それにしても、あの駅での邂逅を、
まるで彼女が覚えていないことは、
僕にとって少し気になるところだった。
まあ、のどかからしたら、
どこにでもいるサラリーマンの
印象しかなかったのかもしれないけれど。
僕はそのこと、話してみたくなって、
一度口を開きかけたが、
のどかは、
「柏木さんって、やっぱそういう人なんですか?」
僕は彼女をぐっと見つめ、
大きく息を吐き出すと、
「くだらないんだよ、」
「くだらない?」
「そういうのに答えるのが、
どうでもいいっていうか、
思いたい人はそう思えばいいっていうか、」
そう口にしていて、
彼女の上司である木之本の、
平たい顔つき、細い目つきが浮かんできた。
わずかに腹立たしさもある。
「遊んでるんですか?」
僕は馬鹿らしいという態度を
あからさまにして首を傾げると、
「遊ぶの定義はなんですか?てことですよ、
普通に、一般的、社交的に、
ただ女性と交流することもあるでしょ、
それを木之本さんが言ってるんなら、
まあ、そうでしょう、てことだし、
私のことを、」
僕は、私と辛うじて口にしている気がしながら、
続けて、
「悪く言いたいのなら、
それは少し腹たちますけどね、」
「じゃあ、柏木さん、そういうんじゃないんですね」
僕はもう一度、今度は大きく音を出して、
息を吐き出した。そして、
「若葉さんの想像するなにかだとしたら、
どうされますか?名古屋、行くのやめます?」
彼女は何も答えなかった。
それで僕は、また、
「私があなたになにかってことですか?」
「そういうんじゃ…」
「いや、そう聞こえますよ、
被害妄想ですね、まだなにも」

まだなにも、始まっていない、
そう口にしかけていた。
それはそれで、おかしな気もして、
僕はそれきり黙った。

ちょっとの間のあとで、のどかは、
「すいません、なんか、変なこと言ってますね、わたし…、
違うんです。ほんとは、そういうんじゃなくて、
木之本さんのことなんですけど、」

あいかわらず公園の中を
人が行き交っている。
みな、街灯の端に消えて、
暗がりの先にある地下鉄の入り口へと、
吸い込まれるように消えて行った。
 

プロジェクト698日目。

 

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「木之本さんが、
名古屋行かない方がいいんじゃないかって、
そう言いました」
僕はそれを聞いて、
最初きょとんとした顔になって、
彼女の横顔を見つめた。
「は、どういうことでしょう…」
木之本は、
ぜひうち(自社、ワンフェイス社)の社員を、
使ってくださいって
言ってたはずだった。
だから、信じられなかった。
彼の売り上げが上がるというのに、
あの営業トークはなんだったんだろう。
「なんか、その…、」
のどかは終始ためらいがちな言い方だが、
全てを話そうとしていることがわかった。
僕は黙って、
彼女が話しつづけるのを待った。
「柏木さんのとこで仕事するのは、
やっぱりやめた方がいいんじゃないかって、
急に言ってきて、それで」
「なにそれ」
僕は細く息を吐き出す。
「柏木さんのこと、悪く言ってたんです。
すぐ女の人に
ちょっかいだしたりするからって、
だから、名古屋に1人で行くのは危険だって」
のどかは、
かすかに憤りを感じさせる口調で言った。
僕は胸から首筋にかけて、
わずかに熱が帯びていくのを感じた。
思い当たることは、
何一つなかったけれど、
そういう風に思われたことは、
今までに何度かあった。
すぐに、くだらないと考えて、
「だったら、行くのやめます?
そういうことなら」
「そういうことって」
のどかは顔をこっちに向けると、
すぐに反論して、
「私が、そう思ってるんじゃないです」
「だけどさ、そういうことなら」
「そうなんですか?柏木さんが、そうなんですか?」
彼女の語気は急に強くなった。
「そうって?」
「その、だから、柏木さん、
女の子にちょっかい出すって」
僕はそれを聞いて、
鼻で笑った。
なぜだか、こういうことにまともに答えるのが、
馬鹿らしく思えていたから。
「そうなんだ、だから…」
「あのね、」
僕は首を傾げて、
「だとしたら、何なんですかね、
俺がもしそういう人間だったら、
今、ここでそれ肯定したりするんですかね、
それで、名古屋行くのやめたら、
そんなふうに、
他人事として言ったりするんですかね」
「そうじゃないなら!」
彼女は僕の会話をさえぎり、
「ちゃんと否定してくださいよ、
でないと私…、」
僕は真顔に戻り、
公園の街灯に影になりがちな、
のどかの顔を見つめた。
まだあまり、話したこともないというのに、
妙に距離が近い気がした。
そして、
以前列車から降りる際にすれ違い、
スマホを落として口論した女性は、
やはり彼女なんだと思った。

 

プロジェクト697日目。

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18時過ぎ、のどかが仕事をしている
新宿都庁前に着いた。
オフィスには入らなかった。
なぜそうしたかわからないけれど、
なんとなく、木之本もいたらまずい気がして、
彼女に建物の外で待っていると
ショートメールをした。

目の前が大きな公園になっている。
新宿中央公園だ。
冬の陽はもうとっくに暮れているが、
街灯りで周囲は明るかった。

その前を行き交う人を見ながら、
冷たい風を防ぐようにコートの襟をたて、
のどかが来るのを待っていた。

マスクをしている人としていない人を、
20人くらいまで数えてみた。
12人がマスクをしていた。
男女比まで数えてなかったけれど、
一体どっちが多いだろう、
そこには差異がないかもしれない。
いや清潔感からすると、
女性の方がマスクが多そうだな、
そんなこと考えていたら、

「お待たせしました。
すいません、遅くなっちゃって、」
冷気の中に、
かすかに香水らしい香りが混じっていた。
のどかは髪をかるく揺らして、
さっきの電話の会話が嘘みたいに、
弾んだ感じで話していた。

僕と同じような紺のコートを着ている。
「寒かったですか?
すいません、ちょっとつかまっちゃってて」
仕事の引継ぎかなんかだろう。
僕はちょっと頭上を見上げる仕草をして、
そういえば、今年の冬は
それほど寒くないなとふと思って、
「そんな、寒くないですね」
そう答えて、
「どっか入って話しましょうか」
「ええ、それでもいいですけど、」
のどかはそう言うと、周囲を見渡して、
「公園でもいいですよ、寒くなければ、
ベンチとか」
中央公園は敷地は広いが、
起伏があって、奥までは見渡せない。
僕らは手前の広場の
ベンチの1つに腰をおろした。
自販機があったので、
僕はあたたかい缶コーヒーを1つ買う。
彼女にもどうかと聞いたが、
のどかは首を横に振って、
大丈夫ですと答えた。

座ってしばらくは、
今やっている事務処理のこと、
どこが大変で、
こういうとこ最適化できるのにとか、
そういうことをのどかは話していた。

木之本のこと、
何か話したいと言っていたから、
僕から切り出すべきなんだろうか、
そう考え始めたその時、
彼女は、
「わたし、あの人と上手くいかなくて、」
「あの人?」
「木之本さんです」
彼女は僕を見ず、
公園を行き交う人を見るように、
ただ前方に視線を向け、そう言った。

 

プロジェクト696日目。

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「やっぱり少し考えさせてほしいんです」
オフィスで月締めのチェックをしていると、
若葉のどかから電話があった。
これも、よくあることだった。
依頼した仕事に躊躇して、
最初はやると言っていても、
直前に撤回してくる。

「どうしたんですか?
前はやりたいって言ってたじゃないですか」
僕は別の仕事をしていて
パソコンの画面を見ていた。
少し上の空で、彼女に問いかける。
「今のままじゃ、ちょっとやりづらいんです」
「今のまま?」
僕はパソコンから目を離さなかった。
名古屋への着任は、
もう間近に迫っているというのに、
代わりの人材も頭に浮かんでくる。
「今、このままじゃ…、」
「ふうん、」
ちょっと思いついて、
「もしかして、コロナ、ですか?」
僕は言った。
「え?コロナ?」
「ほら、名古屋じゃ流行ってるってコロナ、」
名古屋に出張した時それを僕は知った。
そう口にしていた、濃尾の寺の人妻の声が
ふいに思い出される。
それで急に行きたくないってこと、
ある気がしたから。
しかしのどかは、
「違います、そんなんじゃないんです」
「そう…、」
「あの…、ちょっと、」
彼女は少し言いよどんでいた。
少し間があってから、
「木之本さんのことなんですが、
あの人も、名古屋来たりするんですか?」
「え」
僕は小さく答えると、
ようやくパソコンから目を離した。
「木之本さん?」
彼女の所属するワンフェイス社の営業担当だ。
「まあ、」僕は少し考えてから、
「来ないでしょ、
俺は行ったり来たりするつもりですが、」
「そうなんですか、あの」
また、少し間があってから、彼女は、
「柏木さん、会って、お話できませんか?」
どうやら、すぐにも行きたくない、
て話じゃないみたいだ。
僕はスケジュールを見て、
「今日の夕方以降、少し遅くなりますが、
そっち行けます」
そう答えた。

 

プロジェクト695日目。

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朝の通勤列車に乗り込むと、
習慣的にスマホで
ヤフーのニュースをくくっていった。
どれも、コロナに関することばかりだった。
国技館で5000人参加の第九のコンサートが
毎年やっていたらしいが中止、
東京マラソンは
中止にこそしなかったようだが、
一般ランナーによる参加を中止、
天皇誕生日の一般参賀も中止とあった。

一体、なにが起きているというんだろうか、
僕は込み合って
隙間なく埋まるビルを車窓から眺め、
それから、
車内を窺うように見回してみた。
マスクをしている人が半分以上いる。
どんな人たちなんだろうか、
僕は盗み見るみたいにして、
乗客の顔を見つめていった。
彩花は、自分のためにも、
人にうつさないためにも、
マスクが必要だと言っていた。

僕は誰にもわかわないくらい
小さく顔を振った。

なぜかマスクから顔の一部、
目だけが見えている、
その目つきが、
全て利己的なものに思えてしまった。
そんなことないんだろうが、
いや、そもそも人間ってものは、
利己的にしか本能をもっていない、
それを象徴するのが目つきであって、
マスクをするから、
クローズアップして見えたんだろうか。

みなが、自分を守るために、
まあそれは、
当然の本能的動作として、
マスクで顔を覆っているんだろうか、

そこで僕は、
ホームに滑り込んだ列車の車窓が、
少し暗くなって、
かすかに映る
自分の顔を見つめた。
こけた頬の影が見えている。
僕が、マスクをするとすれば、
それは、利己的な防衛本能でも、
博愛的な人へのいたわりでもないかもしれない。
僕が、マスクをするとすれば、
1人の大人として、社会的常識人として、
曖昧な精神弱者として、
それは、周囲の目が気になった、
その時なんだろう。

 

 

プロジェクト694日目。

 

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2月の中旬になろうとしている。

街にはずいぶんと
マスクをしている人が増えていた。
僕の素顔は、
あいかわらず裸のままだけれど、
なんとなく、人の目が
気になるような場面もあったりした。

どうって、結局多勢の心理だ。
マスクをしている人としていない人、
それがフィフティーで存在していれば、
それほど違和感はなかった。
気にしている人と気にしてない人、
それが共存できるような雰囲気がある。
個人的には気にしているけれど、
相手は相手であって、
自分が守られるためにマスクをする。
そういう観念くらいなら、
まあ、相対する
マスクしてない人も許容される。
だから彼らが
五分五分で交差点で交差しても、
列車の向かいに座りあっても、
それは自然な光景として、
集団にはなんの心理も呼び起こさない。

その、はずだった。
それが、徐々に変わりつつあって、
その変化に僕も気づき始めていた。
マスクをしている人は、
街行く人の5割をあきらかに越え始めていた。

マスクの生産が追いつかず、
薬局などの店舗では
品薄が続いていると報道されている。
それで、僕もようやく気づいたってわけだ。

妻の彩花が、ある朝、出社前に、
「ねえ、翔太もちゃんとマスクした方がいいって」
「ちゃんとって、」
僕はその言葉に違和感があって、
そう返した。
「みんなしてるでしょ、うつるんだから、危ないから」
「いやでも、インフルの時だって、
あんな流行ってるって言ったって、
俺してないわけだし」
なんだろうこの抵抗は、
心理的なことより、物理的なことだ。
嫌なんだ。
あの顔にまとわりつく感じと圧迫感、
息苦しいし、しないにこしたことはなかった。
「なってもいいの?」
少しいらっとした、彩花の口調。
僕は口をとがらせて、
「自業自得でしょ、
なったら俺のせいなんだからいいじゃない」
僕はそう言い放つと、
玄関先に立つ彼女を一瞥し、
さっさと戸外へと出て行った。

冬の朝の空気は冷え込んでいて、
ぴんと張り詰めていた。
頬にひたひたと冷気があたっている。
自宅のマンションからは
5分ほどで駅にたどり着く。
通勤を急ぐ雑踏の中へ入ると、
まあ、たしかにマスクをしている人が増えている、
そう思った。

この後のニュース報道で、
僕はマスクをしなきゃならない、
決定的な状況を知ることになる。
コロナは罹っても、
症状が出ない人もいるらしい。
そうであっても、
唾なんかで飛まつ感染させる恐れはあるという。
そう、てことは、
僕がぴんぴんしていも、
潜在的にウィルスを保持しているかもしれなくて、
それは誰にもわからなくて、
自業自得な被害者ではなく、
いつだって加害者になると
決め付けられたからだ。
やるせない気分になった。

 

プロジェクト693日目。

 

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山内と動いている
例のサブスク企業へのコンサルティングは、
もう期限がそこまで迫っていた。
そろそろ、僕の中にも焦りが出てくる。
だいたい、名古屋に常駐して
BPRを取り仕切る人選なんて言ってみたものの、
僕にはそんな宰領なんてなくて、
結局は自分頼みな
仕事ばかりしてきているのだから、
なんとなく、コントロールしやすい人物がいいんだろう、
そのくらいに思っていた。
コントロールするなら、若い人間の方がいいだろう、
それで、新宿の補助金事業に携わっていた、
若葉のどかのことが思い当たった。

僕は彼女に直接電話をかけた。
のどかは、驚いたようで、
最初返事がなくて、
刻むように沈黙したあとで、
「ほんとに、私でいいんですか?」
「もちろん、そのつもりで電話したんです」
僕は彼女の驚いた声が、少し意外だった。
「あれっきり連絡なかったんで、
あの話、もうぽしゃっちゃったんじゃないかって」
「すみません、連絡遅くなってしまいましたね、
結構悩んでて…、」
僕はそう言いかけて、一呼吸すると、
「いやなに、人選というより、
この仕事自体ね、やろうかやるまいかって」
本当は、もう断れないところまで来ていて、
今さらやらないなんてことはなかった。
人選で悩んでいたと、彼女に思わせたくない、
僕は咄嗟にそう考えていた。

なんだろう、この微妙な気遣いは、
僕は渋い顔して電話の向こうの彼女に、

「3月頭には行かなきゃならないから、
事前にいろいろインプットすることもあるし、
そっちの仕事って、」
彼女が従事している
現行の仕事を気づかったつもりだったが、
のどかは、
「引継ぎなんて、たいしてないんです。
すぐにでも、もうすぐにでも入れます」
「そうなの?」
「はい、だって…、」
彼女はそれ以上は言わなかった。
こないだ面談したときに、
今の仕事に飽いているようにも見えていた。
僕は、
「ひとまず、木之本さんにも言っておきます」
彼女が所属するワンフェイス社の営業担当だ。
「まだ言ってないんですか?」
とのどか。僕はたしかに、
なぜ彼女に真っ先に電話したんだろうと、
自分に思いながら、
「そうです、とりあえず、
あなたの感触というか、そういうの聞きたくて」
「全然、わたし、こないだ柏木さんから、
このお仕事の話聞いて、すごくやりたいって、
とっても興味あるって思ってたので」
「そう…」
少し安堵した。
いきなり単身で名古屋に行って、
とりまとめをする人材なんて、
すぐに見つかるとは思っていなかったから。
僕はまた新宿の事務所に行くと告げて、
電話を切った。

 

 

プロジェクト692日目。

 

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「美味い店潰れたらやだな」
と、山内。僕は彼を見ながら、
「美味い店は潰れないんじゃない、
その…、なんだっけ、
ロックダウンなってもお客さん来るんじゃない」
「そうかあ」
彼は冷えたジョッキのビールをぐいっと一息飲むと、
口元に緩い笑みを浮かべ、
「ぎりぎりだったらやばいだろ、だいだいさ、
飲食店なんてほとんど自転車操業だろ、
一月でも売り上げたたなかったら、
危ないって言うぞ」
「貯金がないってこと?」
「貯金っていうか、個人事業主だったら、
自分の貯金切り崩すんだろうけどな、
家賃とか、結構維持費
馬鹿になんないだろうな」
「そんなもんか」
僕はまた店内を見渡した。
客はそれなりに入っている。
景気は上向きだと
世間的には言われている。
たしかに人口の減少や、
海外企業の進出なんてものはあるが、
一時のような疲弊した感じはなく、
街はそれなりに
賑わっているように思えた。
しかし、所詮僕には人ごとだった。
彼らが、ひょっとしたら来るべきコロナショックに
日夜怯えながら暮らしているなんて、
どうにも感じられなかった。
「しっかし、飲食に来ちゃいけないってのは、
それでコロナが広まるってこと?」
僕はテーブルの向こうで
すっかり赤い顔になっている山内に言った。
山内は、
「集まったらよ、不特定多数の人が集まったら、
感染するんだよ」
「家は?」
「いえ?」
僕は、食卓で向かい合った、妻のことを思い浮かべて、
「家族だって、一緒にいたら同じじゃないかな」
「そうかあ、そんなもんか」
山内はわかっているのかどうだか、適当な答え、
僕は続けて、
「家はよくて、外はダメってのもな」
違うのだ、本当は何もかもがダメなんだろう、
ダメというより、何が決定的感染要素かわからないから、
いろいろな手段が講じられていた、
それが現実だろう。
「それよかさ、テイクアウト流行るよ、」
山内は小皿の枝豆を手にして、
「とにかく外で食っちゃいけなくなったらさ、
テイクアウトするしかねえもんな、」
それは実際、数ヶ月経ずして事実になった。

 

 

プロジェクト691日目。

 

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駅前の居酒屋に通されて、
僕は山内と
4人席に2人して座った。
「はす向かいって、」
おしぼりをもらいながら、僕は漏らした。
山内も笑っている。
「対面だめなんだってよ、飛沫が飛ぶんだよ」
彼は言いながら、手をつかって、
唾が飛ぶようなしぐさをした。
「もう飛んでんだろ」
僕は失笑まじりで、
「なんか透明な、
ほらアクリル板とか
仕切りにすればいいんじゃない」
「なにそれ、」
山内は煙草を一本取り出しながら言った。
僕は、
「ほらさ、表情は見たいからさ、対面したいし、
透明な仕切りおけば、唾飛んだっていいじゃん、
煙草だって、大分規制あるしな、
煙もかかんないしさ」
「いやでもさ、
煙かかんない以前の問題なんじゃない」
山内は反論する。
4月から、飲食店において、
受動喫煙を防止するために、
また規制が厳しくなることを僕らは知っていた。
彼は、
「受動喫煙したくないってより、
煙草吸うやつきらいなんだろ、
そもそも吸ってんの見るのが不快なんだろ」
「そうじゃないでしょ、
受動したら身体によくないからだろう」
「ま、それもあんだけどさ、」
山内は少し前かがみになって、
「だったら煙草のCMなくなったのどう思う?
別にいいじゃんあったって、
テレビから煙が吐き出されるわけでもなし」
「まあ、そうだね…、」
本当は、喫煙を促すように見えることが、
CMがなくなった原因だろう。
僕も山内も喫煙者だ。
最近は電子煙草が増えたけれど、
それすらやっていない。
紙煙草のことを
紙巻きと呼ぶようになったのは、
電子煙草と区別するためで、
その紙巻きから、
いまだに離れられずに吸っていた。

生ビールを注文した。
何口か飲んだあとで、
山内は店内を見回し、
「にしても、客減ったよな」
壁を背に座っていた僕も、
周囲を見渡した。
たしかに、席は空席が目立ったが、
「平日だからじゃん」
「そうかな、駅前だろう、
前はこんなんじゃなかったぜ、
いっつも満席だったろ」
「…」
僕はまたジョッキに口をつけ、
「飲んじゃいけない規制?」
「まだそういうのないんだろうけどな、
感染収まんなきゃ、
そういう規制出るって言われてんじゃん」
「そうなんだ」
僕は相変わらず時制にうとかった。
「ロックダウンするかもな、」
「ロックダウン?」
頭に浮かぶのは、カミュのペストだった。
あれは城塞都市を一時的に完全に封鎖したのだ。
「それで、人が集まるのを規制するとかな」
僕はしばし天井を見上げ考えるふうをして、
「飲食店やってけないな」
「そだな」
「相当潰れちゃうんじゃないかな」
注文を聞いてせっせと動き回る店員を見ながら、
僕は言った。

 

プロジェクト690日目。

 

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それから、また少し時が過ぎた。
コロナの情勢は
ますます世間を席巻していて、
もはや、
報道でその言葉を聞かない日はなく、
ともすれば、
全てのニュースコンテンツは、
COVID-19に繋がっているようだった。
2月1日にフィリピンで男性が死亡した。
これは今まで
武漢市ばかりが取りざたされていたが、
中国国外で初の死者で、
確実に流行の兆しがあることを意味していた。
武漢市からチャーター便で
帰国した日本人の中からも、
3人の感染が確認されている。
中国では、新型コロナウイルス死者が
とうとう1,000人を突破した。
新型コロナウイルスの正式名称をWHOが、
「COVID-19」と命名したのもこの頃だった。

スマホでニュースを見ていても、
これだけ氾濫した情報があるというのに、
それでもまだ、
僕にとっては
距離のあることに思えていたのはなぜだろうか。
たしかに街中を歩いていると、
マスクをしている人が、もはや過半数を占めていた。
それでも僕は、
あの息苦しい布着れで
口を覆う気なんてなかった。

社内にいても、
普段から衛生意識の高い従業員たちは、
マスクの着用をしていた。
会社のエントランス、
背の高い山内が、
手を振って近づいてくる。
サブスク担当営業の彼は、
マスク姿もしておらず、
相変わらず陽気な感じで、
口を大きくあけて、
「よお、順調?」
僕はそれに、
「なにが?」
と答えて、2人で歩き出していた。
エレベーターを待っている。
「なにがじゃねえよお、
BPRの分析するって決まってんだから、
お前人材探すっていってたろ」
何人か候補者とは面談はしていたけれど、
僕はまだ決めておらず、
「今探し中だから」
「急げよ、要件資料だって作んだろう」
「それはもう作った」
エレベータの扉が開いた。
ぞろぞろ出てくる連中を待って、
僕らは中に入っていく。
それで、しばらく会話が抑えられる。
「今日何時?」
山内は小声で言った。
僕は、
「八時くらいかなあ」
「行く?」
飲みに行こうってことだ。
一瞬だけ、妻の彩花の顔が浮かんだ。
彼女が言うには、人が密集するところは、
なるべく避けなきゃいけなくて、
特に繁華街なんかはまずいって話だった。
僕は、
「いいよ、」
そう答えて、
彼より先に12階でエレベーターを降りた。

 

 

プロジェクト689日目。

 

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