《パリの渋谷》マレ地区を巡る動画、撮りました! | 西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

パリと言えば、ファッション。
そして、パリのファッション発信地と言えば
《パリの渋谷》マレ地区!

(《パリの渋谷》と私が勝手に言ってるだけですが)

このエリアは、
かつては沼地でしたが
(《マレ》とは《沼地》という意味)

莫大な富と権力を手にした
テンプル騎士団が館を建て、
(1307年に王の陰謀によって滅ぼされましたが)

その館ができて以降
貴族が続々とマレに移り住んできて
マレ地区はやがて貴族の館が立ち並ぶ地区に。

なので、今でもマレ地区には
数多くの中世の貴族の館が
存在しています。

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しかし、やがてパリ中心部の
環境悪化が進むとともに
中心部のすぐ隣にあったマレ地区も
異臭などによって住みにくくなり

多くの貴族は、
当時のパリ周辺部であった
現在のフォーブル・サントノレ
(8区大統領府の近く)や
フォーブル・サン・ジェルマン
(7区官庁街)に引っ越し。

マレ地区は捨てられて
その後工場街となったのですが

19世紀半ばに行われた
パリ大改造から逃れたため、
今でも古い街並みが奇跡的に
残っています。

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マレ地区は改造から逃れたものの
そこは捨てられたエリアだったので
あまりいいエリアではなく、
故に賃料は安く、

お金のない労働者や
お金のないアーティスト、学生の
街となっていきました。

そして、そんな中、
1980年代以降になって
このエリアに若者向けの
アパレルショップやレストランが進出。

賃料が安かったので、
まだスタートして間もない
アパレルやファーストフードが
進出したわけです。

と言うわけで、
マレは中世の館が残る中、
おしゃれな店が立ち並ぶ
若者の街、となっていきました。

なので、マレ地区を歩くと
オスマン建築がほとんどなく
昔ながらの建物が残り、

また同時に立派な貴族の館も
たくさん残っているので

古い貴族の建物を利用した
おしゃれな店がたくさんある、
と言った、
奇妙な雰囲気も味わえます。

ただ、マレは今やおしゃれな街として
ブランド化しているので
賃料も上がり、

今や、その新進気鋭の
チャレンジングな新しい店は
マレの北へ北へとシフトしていってます。

具体的には、
フォーブル・サン・ドニあたりとか
レピュブリックあたりに
移ってきています。

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と、そんなマレ地区を
今回パリちゃんねるで巡りました。

おしゃれなお店に入ったり
食べ歩きなどしてるので
ぜひご覧くださいませ!


それでは皆さま、
良い週末をお過ごしくださいませ!