を登る。
休みも取らずに、ザイルも使わずに登る。
登り始めて5時間くらいして5m程張り出したオバーハングの下に着いた。
喉がカラカラだった。
そこで始めて休憩を取る。
休んでいるとオバーハングの左側から雪崩が落ちていった。
オバーハングが自然の屋根となって、雪崩にぶっ飛ばされなくて済んだ。
休むのを止めて雪崩の落ちた左側からオバーハングを越える。
越えるとそこは大きな雪面が広がっていた。
そこから体力の限りにスピードアップする。
傾斜は50度程だが、いつ雪崩れるかわからない程に雪は不安定で大量に積もっていた。
さらに明るくなってきた。
風は登る程に強くなる。
気温の上昇と強風は雪面を痛めつける。
山は雪崩を望んでいた。
心臓が飛び出す程の苦しさを味わいながら相変わらず膝上まで潜る雪を必死に掻いて登った。
どこまで続くんだ。
もうダメだと思いながら登った。
喉は渇ききっていた。
すると目の前がふっと開けた。
頂上近くの稜線に着いた。
助かったと思った。
しかし今度は吹き飛ばされそうな風との闘いが始まる。
なんとか山頂に着いたが、飛ばされそうなのでそのまま通り過ぎて下山にかかる。
11時頃だった。
休まずにどんどん一般の登山道を下る。
森林限界にたどり着いた時は陽が沈みかけていた。
まだ3時過ぎなのに北国は陽の暮れが早い。
木々に風から守って貰おうと、さらに下った。
カラカラな喉は水分も与えられず酷使されていた。
尾根を東側に回り込み風が無い場所でビバークをする事にした。
もう6時を回っていた。
17時間休まずに登って下りてきた。
水筒の水を飲み干し、さらに雪を溶かして水をたらふく飲み、珈琲、紅茶、珈琲、紅茶…全部で3リットル程飲んだだろうか。
水分が細胞に行き渡り、ほっとしたら今度は体から蒸発する水分はその気化熱で体温を奪われる。
寒さが一層強まった。
ビスケットを2、3枚食べて乾燥米を炊いて塩だけを振ってお粥状にして流し入れた。
夕食が完了したのはもう夜の10時頃になっていた。
寒さの中で震えながらうとうとする。
夜中の1時頃に寒さで目が覚めた。
眠ろうと思っても眠れないので、出発する事にした。
ヘッドランプの明かりで重い体を引きずる様に下った。
海岸線に着き、テントを張った場所まで戻る。
海を見ると東側は流氷に覆われていた。
ボーッとまずいなぁと思いながらアスファルトの道を歩く。
テントに着いたのは午前中の9時頃だった。
テントに潜り込み、お湯を沸かしながらお茶を飲んだら睡魔が襲ってきた。
2日間で5、6時間しか寝ていないから当たり前だった。
それに登れた事で気が弛んでいた。
羽毛の寝袋に入ると直ぐに寝入った。
目が覚めたら夜だった。
たらふく食糧を腹に入れた。
そしてまた寝た。
次に目が覚めたのは明け方だった。
のんびりと朝飯を食べて出発した。
雪が降ってきた。
登った西壁はドーン、ドーンと何回も雪崩れていた。
海岸線のアスファルトの道に出ると流氷が多くなっていた。
港に戻ると人影は無くなっていた。
後で知ったが、冬場の島民は道内で暮らし、流氷が無い時に島に来て漁や家の仕事をしているらしい。
流氷は港まで入り込み、とても船が来る様な感じは無かった。
来た道を少し戻って、テントを張って船が来るのを待つことにした。
雪が降っていたが、風は横殴りでブリザードの様相を呈していた。