>「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。

>政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。

>このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。

>沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」

>戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。

>つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ。負け戦をずるずると延ばし、

>いたずらに人命を損なっていったのが、1944年6月から1945年8月15日までの日本である。 

> 大変な犠牲が出たうえに負けは確実、

>それでもなお、やめられなかった理由はいったい何だったのだろうか。

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先日3巻まで読んだ漫画の1巻が無料公開されていて一寸驚きましたが

終戦の日に読むのは良い機会だと思います。よ ↓[ブラウザで今すぐ読む]選択

 

 

そういえば今日は寒いです

つくば11時の気温は19.1℃ ↓2013年の日記では水風呂に入ってますね

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太平洋戦争において
日本を廃墟にしたのはアメリカではなくて、
無能・無策・無責任で愚鈍な組織(軍と官僚)と、
能力不足な責任者(軍と政治)です。よ
 
 ・出口戦略の重要性、
 ・当初の遂行目的の確認、
 ・客観的かつ定量的に確認し最適な修正を行う判断力と柔軟性、
 ・中止を含む重要な決定を迅速に行う決断力、
=プロジェクト管理

 

そんな視点で見てみると、どうみても炎上プロジェクト。
個々の戦場の勝敗とは全く別なところで、
いずれ終わっていたのではないのかな。と。
終戦記念日という表現が敗戦記念日よりもしっくりくるな。と感じます。

 

結論としましては、数回書いていることではありますが、
 無能な上司ほど恐ろしい敵はいない
 無能な指揮官が最も恐ろしい。
 
ただ、
当初の遂行目的と終戦の詔勅(いわゆる玉音放送)を念頭に置いて、
令和3年8月15日を見渡した時に、
ある程度目標を達成しているのではないか。とも思えるわけです。
達成したのは
栄誉も賞賛もなく満員電車に詰め込まれた背広を着た兵隊さんと、
家庭を守ったお母さんなのではないか。とも思えるわけです。
目的達成に至る工程、リソース、献身。戦争と比較してどうなのかな。と

 

私は、栄誉も賞賛もなく満員電車に詰め込まれた背広を着た兵隊さんと、
家庭を守ったお母さんの、不断の努力と献身にこそ深く感謝をしたいと、
それが、国難に遭われた方々の望まれたことなのではないかと、
終戦記念日に考えました。よ