岐阜のお城から降りてくると、
僕らは長良川沿いの道から、
もう一度金華山を見上げてみました。
あそこに登っていたんだ、
山は鋭角にせりあがっていて、
急勾配な斜面が思い出されました。
そこから、
正法寺の大仏殿へと向います。
岐阜の大仏は、
意外に知られていませんが、
日本三大大仏の1つで、
高さは14メートルほどあり、
金箔がはられた立派なものです。
ちなみに奈良の大仏は15メートルほど。
有名じゃない理由として、
時代のせいなのか江戸期の造りは、
ちょっと雑な気がするというか、
均整があまりとれていないし、
重厚感がやや劣るようです。
それでも、結構な大きさですが、
僕らは、
しばしその光沢のある尊顔を見上げていました。
僕らが拝観している間に、
観光客はなかった気がします。
それから、
岐阜では最後に、
道三塚へと向いました。
いわずとしれた、戦国の先駆け的な下克上大名、
斎藤道三最後の地です。
彼は京の妙心寺の修行僧だったとか、
油売り商人だったとか、
色々言われていますが、
その前半生には不明な点が多く、
その両方のキャリアがあって、
ひょっこりと美濃の地に
現れたのかもしれません。
今で言えば、
相当の切れ者で、
転職を繰り返しながらも、
最終的に大手企業の
重要職まで上り詰めた感じでしょうか。
しかし、世襲の習慣が根強い中、
本当に自分の支配権を維持できたのか、
それには疑問が残るところでしょう。
なにしろ、最後には息義龍子との戦によって、
戦死しているからです。
その息子は、
本当は道三の実子ではなく、
土岐家の遺児であったようです。
その真相はおいておいても、
道三が、絶対的に当地に根付けなかったことは
間違いない事実です。
それが、道三塚といわれ、
今なお残る、この首塚が、象徴しています。
僕らは入り組んだ住宅街から、
道三塚を見つけ出し、
祠にひと時手を合わせました。
「道三はなんで戦死したの?」
順平が疑問をはさみます。
僕はかいつまんでその経緯を話しながら、
「もう死ぬ気でいたろうね、
向こうは岐阜の城の方から責めてきて、
自分は押され気味に長良川の対岸にいて、」
「結構いい年だったしね」
と、サトちゃん。
僕は続けて、
「ただわかんないのはさ、当時の人って、
まあ、今もそうだろうけど、
自分の系譜が重要なわけじゃん、
だから息子が統治するってことは正しいわけで、
そのままでよかったんだけどね、
なんか俺が思うに、
道三も最初は息子は、
自分の子って信じてたんじゃないかな、
土岐のお殿様から
女性を下げ渡されたんだけど、
その人がもう身ごもってたとか、そうじゃないとか、
本人もわかんなかったんじゃないかな、」
小さな塚には、ただ
「斎藤道三公塚」と刻まれています。
もちろん江戸時代に入ってからの、後年に建立されたものでしょう。
僕は、
「だんだん、義龍が、
自分が追い落とした土岐の殿様に似てきて、
なんかやべえな、て考えたんじゃないかな、
それで諦めたのかね、
最後は家臣からも総すかんされたっていうしね、
やっぱ成り上がりじゃ無理があるなあ、て思ってたかもね、」
「思っただろうね、元々の偉い人じゃなかったらね」
サトちゃんは腕を組み、
そう答えました。
長良川を隔てて武力衝突した親子でしたが、
やがて劣勢であった道三側が総崩れします。
道三の最後は、
脛をなで斬りにされ、
鼻を削がれたと、
その義息信長の「信長公記」にあります。
戦国を生き抜いた屈強の男とはいえ、
63歳の老体でした。
画像は、昭和29年頃の道三塚。
現在は住宅街の一画になっています。
プロジェクト598日目。
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2020/2/27 598日目
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■文学賞公募作品の執筆状況 1作目半分くらい ※まだ賞は未定
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158ページ中50ページくらい了
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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目












