興味深い記事なのでプレゼント機能で共有します
有効期限は1月28日 10:21
> こういう事件を起こした一人として、裁判で全部話していくことにしたが、
> 後に教訓にしていただきたい部分が少しある。
> 最終的に我慢の限度を超え、自分みたいな事件を起こす人が出てくるかもしれない。
> どうしようもないと思います。
>――秋葉原の無差別殺傷事件にも言及していた
> 他人事に思えないところがあった。
>――他人事に思えなかったのは、なぜか
> 今の時代は、生き残るために食い合いみたいになっている。
> そういう時代を考えると、ああいう事件が起こったのは他人事とは思えない。
>――青葉被告が裁判に出るため、治療に当たった医師らがいた。どう感じているか
> (10秒ほどの沈黙の後)そこは保留にしておきます。
> 支えてくれた人にはありがたいの一言しかない。感謝の言葉しかないです。
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↓昔書いた考察 久しぶりに読んでブルーハーツを探してしまいました。よ
>本人がハードルを越えたことに気がついたのは犯行後なのではなかろうか?
>ハードルはもっと手前にあった。
それが何であるかを青葉被告は語ろうとしているし
ぜひとも今後のインタビュー記事に残してほしい
死刑判決は避けられないでしょう。が、
京アニ事件判決(要旨)には異議があります。
>犯行直前に逡巡(しゅんじゅん)したと供述していた。
>犯行当時、善悪を区別する能力やその区別に従って犯行を思いとどまる能力は、
>いずれも著しく低下していなかったと認められ、
>完全な刑事責任能力があった
↑これはちがう。と、
2010/06の自分は書いています。
心理的なハードルを越えた時点で犯行を思いとどまる能力は喪失しており
犯行直前の逡巡は、ハードルを越えた瞬間を確認しているのであって、
以降はハードルを越えた瞬間が永遠に続いているに過ぎなかったよ。と
上記は秋葉原事件の加藤被告について書いたものですが、
青葉被告もそうだったんだろうな。と感じていますよ。
襲撃対象が秋葉原と京アニで似た印象を持ちますが、
加藤被告にとってのホームが秋葉原であったことに対して
京アニは青葉被告のホームではありません。
が、
自分を社会につなぎとめていたものとの決別という視点では類似性あるのか
>本人がハードルを越えたことに気がついたのは犯行後なのではなかろうか?
>ハードルはもっと手前にあった。
>起こそうとしている時点でこの事件は起こっている。
>衝動的な粗暴犯、暴力犯ではなく、
>心理的なハードルを越えた時点で、今回のような計画的犯行を止めるすべは無い。
>その手前に防止策がある。
>(運転中によく気が変わらなかったと思う。おそらくここにもヒントがある)