一世代前のWindowsデフォルトフォントはメイリオだった。
なんかダサいMSゴシックから、一気に世界が変わった気がして、当時作成する資料はすべてMSゴシックをやめてメイリオに切り替えた。
似たような革新が再度起きて、自分の中でのスタンダードフォントは游ゴシックに塗り変わった。
今は資料作成は基本的にはすべて游ゴシックを使っている。
だが未だに多くの人がメイリオを使う。
それが悪いとは言わないが、今となっては何も考えずに選んだら游ゴシック、となっていないのが不思議だ。
そこに意思があるなら別にいいんだけど、そうではなくて、ベースにしている資料がメイリオだっただけ、ぐらいの見え方をしている。
フォントは明瞭だが、意思は無く不明瞭に感じる。