全身ひどいアトピー性皮膚炎だったが、
糖分を含むソフトドリンクを飲むのを止めたら劇的に治った。
たとえば、砂糖やブドウ糖を含む炭酸飲料や、甘い缶コーヒーである。
現在、入浴後、体に保湿剤を塗らずに生活ができるレベルになった。
炭酸ジュース500mlや、カフェラテのようなものを
頭をシャキッとさせるために、毎日たくさん飲んでいた。
体が慣れれば、砂糖がなくても、集中力に問題はない。
無糖の炭酸やコーヒーは飲み続けているが問題なし。
大量の砂糖は、腎臓などの臓器の負担になっていたのだろうか?
全身ひどいアトピー性皮膚炎だったが、
糖分を含むソフトドリンクを飲むのを止めたら劇的に治った。
たとえば、砂糖やブドウ糖を含む炭酸飲料や、甘い缶コーヒーである。
現在、入浴後、体に保湿剤を塗らずに生活ができるレベルになった。
炭酸ジュース500mlや、カフェラテのようなものを
頭をシャキッとさせるために、毎日たくさん飲んでいた。
体が慣れれば、砂糖がなくても、集中力に問題はない。
無糖の炭酸やコーヒーは飲み続けているが問題なし。
大量の砂糖は、腎臓などの臓器の負担になっていたのだろうか?
ゲームや映像のようなデジタルな娯楽の業界は、近年急速に発展した。
ゲームボーイやファミコンにあった自由度の少なさや、操作のしにくさ、システムのめんどくささは、ほとんどなくなり、
魅力的なキャラデザインや作りこまれたストーリー、性的なコンテンツも本当に充実してきた。
映像に関しては、ICTにより、自分の興味のある番組の時間を待ったり、録画をする必要はなくなり、コンテンツにおいては、ICTによる表現の幅の大幅な拡大や、CG技術、アニメ制作によって、これもまた凄まじい魅力と感動、中毒性を生み出してきた。
これらの魅力は、もはや人間の持つ自制能力の限界を超え始めている。
今まで一部のネットオタクや、マニアだけが感受してきたこれらの享楽を、今では、何の技術も持たない大多数の一般人が得られるようになった。日常生活に大きな支障がこれから生まれてくることだろう。その依存性は、薬物依存のレベルに近づきつつある。
我々現代人は、どのようにして、娯楽を適度に自制し、すべきことを十分に行えるか、一度、科学的に精査しなくてはならない。
この依存性の問題 は、もはや哲学の領域を超えており、科学や医療、政治によるシステム作りといった実践的な領域に突入している。
ここ数週間、コロナウイルスがパンデミック状態だが、こんな声が多い。
「政府は何で早く対処しなかったんだ。」 「政府が何もしなかったせいだ。」
そのようなことを平気で言える人間が多すぎる。
自分では何も行動を起こさず、政府の施しがあることを当たり前だと思っている人間が多すぎる。
緊急事態に、他人など当てになるはずがない。
当事者ではないのだから、政府が事を認識し、行動に移すには、時間がかかる。
自分の身を自分で守る程度の最低限の主体性のない人間にはなってはいけない。
この緊急時にも関わらず、
必要もないのに人込みに分け入る不用心で間抜けな人間は数えたらきりがないことも留意しなければならない。
・部屋の掃除を細目に行い
・空気清浄機をかけ
・洗濯は洗濯石鹸
・入浴も純石鹸
・肌着は綿
・エアコンを新品にする
・ビタミン剤、乳酸菌、オメガ3の油などのサプリを飲む
・皮膚科にも通う
・殺虫剤を除去
↑にもかかわらず、全然改善しないアトピーに煮え湯を飲まされる生活。ここ1年、本当に限界だった。
ところがどっこい、偶然、アトピーの原因らしきものがわかった。
ずばりいうと、「乾燥」である。
しかし、この乾燥は、普通の乾燥と少し違う。乾燥のされ方が盲点だったのである。
①閉め切った部屋で、②エアコンをかけ、③PCを長時間起動すると、信じられないレベルで肌の水分が揮発していくのである。
さらに我が家は、土壁で水分が壁に吸収されるので、部屋にいるだけで、全身にドライヤーをかけられているような状態になっていた。
偶然それがさっきわかった。
昨日は、寒くなってきたので、部屋を閉め切り、エアコンで部屋を暖め、PCをして一日過ごしていた。
朝、目が覚め、肌の調子が悪く入浴をして体に薬を塗ろうと思ってシャワーを浴びたのだが、石鹸で全身を少し丁寧に洗いすぎた。
きれいに体の水分をふき取り、寒い廊下を通って(この段階では、ほとんど痒くない)、
部屋に入った瞬間、全身の表皮が急激に乾いていくのがわかった。そして、信じられないレベルの痒みが全身を襲った。
ヒルドイド(保湿液)とメンターム(主にワセリン)をつかみ、すぐに寒い廊下にでると痒みは半分くらい静まった。
全身にヒルドイドを塗り、ひどい幹部はメンタームを塗って10分ほどじっとしていると、症状はほとんど治まった。
部屋に入ると、やはり皮膚がピリピリする。窓を開け換気をして、騒動は終結した。
これからは、寒かろうが暑かろうが換気をして、外の自然の空気、自然の湿度を部屋に取り込もうと思う。
早朝には清々しさというものが確かにある。
この清々しさとは一体なんであろうか。
それは他人の不在である。
他人というものは実に煩わしい。
人間が多いと、ごみごみとしいて不快である。
人間不在の静けさは、何ものにも変え難い。
なぜなら、何もないことに価値があるからである。