ビクトル、僕はその名を、
20年近く経っても忘れることがなく、
その彫りの深い眼窩の奥の、
心情のうかがいしれない瞳を、
彼の真意が知りたくて覗き見ていたのを、
今でもはっきりと思い出すことができます。

その記憶には、
いつも薄暗い、
蛍光灯をぼんやりと反射させた
リノニウムの廊下の風景がついてまわりました。
それは常に夜でした。
当然ながら、
僕らは深夜の仕事をしていたわけで、
それが非日常的でもあったし、
日常という、ある種普遍的な生活というものが、
どこか遠くの営みにも思えていました。


僕はやはり、
とても当時の自分が
無知であったことを思うのです。

例えば彼らが、
自国ではそれなりの金持ちで、
テロに脅かされ、
日本を目指し、定住を考えていたことや、
そうではなく、
本当に貧しくて、
自分の曽祖父や先祖の地である日本で、
安定した暮らしを望んでいたことを、
何も知らずに、
ただ異国からの労働者としてしか
見ていなかったかもしれません。

僕は彼がどういうバックグラウンドの元に、
この国に暮らし、
僕らに接していたのかを、
なにも考えていませんでした。


ビクトルは僕に声をかけられるのを、
ひどく恐れていて、
視線も合わせず、避けていました。
それでも僕は、
ある日の終業後に、
仲間の輪の中にいた
彼の肩に手をかけました。

ビクトルは僕を見た瞬間、
びくっとしましたが、
奥で話そうと促すと、
黙ってついてきました。
「どうしてかなあ、野田に聞いたら、
俺がビクトルに
騙されてんじゃないかって言われて、
野田はなんにも知らないって」
と、僕が話している途中で、
彼は僕ににじり寄ると、
「ウソ、それウソ」

一体、何があるんだろう、
僕は彼をじっと見つめて、

「何が嘘なんだろう、
野田が、嘘ついてる?」
ビクトルは大きく、
オーバーな仕草で何度もうなずき、
「そうそう、あの人、すごくウソ、
すごくウソついてる、
お金全部あの人もらってる、
活動資金だから、
それでもらってる」
「活動資金?なにそれ?」
僕は眉間に皺を寄せます。
ビクトルは口から、
香辛料のような匂いを出して、
「ニッポンの、ペルー人会のお金、
その活動のお金、
野田さんは、リーダーだから、
みんなから集金するから」

ここでついに、
僕はただ弁当製造工場で
アルバイトしているだけの、
単純労働者の一群と思えた僕らの中に、
活動資金を必要とする、
今まで知らなかった世界が
あったことを知ったんです。

僕はビクトルの厚い腕を、
両手で掴むと、
「なんだよ、その活動って、教えてよ」
そう口にしました。
ビクトルは一瞬躊躇して、
周囲に目を配りましたが、
「今日、時間あるか?」
と聞いてきました。

僕はこくりと頷きます。
朝の9時過ぎです。
夜にはまたここに戻ってくるわけですが、
まあ、日中は時間があります。

ビクトルは、
着替えてから正門のところで、
そう言うと、
背中を向け去っていきました。

 

プロジェクト368日目。
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<span style="color:#ff0000;"><strong>2019/7/12 368日目</strong></span>
■kindle 本日0冊 累計75冊 達成率0.71% 
■文学賞公募作品の執筆状況 1作目半分くらい ※まだ賞は未定
■kindleアップのため『桜の闇』を推敲中
 158ページ中50ページくらい了
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kindleでは「セノイピープル」「バスストップ」「悲しきウスバカゲロウ」が読めます→
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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html
 

深夜のお昼休憩の時、
いつものように
番重からおにぎりを買っている時、
野田はじっと僕を見つめ、
「話あんだろ、聞くよ」
と言いました。
僕はみなが

おにぎりを買い終わるのを
その場で待っていました。

アルバイトの同僚がひけた後、
野田はまた僕をぎろりと見て、
「あっち行くか、」
と着いてくるように言いました。
薄暗い廊下を
彼について歩いていきます。
野田は背が低く、
こんもりした背中をしていて、
Tシャツ越しに、
歩くと肩甲骨のあたりが
揺れていました。

僕らが普段入らない、
別の部屋、
おそらく野田たちの

控え室であろう部屋に入りました。
六畳ほどの部屋で、
冷蔵庫やテレビ、
事務机がありました。
彼は机に座り、
僕は向かいのパイプ椅子に

腰を下ろしました。
座るとすぐに野田は、
「あいつが何言ってたって」
「あいつ?」
「ビクトルだよ」
煙たそうな顔して言います。
「ああ、」
僕は一息入れると、
「ヘモグロビンパスタです。
あれを、ビクトルから買っていました。
普通に薬局じゃ買えないって言われて、
それで、あいつが仕入れてくれるって言ってて、
いつも1個2000円払ってたんですけど…」
僕が淡々と話していると、
徐々に野田の青黒い顔が、
険しくなっていくように思えました。
僕は少しだけ怯みながらも、
「ほんとは、こないだ薬局で見たら、
それ、460円くらいで売ってて、」
「で?それがどしたって」
彼は背もたれから腰を離し、
前のめりに僕に顔を近づけてきます。
「いや、その、ぼったくりだから、」
「へへっ」
と、野田はつやっぽい笑い声を上げて、
「騙されたお前が悪いんだろそれ、」
「そうですかね…、

金返せって言ったんです、
そしたら、返せないって、」
「だから騙されたお前が悪い、」
僕はその言葉を遮って、

声を大きくすると、
「いえ、返せないのは、
全部野田さんに渡してるからって、」
ここまで話しきって、
それで、
はっきりと野田の顔つきが
変わったのがわかりました。


平静を装おうと

しているようでもあるし、
僕を明らかに威嚇する、
威圧的な視線でした。
「誰がんなこと言った?」
野田はまたぎしっと椅子を鳴らし、
ふんぞり返りました。
「だから言ってんじゃないですか、さっきから、
ビクトルが言ってましたって」
僕の性分なのか、
向こうが威圧的だったりすると、
どうしても反抗的な態度になってしまいます。
「なんて?」
こいつ、馬鹿にしてるんだろうか、
僕は机に音をたてて両手をつくと、
「あんたに払ったから、返せないって、
ビクトルが言ってたんですよ、
だから金返してくんないですか?」

とうとう、はっきり言ったんです。
緊張していました。
こういう場面は、

誰でもそうでしょうが、
僕だって好きじゃありません。

野田は、しばらく黙って、
天井を睨むような仕草をしていました。
5分もそうしていたでしょうか、
いや実際は、

ほんの数10秒だったかもしれませんが、
ようやく野田は口を開き、
「お前さ、あいつの言ってること、

信じられるか?」
「え?」
「だからさ、あのペルー人の言ってること、
全部信じてんのかって」
「…」
野田も腕を組み、
机に寄りかかるように

距離が近づいています。
彼は続けて、
「だいたいよ、1500円だろ?
それで何個買ったよ、5個くらいか、
で、7500円、俺が必要に見えるか?」
どういう意味なんだろう、
僕は野田の威圧的な視線から目を離さず、
じっと見つめます。
「俺はいらねえよ、そんくらいの金、
パチンコで1時間で無くなるような金、
考えてもみろよ、あいつらなら、必要だよな、
そこでなんで俺の名前が出てくるのか、
全然わかんねえんだよ」

そうなんだろうか、
ビクトルが

嘘を吐いているだけなんだろうか、

僕はあの洗面所での、
震えたように目を潤ませていた、
日系ペルー人の表情を思い出していました。

「お前さ、騙されたんだよ、
あいつは言い逃れようとしたんだろ、
だいたい気づかずに何個も買ってんだから、
気をつけた方がいいぞ」

ああ、これは、
言いくるめられてるってことでしょうか、
それとも、、、

僕は真相がよくわからずに、
野田がもう行けと顎でしめすので、
そのまま部屋を出て行きました。

バイトはどうやら、
そのまま続けられそうです。
でも、ビクトルには

もう一度問いただしてみよう、
そう、廊下を歩きながら考えていました。

 

プロジェクト367日目。

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<span style="color:#ff0000;"><strong>2019/7/11 367日目</strong></span>
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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html

僕らはとうとう引越しを果たしました。
これが、そもそも弁当製造工場で
深夜に働き始めていた目的です。

ところが引越ししても、
しばらくはこのバイトを続けていました。
特になにか、
というものがなかったからです。
それに給料もいいので、
なんとなくやめる機を逸してはいました。

これでいいのかってのはあります。
ただ、
この頃の僕には、
恐ろしく目的がありませんでした。
小説は、書こうにも、
そんなすいすいやってたわけでもなく、
全てが停滞していたのです。

毎日、仕事のあとに、
冬の朝の、薄日を見上げながら、
このままでいいのかな、
なんて考えることもありましたが、
全ては、
ただ過ぎていく時間に、
麻痺したように流されていくだけでした。

そんな時期のことです。
あの、
ヘモグロビンパスタの事件があったのは。

僕とコイちゃんは、
仲買をしていたビクトルが、
1500円のピンハネをしていた
薬剤を買わされていたわけです。

それを問い詰めた僕に、
ビクトルは、
影で尾を引いている野田の名を告げました。

野田は、僕らが雇われている、
派遣会社の社員です。
彼にこのことを言及するのは、
ある意味、
僕がここにいられなくなる可能性を
意味していました。

引越しが済んで数日後のことです。

僕はなんの予兆もなしに、
最初の集合の時に、
野田に向かって、
「ビクトルから聞いたんですけど、
あの…、ヘモグロビンパスタ」
と、そこまで言っているそばから、
彼の目つきが変わりました。
「…」
無言で僕を見ています。
少し、怯みました。
それでも僕は、
「なんかぼったくられてたみたいで」
そこまで言っている途中で、
野田はぐっと顔を寄せて、
「あとで話すか、あとで」
そう力を込めて言いました。

それで、
そのまま仕事に入りました。
僕はラインから外れていますので、
コイちゃんやサトちゃんと、
日系ペルー人たちに混じって、
仕込み部屋に入ります。

そこで額に汗を滲ませながら、
フライヤーから上がってくるから揚げを、
ひたすら鉄の箸でつかんでは、
トレーに並べていきます。

もしかしたら、
今日でこの仕事も最後かもしれないな、
でもまあ、
ぼったくられたお金返して貰った方がよいし、
なにより、
野田が何考えているのか、
もしかしたらビクトルが
嘘吐いてるかもしれないし、
その真相を探る方が楽しいかもしれない、

僕は熱を帯びた部屋の中を見渡しながら、
そんなこと考えていました。

 

プロジェクト366日目。

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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html

さて、弁当製造工場でのアルバイトが、
風雲急を告げそうな空気ですが、
いったん寄り道して、
引越しの話をしようと思います。

僕はもし野田に、
例のヘモグロビンパスタの話をふっかけるなら、
そもそも
このバイトをした目的だった、
引越しが終わってからと
決めていたのです。

前にも触れましたが、
僕とサトちゃんと順平は、
最初、西川口に住んでいました。
狭い部屋です。
ドアから一直線に窓まで続く部屋です。

たぶん、22平米くらいしかなくて、
よくまあ、
大柄な男3人で暮らしていたものです。

そんな窮屈な生活から、
夜中の弁当製造工場で
せっせと働きお金を貯め、
僕らはとうとう広い部屋に引っ越すのです。

みな浮かれていました。

もちろん僕らは
引越し業者なんて頼まないので、
軽トラックを1台借りてきて、
それで何回かにわけて運び出します。
とにかく体力がありあまってる僕らは、
冷蔵庫でもテレビでも、
せっせと階段から下ろして、
運び出していきました。

冬の曇天の一日でした。
いい感じにうっすらと汗をかいて、
新しいアパートの外観を眺めていました。

また3人での
シェアルームが続いていって、
一体その先に何があるのか、
また、明日から
あの薄暗い
弁当製造工場で働くんだ、
僕は、
そう考えていたものでした。

今日は少し短いですが、
このへんにしておきます

明日から、いよいよ弁当工場での、
後編がはじまります。

 

プロジェクト365日目。

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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html

野田さんは

けしていい人には見えませんでしたが、
それは無愛想で、
僕ら派遣で単純労働している若者を
根本的には軽蔑しているだけであって、
何か金銭に絡んだ、
悪いことしてるって
感じじゃありませんでした。
それがまあ、
麻薬とかじゃなくて、
男性ホルモン剤ってとこが、
なんとも言えない部分ではありますが。

その日の帰り(つまり朝)です。
バイク置き場で単車にまたがりながら、
サトちゃんは、
「どうすんの?野田さんに言うの?」
と、心配そうに僕に聞いてきます。
僕は、少し考えていましたが、
「まあ、言うしかないかな」
「でも…、」
「だって言わないと、

お金返ってこないんでしょ、
ビクトルは全部渡してるって言ってたじゃん」
「いやでも、首になっちゃうかもよ」
僕はそう言われて、
「ふふっ」
と軽く笑って返しました。
サトちゃんは、
はじめ僕らが

このバイトをやるって誘った時、
先にやっていた警備員を

続けると言っていたのです。

それに、、、
僕は単車置き場の

錆びたトタン屋根越しに、
空を見上げました。
眩しくて、

ふと目を細めて、、、、


僕はふと、考えるのです。
いったい、

何にしがみついているんだろうか、
首になるのが怖くて、
野田に何も言わないとしたら、
それで安心できるものなんだろうか、
今を凌ぐだけのアルバイト仕事で、

人間とは、
つくづく帰巣本能に結びつくというか、
馴致性のある動物です。
一時的にでも、落ち着いてしまうと、
そこにしがみつきたくなって、
次に行くことが

億劫になってしまいます。

僕はしばらく黙っていました。
少し遅れて、

順平も単車置き場にやってきました。
僕らが黙りこくっていたので、
「どしたの?帰んないの?」
「吉牛寄ってく?」
サトちゃんが返します。
僕はうなずきました。
労働のあと、

腹が減っていました。
続けてサトちゃんは、
「ね、せめて引越し終わったらにしたら」
そうです。

僕らは敷金礼金を貯めて、
いよいよ2週間後には、
新居に引越しをするのです。

終わったらというのは、
引越しが済んでから、
野田さんとことを起こせばってことです。

たしかにね、
僕はそう思って、
大きくうなずくと、
「そうだね、その後ならよいかもね」
それで、順平は

僕とサトちゃんを代わる代わる見て、
「え、なに?なんのこと?」
「後で話すよ、」
僕はそう言うとメットを被り、
単車のエンジンをキックしました。


プロジェクト364日目。

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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html

しがない弁当製造工場でのアルバイト。
1日は誰しも
平等に24時間あるわけですが、
そのうちの半分、12時間を
工場内に身を起き、
それも夜の9時から
翌朝の9時という、
完全に真逆な生活、
肉体的にきっついわけじゃなかったですが、
業務内容による、
ラインのヒエラルキーと、
仕込み部屋での、
単調で、
多少の火傷をともなう仕事、


その頃僕は、
作家になりたいという気持ちを、
徐々に抱いていたものの、
社会の底辺に生息し、
半ば喘いで、
地下の下水のドブさらいをしながら、
地上を闊歩する、
僕らの上の労働階級層を仰ぎ見ている、
そんな気がしないでもありませんでした。

気持ちがそんなに切羽詰って、
追い詰められていないのは、
ただ、自分がまだ若いということ、
だから抜け出せるんじゃないかという、
根拠のない可能性を
感じているからなだけでした。

そんな僕らが、
自分達よりさらに劣悪な環境を
知ることになります。

それが、
自らのコンプレックスだったヒゲにまつわる
ヘモグロビンパスタであったことは、
皮肉といえば皮肉なんですが、

まあ、さておき、
深夜の工場のトイレで、
ビクトルを追い詰めたことによって、
今まで知らなかった環境を
僕は垣間見て行くことになったのは事実です。


「お金足りないから」
ビクトルは、
僕によって乱されたTシャツの襟元をいじりながら、
搾り出すように言いました。
「足りないって、
金返せないってことかよ」
僕はまた少しいきり立って、
彼に迫ります。
ビクトルは両方の手のひらを僕に見せて、
まるでそれは、
降参のポーズのようですが、
「ないから、もうなくて、」
「どうしてだよ、」
「上げちゃったから」
「え~誰にだよ~」
コイちゃんもビクトルの前まで来ると、
不服そうな声を上げて、
「4倍だよ4倍、」
「あの塗ってたやつ?」
ようやく事情を飲み込んだみたいな
サトちゃんも口にします。
ちなみに彼は、
ヒゲとかそういうの大嫌いで、
ピンセットでアゴヒゲを抜くようなやつです。

僕はサトちゃんをちらっと見てから、
またビクトルに向き直り、
「誰に上げたんだ?
ドラッグ売買してる組織でもあるまいし、
誰?女の子?」
そう口にしていて、

ふと、
ひょっとすると、
組織的犯罪?
なんて考えてしまいました。

ビクトルは、観念したように、
「野田さんだよ、
野田さんに渡さなきゃならないでしょ、
だから…、それ全部」
「野田さん?誰だよそれ?
どこの女の人?」
僕が言うと、
横からコイちゃんが、
「野田さんって、リーダーの野田さん?」
そう口に出しました。
「え?なにそれ?」
僕は驚きを隠せず、
大きな声を出していました。

野田さん、
この『溺れる時代』編、
弁当製造工場の話が始まる時に紹介したのを、
憶えている読者の方は
いらっしゃるでしょうか?

派遣会社のリーダーの人で、
僕らは彼を通じて、
給料の支給から出退勤の管理など、
その全てをやってもらっているわけです。

おそらく派遣会社の社員でしょう、
ただ、ずっとこの弁当製造工場にいるようで、
たまに中の手伝いなんかをしたりして、
工場直雇のおばちゃんや、
正社員とも話をしている人なのです。

僕らのヒエラルキーからすると、
かなり最上位にあって、
僕らは、
手続き上会話はしますが、
冗談なんか交わしたこともないし、
いつもむっつりして、
得たいの知れない
30代後半くらいのおじさんでした。

「あの人がなんで…」
僕が顔をしかめると、
ビクトルは、
もう諦めたのか、
「給料少ないって話したら、
自分でもっと稼がなきゃって、
クスリ売るの教えてくれて、
それでさ、渡されて、」

いつも休憩になると、
番重(弁当なんかを入れる平たい大きなトレー)に
おにぎりを詰めて、
1コ50円で僕らに売りさばいている
彼の姿が思い浮かびました。

プロジェクト363日目。

――――――――――――――――――――――――――――
<span style="color:#ff0000;"><strong>2019/7/7 363日目</strong></span>
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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html

再び、深夜の、
弁当製造工場のトイレです。

サトちゃんとコイちゃんがいて、
ビクトルが洗面所の鏡に向っていました。
僕は彼が鏡に見入って、
小鼻のわきの吹き出物を
しきりにいじっているのに見入っていました。
「なにどした?」
ビクトルは鏡越しに言います。
僕は自分の鼻の下をなぞって、
「ヒゲ、全然生えなくってさ」

そうして、思い出すのは、
毎朝(昼夜逆転してますから、夜のつもり)、
シャワーを浴びたあとに、
必死にヘモグロビンパスタを
塗りつけている自分です。

僕は特に口ひげが繋がらなくて、
コイみたいになるのがいやで、
せっせと鼻の真下に塗っていました。
思いは、強い気持ちとなり、
擦りすぎたのか、
僕の鼻の下の真ん中は、
今では薄っすらと赤くなっていました。

僕はそれを鏡でも確認して、
なんだかあほらしい気持ちと
自嘲的な感じが混ざって、
「ふふっ」
と短く笑いました。

「効果ね~、でるまで時間かかるよ、
お風呂上りね、毎日だからさ、
もうない?」
「もう?」
僕は、鏡の中の、
ビクトルの影になった
目の奥をじっと覗き込みます。
「クスリ~、もうないの?」
彼の声は、
あくまでいつも通りの、
おどけた感じです。
僕のいつにない態度には
気づいていません。
「また買ってくるから、言って言って~」
「あるよ、」
僕はそう口にすると、
彼の肩を掴み、
僕の方に向かせると、
手にもっていたチューブを見せました。
いきなりだったので、
ビクトルはきょとんとして、
手のひらと僕の顔を交互に見て、
「どしたの?なんか怖いね」
「これさ、500円しなかったよ、
薬局で普通に売ってた」
僕は静かな口調で、
しかし狭いタイル壁のトイレに
よく響く声で言うと、
いきなり彼の胸ぐらをぐっと掴みました。
「どうしたのどうしたの~」
ビクトルは洗面台に押し付けられながら言います。
コイちゃんとサトちゃん、
すぐに走りよってきました。
「それほんと?花ちゃん」
とコイちゃん。
鏡に2人が映っています。
サトちゃんは呆然と僕を見つめています。
こんな時、
彼は止めに入っちゃいそうなんですが、
僕は鏡越しにサトちゃんをきっと睨んで、
絶対止めるなと目で制していました。

「お前さ、どういうことだこれ?」
ぐぐっとビクトルの胸ぐらの手に、
力を入れました。

計算してみるのです。
ビクトルからは、
すでに5回は購入していました。
1500円×5、
7500円の不当な利ざやを
彼に支払っていたことになります。

「返せよ金、1万円くらいになる、返せ…」
さらに彼に言い寄ると、
ビクトルは困惑した顔をして、
僕をじっと見つめました。

この時、ようやく僕は、
彼の分厚い胸板を
思い出していました。
やばい、やってしまった、
抵抗されたら、一巻の終わりです。
ここはビクトルに
気持ちで勝っていくしかありません。

「どうしてこんなことした?
普通に売ってるし、全然安いじゃねえか」
ビクトルは首を振って、
「知らなかった知らなかっただけ、
ほんと、知らなかっただって」

そんなことないでしょう。
彼はあきらかに嘘を吐いています。
僕は彼の瘤のように盛り上がった腕を、
両手で力いっぱい抑え込むと、
「言えよ、金どうしたんだ、
返せるよな、いいか?
こういうの犯罪だぞ、
警察とかに捕まるんだぞ」
「やだやだ、」
ビクトルの瞳が潤んでいました。
それで、
僕の胸にも熱いものがこみ上げてきました。
しかし、弱みを見せてはいけません。
「警察に連れて行く、そしたらお前、
日本にいれなくなるけど、いいか?」
「そうなの?」
背後で固唾を呑んでいた
サトちゃんが言いました。
僕は、ちらっと後ろを見て、
「当たり前じゃん、こんな犯罪したら」
ビクトルはもう泣き出していました。
「やだ、いやだ、言わないで」
「じゃあ言え、なんでこんなことした?
金も返せ」
彼はもがくように大きく頷きました。

それで、
僕はとうとう彼から手を離しました。
抵抗されなくてよかったです。
僕の手には、
びっしりと汗が滲んでいました。

ビクトルは洗面台に寄りかかったまま、
「お金、必要だったから…」
そう、話し始めました。

プロジェクト362日目。

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<span style="color:#ff0000;"><strong>2019/7/6 362日目</strong></span>
■kindle 本日0冊 累計75冊 達成率0.71% 
■文学賞公募作品の執筆状況 1作目半分くらい ※まだ賞は未定
■kindleアップのため『桜の闇』を推敲中
 158ページ中50ページくらい了
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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html

1本2000円の
ヘモグロビンパスタのチューブ
まあ、塗り方にもよりますが、
大体2週間くらい、
毎日せっせと使って、
空にしていました。

それで、
またビクトルに頼むと、
翌日には彼は新しいのを持ってきてくれます。

どんな効果が出たのか、
結局その時は
あんまりわかってなかった気もします。
なんとなく、
薄毛も生えてきた感じもしてましたが、
単なる生理的なものだったかもしれません。

かくもコンプレックス商法は、
うまく出来ています。

効果なんて
胡散臭いものかもしれないのに、
売られる方は、
藁にもすがる思いですから、
効果があったような気分にもなるし、
やめたら減速してしまう気分にもなるし、、、

少なくとも僕とコイちゃんは、
この時点では、
その効能を信じていました。

何度か、
ビクトルから購入します。
その何度目か、
僕はとうとう聞いたのです。

「これ、薬局で売ってないの?」
彼からいちいち買うのも
面倒だったからです。
ビクトルはその深い眼窩を、
少しだけ俯けると、
「だめだめ、売ってくれない、
ちゃんとキョカショないと、買う、ないない」
「きょかしょ??」
「そう、ちゃんとね、キョカショ」
「許可証?」
「そうそう、「それにね、

どこでも売ってるわけじゃない、
専門店でやってるから」
「…」

どういう意味だろう、、
なんの許可証だろう、
そもそも、ビクトルが持ってて、
僕らが持ってない許可証ってなんだろう、
病院で出してもらう診断書みたいなものでしょうか、、

僕はこの時になって、
ようやく彼に不信感を抱きました。

そうして、
ある日思い立って
駅前の薬局に足を運びました。
弁当製造工場のアルバイトが終わった、
夜勤明けの午前中です。

なんとなく店員に聞くことが出来なくて、
僕は棚をしらみつぶしに、
上から下へと眺めていきます。
どんなジャンルに属するのかも検討つかず、
とにかく全部の棚です。

1店舗目、2巡探して、
見つけることはできませんでした。
そもそもビクトルは、
いつもチューブで渡してくるので、
その箱の外形とかは

全然分かっていないんです。
 

僕は心の中に、
ヘモグロビンパスタ、
そう何度も唱えました。

2店舗目、
もう少し大きなチェーン展開しているドラッグストアに
足を運びました。
「あ…」
僕は思わず呻くように声を上げていました。

ありました、
ヘモグロビンパスタ、、、
白地に緑色のラインの小さな箱です。
それを手にする僕の手が、
小さく震えています。

これさえあれば、、、

ちょうど近くを通った店員に、
おそるおそる、
「あの、、、これ、

僕にも売ってもらえますか?」
ビクトルの言っていた診断書を気にしたのです。
ところがその中年の女性の店員は、
小首を傾げて僕の示す商品を見て、
「はい、どうぞ」

そしてレジで商品を出すのです。
店員は箱についているバーコードを読み取り、
「469円です」
そう、はっきりした声で僕に言いました。

 

プロジェクト361日目。

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<span style="color:#ff0000;"><strong>2019/7/5 361日目</strong></span>
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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html
 

ここ数日、
僕は端的に、
自らの毛に対する半生を、
しょうもないと知りつつも、
書き綴ってきました。

読者の皆さんには、
並々ならぬ僕の毛への意識だけは、
感じ取ってもらえたかと思います。

そんなめくるめく毛にまつわるエトセトラから、
僕は20代半ばを迎えていました。

体毛はそれなりに生えていました。
僕のコンプレックスであった、
男性らしさのなさも、
徐々に回復しつつありながら、

あとは、
ヒゲでした。

ここは賛否両論あるところと思いますが、
僕は断然、
ヒゲが男のシンボルであると考えています。

清潔感がない、
今っぽくない、
色々意見はあると思いますが、
僕は断然、ヒゲがほしかった、
それだけです。

さて、
話を弁当製造工場に戻しましょう。
僕とコイちゃんは、
最初はビクトルから使いかけの
ヘモグロビンパスタをもらい、
自分の毛のほしいところに塗っていたわけです。

コイちゃんも、
毛穴がほとんど確認できないほど、
薄いヒゲをしていました。

1本しかチューブはないので、
日替わりで家に持って帰ります。
ビクトルが風呂上りなんかがいいと言うので、
家に帰ってシャワーを浴びた後に、
生えてほしい顎のラインや、
口の上に塗りこんでいきます。

そんなに大きなチューブではありません。
それは10日ほどして無くなりました。

工場のトイレで、
コイちゃんと鏡の前に並んでいます。
「どう、ちょっと濃くなったかな?」
コイちゃんが少し首を上げてみせます。
見たところ、

何も変わっていません。
そもそも濃くなるとか
そういう問題じゃない気もしましたが、
僕は、
「あ、ちょっと濃く見えるね」
トイレの照明は薄暗いから、
影じゃないかと思ってましたが、
続けて、
「これ結構効果出そうだね、
ね、ね、俺は」
僕も顎を上げてみます。
コイちゃんは鏡越しの僕をじっと見て、
「うんうん、いい感じ」

そんなわけ、ないでしょう。
絶対こんな短期間で、
効果なんて出るわけないんです。

しかし僕らは、
なにかにすがるように、
それを信じていました。

「俺さ、ここにも塗ってんだ」
コイちゃんはTシャツ越しに、
みぞおちのあたりを指さしました。
「え!」
「胸毛全然ないからさあ」
それは考えつかなかった、
僕も明日からはやろう、
と、思っても、
チューブはすでに空になっていました。

それで、
僕らはビクトルに頼み込むと、
1本2000円で持ってきてくれると言うのです。
少し高いな、
そう感じはしましたが、
あまり判断する気持ちもなく、
僕らはそれを承諾しました。

思えば人のコンプレックスをくすぐる

こうした商売は、

購買の感覚を麻痺させるもんです。

この件が、
後々あらゆる意味で、
僕らをディープな世界へと導くなんて、
この時は思いもよりませんでした。

 

プロジェクト360日目。

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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
https://ameblo.jp/levelbooks/entry-12445434453.html

もう深夜になる公園のくらがりで、
僕らは蠢いていました。

近くには高校野球の試合も行われる、
かなり広い野球場があります。

僕は当時付き合っていた彼女と、
金網の破れ目から
球場内に忍び込んでいました。

誰もいないマウンドの真ん中まで行き、
夜空を見上げます。
街の灯りは、
ここまではあまり届いていなくて、
冬の冴えた月あかりがあるだけです。
それはまるで、
黒く縁どられた球場の外角に、
ぼうっと浮かび上がるような藍色の、
大きな穴が広がっているように見えます。

「星きれい…」
彼女はかぼそい声で囁きました。
気候のせいか、
澄んだ空気のせいか、
ふだん市街で見るよりも、
心なしか、
星が多く瞬いているように見えました。
寒さに身をちじこませて、
僕らは体を寄せ合いました。

彼女の厚手の制服のブレザー越しに、
かすかな体温が、
生々しく感じられました。

これは僕の、
人生の曙のような感覚、
初めての恋の記憶です。

彼女は、
暗い夜でも光を放つ、
艶のある長い髪を揺らしながら、
僕に振り向いてみせました。

交際を初めて数か月、
まだ、誰にもバレていない、
いやバレることが、
本当にダメなのかもわかっていないまま、
ひっそりと、
お互いが愛しているなんて、
その意味が分からない分、
妙に幼稚に聞こえる言い方で、
言葉を交し合っていました。

まだ、手や、
せめて衣服越しに、
おそらく弾力があるであろう体を感じる程度、

このままじゃ済まないこと、
僕にはおぼろげに分かっていました。
それが何なのか、
はっきりとは分からないくせに、
蕩けるような気分で、
何かを待っていました。

そろそろ、
何かが起こる予感、
別のなにか、
それは、
僕が今まで味わったことのない、
大人だけが知っている体験、、

僕らは、誰もいませんが、
どこか気恥ずかしさを感じる
マウンドの中央から移動して、
さらに暗がりになっている
ベンチに腰を下ろしました。
「寒いね…」
僕が言うと、
彼女は、
「うん、大丈夫?」
「うん、俺は大丈夫」
向き合うと、
暗がりで、白い目ばかりがはっきり見えて、
それが閉じた瞬間、
僕らはもう何度も味わった口付けを、
再び交わすのです。
おそらく、
何かを誘引しているに違いない、
麻薬のような行為でした。

僕は勇気を出して、
彼女のブレザーから、
その下のワイシャツに手を這わせ、
ボタンを2つくらい外して、
とうとう彼女の素肌に
手のひらを吸い付かせました。
「ごめん…」
彼女の耳元で、
僕はそう口にします。
「どうして、どうして謝るの?」
彼女はうめくようにもらしました。
僕は、
「いや、ほんとごめん…、」
「謝らないで、」

その言葉に、
僕の行動は、
徐々にエスカレートしていきます。

彼女の上半身を蠢いていた僕の手は、
一度その場を離れ、
スカートをたくしあげ、
その腿にひたひたと流れていきました。
「冷たい…」
「あ、ごめん」
「ううん、」
彼女は静かに首を振って、
「だんだん…、
あったかくなってきてる…」

そうなんだろうか、
僕の手が暖かくなってるんじゃなくて、
彼女の足の付け根の方から、
かすかな熱気のようなものが
感じられました。

あと少しの勇気、
僕の手は、
とうとう腿の先にある、
下着の生地に触れたのです。

本当に、大人になるって、
こういうことなんだと思っていました。

僕の手は、
彼女の下着の中に
するりと入り込んでいきました。
「あ…」
切ない彼女の吐息を聞きながら、
僕の手は、
あるものに触れました。
僕は、
なんの考えもなく、思わず、
「毛…、毛が生えてる」
「…」
「すごい、これ、毛が」
途端に、彼女の手が、
もの凄い力で僕の腕を掴み、
下着の中から抜き出させました。
「ひどい!」
「いや、」
僕は、ありのままを実況したに過ぎません。
しかし、涙目になっていた彼女は、
さっと立ち上がり、
ベンチから外へと走り出していました。

僕は呆然と
その場に立ち尽くしています。
追いかける、
べきだったでしょう、
だけれど、突然のことに、
まだ手に残る温もりを感じながら、
動けずにいました。

がしゃんがしゃんと、
フェンスの抜け穴を越えていく音がします。
そうして、
彼女は去っていきました。


………、


これが、僕の毛にまつわる、
ほろ苦くも、切ない、
過去の最大の記憶でした。
15か16歳だったその当時の僕には、
未だに陰毛が生えていませんでした。

さすがに、
焦りを感じながら、
さっきまで彼女の体をはっていた自らの手を、
そっと鼻の近くに持って行きました。

仰いだ空は、
満天の星で溢れていました。

 

プロジェクト359日目。

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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目
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