気分は少し落ち着いたと
彩花は言っていたが、
それでもその日、
彼女は会社に半休することを伝え、
病院へと向った。
1人でよいかと聞いたが、
複雑な表情をして、少しの間のあと、
まずは1人の方がよい、
と彼女は答えた。

考えることが、
洪水みたいにして、
頭に入り乱れている。
まだ、何も決まったわけじゃないというのに、
僕は自らが経験したことのない、
この世のごく当たり前の、
子どもがあるという生活について、
早くも思いを巡らせていた。

正直なところ、想像が付かない、
まるで別世界な気がしてくる。
かつて自分自身も、
幼い子どもであって、
その生命のバトンをもらったというのに、
自らがその手を
子どもに差し伸べるということが、
どうにも想像できなかった。

日中仕事に追われながら、
何度も考えていた。
彩花は、
もう病院に行った頃だろうか、
診断を受けているんだろうか、
午後になっても、
彼女からは、特にメールはなかった。
しかし、
取り越し苦労ってことだってある。
だから、あまり期待してはいけないし、
いや、期待?
僕は何かを期待している自分に気づいて、
我ながら驚いて、
誰にも気づかれない、
小さな含み笑いを顔に浮かべていた。

夜8時をまわって、帰宅をした。
この時間まで、
彼女からは
とうとう何の知らせもなかった。

部屋に入ると、灯りがついていない。
僕はリビングに声をかけた。
何の返事もない。
彼女は午前中病院に行って、
そのまま出勤したとしたら、
まだ帰ってきていないのだろうか。
「ただいま」
もう一度声にして、
壁のスイッチを入れた。
息を飲んで、
僕は小さく嗚咽に似た声を漏らした。
彩花はテーブルにうつぶせて、
じっと顔を伏せていた。

 

 

プロジェクト708日目。

 

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朝、ベランダに出て、

インスタントのホットコーヒーを飲みながら

煙草を吸っている。

ひと昔前なら

新聞でも広げるところだが、

僕はスマホのヤフーニュースを括りながら、

煙を大きく吐き出した。

 

2月も下旬になる。

WHOは記者会見で、

潜在的なパンデミックの可能性があるとして、

できる限りの備えをする必要があると強調、

そういう記事があった。

 

専門家会議では、

完璧な感染防止は不可能

という見解が出ていた。

しかし、インフルエンザだって、

毎年完璧な感染防止なんて

出来ていないだろう。

僕には未だに、この事態が、

なぜこれほどまでに取り沙汰されるのかわかっていない。

 

風が冷たかった。

身震いをして、熱いコーヒーを一口飲むと、

僕は背中を丸めて、家の中へと入って行った。

入りながら、

「新型コロナウイルスって、

感染拡大は止められないって記事あるね」

洗面所で、朝の準備をしている妻に声をかける。

ところが、彩花はなんの反応もない。

僕が異変に気付いたのは、

彼女に近づいてからだった。

彩花は、洗面所に顔を近づけ、

苦しそうに吐いていた。

「どしたの?大丈夫?」

僕はすぐに彼女の背中にまわって、

腕で大きくその身体をさすった。

「うん…、大丈夫」

「どした?具合悪いの、二日酔い?」

昨晩も彼女はワインを飲んでいたが、

酔うほどの量でもなかった。

「違う、違うと思う…」

「…」

彼女はようやく顔を上げ、

濡れた口元をタオルで吹きながら、

「なんかすっごい吐き気がして、もしかして」

「お酒?」

彩花は首を小さく横に振って、

「できたのかな、赤ちゃん…、」

「え…」

僕は言葉を失い、

血の気がさあっと

頭に上がっていくのを感じていた。

それは喜びでも悲しみでもなく、

そういうものが入り込む前の、

ただ漠然とした驚きだった。

 

プロジェクト707日目。

 

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そういえば桐村は、
大会社の典型的なサラリーマンらしく、
階層階級を
具現化したような

思想の持ち主でもあった。
 

彼は部門は家族だとも言った。
だから部下を持つということは、
その家族の命運も
握っているというのだけれど、
僕はその発想を、
まともになんて受け入れられない。
それは裏を返せば、
生殺与奪の全権を

自らが握っているようで、
空恐ろしい感じもするのだ。
働き方に対して、
自立心を促す風潮の中で、
そんなことがあるのだろうか。
そんなこと、あっていいんだろうか。
 

社会は緩やかな連帯を求めている。
全世界の風潮がそうだ。
原始の時代に、
無意思で搾取されていた民衆は、
今、この世にはいない。
万民が自立する、自我を強調する。
そうして、誰もが情報を発信する権利を持って、
自己主張をする。
その行き着くところが、カオスであっても、
そんなことどうでもいい。
人類の進化の一環のようにして、
個々が自我に生きる、
それが、今の途中経過だろうか。

桐村は、時に、
「お前んとこ、家庭うまくやってるか」
なんてことも聞いてくる。
僕が半笑いしながら、ご心配なくなんて返すと、、
「そうだな、管理職ってものは、
そういう部分もコントロールできる資質がないとな、
そういうものが選ばれてるんだから」
なんと答えたものだろう。
それでも僕は、
そりゃそうですね、くらいのこと、
心にもなく言うばかりだ。

 

プロジェクト707日目。

 

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僕がせせこましく都心を行き来しているころ、
目に見えないウィルスは、
拡大を広めつつあった。
クウェートで初の感染者が確認されたという。
そのニュース記事を見て、
インフルエンザのように、
寒い気候で活発化するウィルスとは
なにか違うんだろうか、
それくらいのことを思った。
クウェートは暑い国だろう。
それでも広まるとしたら、
他の細胞と結合して生きているはずのウィルスが、
空気中でも
のびのびと生きていられるということなんだろうか。
そうであれば
唾液感染ばかりじゃなく、
そこら中に付着しているってことなんだ。
と考えると、少し恐ろしい気もしてくる。
いくら目を凝らしたって見えないウィルス、
人に取り付いて、
初めてその姿をあらわにする、
僕は冬の乾いた街中を、
空気中の何かを掴むように凝視してみる。
もちろん、何も見えるわけはないのだが。
かわりに、
次々にコロナに関するニュースばかりが
目に飛び込んでくる。
NY株が、ウイルスの影響で、
約2年ぶりの下げ幅を記録した。
これは感染の副産物として、見逃せない出来事だった。
つまり、単純に、
目に見えない粒子が、
経済の営みにさえ影響を与えるということを、
はっきりさせた事実だった。

「今後の影響を考えないとな」
上司の桐村は、ある打ち合わせの後、
2人で廊下を歩いている際に言った。
「やっぱり、影響出ますかね」
僕は、僕らの業界にも
何らかの影響が出るかを懸念したが、
実のところ、逆の値踏みもあった。
事務運営を主軸とするビジネスでは、
この逆境が、多大なる恩恵を
もたらすことはあり得るかもしれない。
「未曾有の不景気が来るかもな」
桐村は、作ったふうの深刻そうな顔をした。
「そんなもんですかね」
僕は逆に
どんなビジネスが検討されるかに頭がいって、
そんな答え方をした。
桐村は鼻から息を吐き出すと、
「だめだよ、そんな楽観視しちゃ、
いろいろ根調べしないと」
まだ2月だった。ここから数ヵ月後、
僕らは空前の多忙さを極めることになるのだが、
この時はまだ根拠もなく、
僕はただうなずくだけだった。

 

プロジェクト705日目。

 

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僕は新宿の公園でのたそがれ時、
のどかが神妙な横顔で
話していたのを思い出していた。
それが、全然違うっていうのだろうか。
木之本は、
「元々、前の会社から引っ張ってきたのも僕でして、
こういうこと柏木さんに言うのもなんですが、
それを…、この場で、
柏木さんにそんなこと聞いたところで、」
「いや」
僕は首を横に振り、
多分、渋い顔になって、
「そういう事情は、全然知らないですけど、
確かに若葉さん、嫌がってたわけで、」
「な、あんた!」
木之本の声色が変わった。
すぐ興奮するたちなんだろう。

僕は首をすくめて、
「とにかく彼女には、
近づかない方がいいんじゃないでしょうか、」
「あんたに関係ないでしょ!」
僕は壁の周囲をまた見渡して、
「あまり大きな声出さないでください」
と言った。
こういう言葉が、さらに彼を助長していった。
「ふざけるなよ、いくら柏木さんでも、許しませんよ」
「許すもなにも…、」
「とにかくね、私と彼女のこと、
あんたに何がわかるって言うのかってことで、
そういうの、プライベートの侵害ですよ」
「プライベート?」
僕はぐっと目に力を入れ、
「彼女は、木之本さんに声かけられるの嫌がってた、
ただそれだけでしょ、
僕はそれ聞いちゃったから、
名古屋の件も控えてるし、
波風立つのが嫌ですから、
こう忠告している、
嫌がってるの無理強いしない方がいいでしょ、
とにかく近づかない方がいい」
自分で話していて、
ほとほと、弱った気分ではあった。
何か厄介なことに巻き込まれた感じがした。
木之本はきっと顔を上げた。
三角した瞳が吊り上っている。
「柏木さん、あんた今なんて言いました?」
「いやだから、もう彼女に無理強いしない方が…、」
「してないでしょ、しかも、
わかりましたって言ってますよ僕は、」
「え?」
「柏木さん、そんな乱暴な物言いして、
私を困らせるんですか?」

彼の議論の的が、僕にはよくわからなかった。
妙な平行線を会話は辿り、
僕は携帯電話の時計を見ると、
そそくさと立ち上がった。

一応、彼に忠告できたのだろうか、
これで、話は終わったんだろうか、
いや、木之本との一件は、
もう少し僕の心身を引きずることになっていった。

 

プロジェクト704日目。

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「彼女でつとまりますでしょうか?」
木之本は、へつらうような顔色になって言った。
僕は口元に笑みを浮かべると、
「そりゃあ、大丈夫でしょ、だけど、」
さて、言ってしまおうか、
一瞬のためらいのあと、
僕は、
「彼女、なにか困ってるふうでしたね」
木之本は平べったい顔に少し皺を寄せて、
「会ったんですか?」
彼を介さないで、会ったか、そう聞いている。
僕は笑みを崩さず頷くと、
「はい、こないだ、いつだったかな…、
新宿で呼ばれまして」
「若葉からですか?」
「はい、電話あって、少し話したいことがあるって、
名古屋に出向するの、不安なんでしょうか、
そう思って、話聞きに行ったんです」
「…」
木之本は僕をにらむような、
微妙な表情になって黙っていた。
ここに、いつもへつらうような態度の奥にある、
彼の自尊心があるんだろう。
彼は管理者である以上、
僕が直接彼女とやりとりしていることを、
好むはずがない、それはわかっていた。
でももう、そんなこと構っちゃいられない。
「名古屋に行くことそのものより、
なんか全然違う相談でした」
僕は首を傾げて、
木之本の表情を覗き込むと、
「いやがらせっていうかね、
ちょっと困ってるって言ってました。
あなたに迫られてるみたいなこと…、」
そこで木之本は俯きがちになった顔をあげ、
「なんですかそれ?」
「バレンタインにチョコ上げたら、
お礼に食事行こうって、あなたからね、
それがしつこいって、それで困ってるって」
僕の声は、なぜか少し震えている。
そこに、僕の心の奥の、
本当の気の弱さがある気がして、
首を軽く振った。
「なんですかそれ!」
木之本は立ち上がると、大声になった。
個室ではあるが、
隣室にも響いたんじゃないか、
僕は周囲を窺うように視線を左右にして、
「ちょっとおさえてください、
僕はただ彼女に聞いただけで、」
「越権でしょそれ!うちの会社の話であって、」
「えっけん?」
「だからそれ、柏木さんには関係ないことですよね、」
「ふふっ」
僕はなぜか
息を吐き出すように笑って、
「そりゃそうですね、ただ聞いただけです。
彼女がそう言ってたもんで、
だけど、それが理由で辞められでもしたら、
僕だって困りますし」
「彼女はね、私に行為持ってるんですよ!」
「は?」
話が、おかしな方に進んでいるみたいだ。
「チョコだって、わざわざ僕の分、
けっこういいやつだったな、
それ、恥ずかしくて渡せなそうにしてて、
それでやっとくれたんですよ、」
僕はじっと木之本を見つめ、
彼の話に耳を傾けた。

 

プロジェクト703日目。

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木之本と、のどかのことを話そうなんて、
僕は思っちゃいなかったと思う。
めんどくさいことに
係わり合いなんて持ちたくなかった。
ただ偶然がそうさせたに違いない。

のどかと新宿の公園のベンチで話した翌日、
僕は自社のエントランスロビーで、
たまたま木之本を見かけた。

彼は別の商談に来ていたんだろうが、
すぐに僕に駆け寄ってきた。
「柏木さん、お疲れ様です!」
調子のいい感じ、一見気さくな印象だが、
少し角ばって見える目つきが、
そうではないと僕に思わせる。
彼にとって、僕は客の1人、
大口を期待させる、
切り離してはいけない、
常に機嫌をとる最上級の客に過ぎない。
だったら、そのままの関係で、
お互いが利用し合えればいいのだけれど、
僕はふと、
「木之元さん、ちょっと時間あります?
少し、話できますかね」
言ってしまってから、
さて、どうやって切り出したものかと思った。
もちろん木之本は二つ返事で、
僕の後ろについてきた。

個室を取ろうと思い、
受付ロビーで応接の予約を確認した。
角のD室が開いていた。

僕はそこに木之本を招きいれ、
対面して座った。
しかし、座ってすぐには、
何も口を開かなかった。
本当にどう切り出してよいのか、
分からなかった。
だいたい、
彼にセクハラまがいだと忠告したところで、
なにか進展するものなんだろうか?
のどかが、やるせない、
やり場のない思いつめた表情でいた、
昨晩の横顔が、脳裏にちらつく。

これは、公的な、
おおよそビジネスライクな話じゃない。
僕は、何か別の感情を持っているようで、
それが、口を噤ませていた。

「どうしたんですか?お話…」
そう切り出したのは木之本だった。
そして彼は、
「それはそうと、若葉の、
名古屋行きの件なんですが」
「あ…」
僕は彼から彼女の名が出たことで、
思わず声を漏らした。

 

 

プロジェクト702日目。

 

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「ひっどいですねえ、見事に割れて…、」
彼女は言った。
僕はすかさず、
「君のもでしょ、たぶん…、
ひび入ってるでしょ」
のどかは驚きの表情を見せ、
手提げをごそごそやると、
赤い縁のスマートフォンを取り出し、
その画面を僕に見せた。
右上に、斜めにひびが一筋入っていた。
僕は軽く笑うと、

「ちょっと前かなあ、
駅でサラリーマンとぶつかっちゃって、
それで落としたりして、」
「ええ!どうしてそれ?
やだ見られてたんですか」
その言葉で、
僕は少しだけ胸にしめっぽいものを感じた。
彼女はやはり、あれが僕だったなんて、
全然記憶にとどめていなかった。
「見てたんじゃないんだ…、」
僕は彼女の見開かれた瞳を、
下から覗き込んで、
「あれ、俺だったからね、」
「え!」
彼女はスマホを手にしたまま、
両手を口にあてた。
よほど驚いたみたいで、しばらく声もない。
「憶えてない、ですか?」
それで僕は再度そう言った。
彼女は、首を大きく二度横に振った。
「全然、全然憶えてないです。
男の人だったってだけで、」
「そっか、俺もね、
最初はぼんやりしてたんだけどね、
君に会ったら、そうかなって思ってて、」
のどかはまた首を大きく振った。
感極まった時みたいに、
目が潤んでいるようだった。
「わたし…、少し酔ってて、
それもあって、」
「まあ俺、あんまり特徴ないですしね、」
「いえ」
彼女はまた首を大きく振った。
肩までの髪が跳ねるように揺れた。
「柏木さんならきっと、憶えてるって思うんですが、
それなのに、全然…、」

どうしてだろう、
彼女の落ち込むような態度は、
僕にはよくわからなかった。
それにしても、
2人は感動的な再会じゃなかった。
ましてや、木之本との問題もあったりで、
僕は憂鬱になりがちな気分の中で、
またぼんやりと、
いつまでも途絶えない通行人の列を眺めていた。

 

 

プロジェクト701日目。

 

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のどかが伝えた内容は、
僕をしんみりもさせたけれど、
だからといって、何をしてほしいということなのか
よくわからなかった。
「わたし、このままじゃ、
ここでお仕事続けられません」
そう言われても、
何もしたくなかった。
僕は小さく吐息をついて、
暗がりから街灯の下へと、
まるで次々にステージを通り過ぎていく
通勤の人々を視界に入れていた。
正直なところ、男女のそうした話に、
僕は係わり合いを持ちたくなかった。
「でも、名古屋に行ったら、
木之本さんにも会わないんじゃないかな」
「そんなあ…、」
彼女が僕の横顔に、
恨めしそうな視線を向けたのがわかる。
「だって、ここには
頻繁にあの人来るんですよね、
でも名古屋なら」
「わたし、そういうんじゃなくって、
この会社にいたら、変わらないし…、」
「泣き寝入りってこと」
僕はふと口にしてしまって、
その言葉が不用意だと思い、慌てて、
「いやまあ、あの人だって、
相手に気のないことわかれば、
迷惑なんてかけてこないんじゃ」
「それって、」
のどかの語調が強くなる。
「わたしが、気のある態度したってことですか?」
「だって、チョコレート
上げたりしたんですよね?
上げなきゃいいじゃないですか」
「チョコくらいで、そんなあ…、」
そうだろう、
バレンタインなんて形骸化したイベントで、
チョコくらいって、僕だって思う。
だけれど、それを糸口に考える男性だって
こうしているんじゃないだろうか、
「とにかく、相手に気を持たせない態度ってのが」
僕が言ってる途中で彼女は、
「わたしが悪いんですか?」
「いやそうじゃない、そうじゃないけど」

木之本も彼女も、
あくまで別会社の人間だ。
僕にどうしろというんだろう、
この問題が解決しなければ、
案件への対応は難しい、
つまり、名古屋には行けないという、
脅しにも聞こえてきてしまった。
僕は首を大きく傾け、
考える態度になって、
それから、
スーツのポケットから携帯電話を取り出した。
スマホの画面を、彼女にさししめす。
「若葉さん、これ、覚えてます?」
彼女はきょとんとした顔をして、
僕と、スマホの画面をかわるがわる見た。

 

プロジェクト700日目。

 

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「あの人、どんな人なんでしょうか?」
のどかは、
自分の所属元であるはずの上司について、
僕に人物像を聞くような言い方をした。
「どんな人って、そりゃあ、
私より若葉さんの方が、」
「でもわたし、そんなに接点なかったもので、」
「そう…、」
木之本とは、
3年ほどの付き合いになるが、
ただの協力会社の営業窓口以上に、
なにかを感じたことはなかった。
いや、感じるとすれば、
少し気が強いというか、
多いというか、
夜遊び好きそうな、
人当たりが営業センスと思うところとか、
そういえば何回か
飲みの誘いを受けたこともあったが、
一度も席をともにしたことはなかった。
「こないだのバレンタインなんですけどね、」
のどかは、
僕がちょっと考えてる仕草をしているうちに、
とうとう、話をそう切り出した。
「わたし、特に誰かってわけじゃないんですけど、
会社の中、渡さなきゃなんない人とか、
急にいるじゃないですか」
「そういうもんなの?」
僕は少し驚いて口を挟む。
彼女は眉間に皺を寄せ、うなずくと、
「そういうもんなんですよ、いまだに…、
それで、いくつか用意しておいたんです
そしたら、僕にはないのって、寄ってきて、
わたし、ひとつ渡したんです」
「そりゃよかったじゃない」
「それが…、」
彼女は僕の合いの手に、
いかにも不満だという態度で、
「たいしたやつじゃないんです、
京王で買ったやつだから、
でもなんか、お礼に食事しようって」
「ふう…」
僕はそこまで聞いて、
軽くため息をついた。
よくある、男女の話であるなら、
そんなことを僕に話して
どうするって言うんだろう。
「断ったんです」
「まあ、いやならね」
「夜、行こうって言うので、
わたし、この人と飲みに行きたくないなって、
そう思ったんで、」
「妥当じゃないですか」
「もう」
のどかは僕をきっと睨むように見つめると、
「馬鹿にしないでください。
ほんとにいやだったんです。でも、
会社の人だから、どう断っていいかわかんなくて、
曖昧だったかもしれません、
そしたら、今度は、
じゃあお昼でもって言ってきて」
「それもいやなんですか?」
僕が問うと、
のどかは切実な感じで、
大きく何度も頷いて見せた。

 

プロジェクト699日目。

 

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