ベルリンを巡って分かった"ヒトラーの真実!" | 西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

ドイツ・ベルリン巡り。

前回の記事では、
"ベルリンの壁"について書きましたが、
 
ベルリン巡りで欠かせないのは
やはりナチス時代の記録を展示した
「テロのトポグラフィー」。
 
ナチスがどうやって生まれ
何をやったのか、
詳しく教えてくれる施設です。
もちろん入場無料。
{50BA7DD0-10EF-4D12-95B3-6482DB991F8E}
ベルリンのど真ん中、かつてナチスの重要機関が集中していた所にあります
 
{95874D5B-94CD-4E4C-AE58-ED9DAADF7798}
ここにはパネルで、ナチスがしてきたことを詳しく説明しています
 
{A2C3FDAD-9CB4-4914-BD7A-0140FDD28D0E}
ナチス。 うわっ!鉤十字!!
 
{CBC0272B-7ADA-48E0-A4AF-DEEBF27350BE}
ショッカーみたいな敬礼の仕方です
 
{76322815-4F63-44F8-A021-877538C6B0DC}
ユダヤ人を迫害しています
 
{2D8A11CC-3BF0-4701-8BE2-EC7E9142AE02}
これはナチスが考える理想のドイツ国民
 
ナチスが考える
理想のドイツ国民とは、
・ゲルマン民族(アーリア人)
・障害がない健康な者
・結婚して子供がいる(多産奨励)
・女性は主婦(控えめ、従順、献身的)
 
など。
逆に、ここに当てはまらない者は
差別の対象となりました。
 
 
-----------------------------------------
と、ここでざっくりナチスとは?
 
を見ていくと、
 
まずナチスは独裁者ヒトラーが
軍隊の圧力で作った政権ではありません。
 
選挙によって、
ドイツ国民から圧倒的な支持熱狂を受けて
できた政権です。
 
そこは日本の第二次大戦時の
政府と全然違います。
(日本の政府は、民主的なプロセスで翼賛体制〈親政府の人しか選挙に出られない体制〉に入ったわけではなく、その過程に国民の意思は反映されなかった)
 
ナチスは時代の求めによって生まれた、
誕生当初は民主的な政党です。
※ただし、巧みに法律を変えるなどし、時代が進むにつれて過激&独裁的、翼賛的な政治に移行していきましたが
 
 
--------------------------------------
そもそもドイツは、
第一次大戦で
フランスやイギリスに負けて、
とんでもない賠償金を課せられ、
(ドイツ税収の十数年分)
 
その支払いが滞ると
フランス・ベルギーに
借金のかたにドイツの優良工業地帯を
突然占拠され、
 
それによってドイツ経済は
一気にインフレとなり、
マルク(ドイツの通貨)の価値が
冗談でも考えつかないレベルでダウン!
 
第一次大戦後(1919年)
「1ドル= 13.5マルク」
 
だったのが、
 
その4年後(1923年)
「1ドル= 4万2000マルク」
 
に。
 
わかりやすく言うと、
 
卵1個 : 3200億マルク
バター1ポンド : 2兆8000億マルク
 
となったわけです。
 
喫茶店でコーヒー1杯飲むのに
トランク1つのマルクが必要で、
 
飲んでる間にマルクが上がって、
トランク2つ分が必要になった。
 
給料が出たらすぐに店に行って
ものに変えないと、紙切れになる。
 
年金が紙切れになった。
 
というエピソードは有名です。
 
 
つまり、経済がめちゃめちゃ混乱して
国のあらゆるものの資産がダウン。
その間にその資産を
海外投資家にごっそり奪われたわけです。
 
その投資家に
お金に敏感なユダヤ人が多かった
ということが、
ナチスの過度なユダヤ排斥〈虐殺)に
繋がった、とも言われています。
 
--------------------------------------
そんなドイツ国民からしたら
「だれか何とかしてくれーえーん
という状況で出てきたのが
ナチス!
 
ナチスがコンセプトとしたのは、
 
"民族で団結し、
国を挙げて雇用を生み出そう!
〈企業の国有化)
資本家に対してはNO!
(国際金融資本との戦い)
不労所得廃止!(利子ビジネス廃止!)
公共事業奨励!"
(ナチスの正式名称は
"国家社会主義ドイツ労働者党")
 
つまり、
 
"ドイツ国民の誇りを奮い立たせ、
金持ちを攻撃し(特に嫌われ者なユダヤ人)、
国が強力なリーダーシップを発揮して
雇用を生み出し、
みんなで豊かになりましょう!"
 
というもの。
 
当時のドイツ人にしたら、
たまらなく魅力的です。
 
 
さらに!
そんなタイミングで
世界恐慌がドイツを襲い、
ドイツはパニック!
まさにナチス頼み!
 
と、なったわけです。
 
そんなわけで、
瞬く間に国民から圧倒的な支持を得て、
ナチスの巧みな政略もあって
ドイツは晴れてヒトラーの独裁国家と
相成ったわけです。
 
ナチスは当初は
強力なリーダーシップで、
アウトバーン(高速道路)を作ったり、
大規模店を制限して中小店を守ったり、
中小企業への融資を増やしたり、
都市青年の農業従事促進したり
大幅減税したりするなどで
 
経済回復、そして
失業者を減らすことに成功。
 
まさに、神だったわけです。
{0CD378E0-6859-4FF6-80A8-874299745D3A}
当時のズタボロのドイツ国民には、ヒトラーはまさに救世主でした
 
 
ちなみに、
この時ヒトラーがポルシェの創業者、
ポルシェ氏に製作を依頼し
生まれた車が
「フォルクスワーゲン(ビートル)」。
{54A49B0D-10DC-417A-972E-C82ECE7446AE}
写真はウィキペディアよりお借りしました
 
「フォルクスワーゲン(ビートル)」は
当初、ヒトラーの
「ドイツ国民の労働者たち
みんなが乗れる大衆車を」
という要望で作られたもの。
 
丈夫で性能が良く、
そして安価で、大量に作れる。
 
超優秀な車だったわけです。
 
そんなわけで、その後、世界中で売れまくり、
世界で一番売れた(現在も売れてる)
車となりました。
 
※ポルシェ氏はその後、ナチスの依頼で戦車なども製作。さらにその後自分の会社「ポルシェ」を立ち上げた。「ポルシェ」はもちろん今でも高級車の代名詞。ポルシェ一族は、ナチスの国策会社として誕生したフォルクスワーゲンの筆頭株主にもなり、戦後もずっと君臨
 
 
ちなみに、ポルシェは
現在もこんなデザイン。
{6E4B85B5-B165-466D-A9E9-E8280364A613}
めっちゃ高い車です
 
基本的なデザインは
やはりフォルクスワーゲン(ビートル)に
似てますね。
 
 
あのフォルクスワーゲン、そして
ポルシェはナチスと
深ーーーーい関係があったのですね!
 
さらに言うと、
あのドイツの超高級車「ベンツ」も、
ナチスの戦闘機エンジン製作や
軍用トラックの製作をしていました。
 
 
そりゃ、ナチスが異様に強かったわけです。
 
-------------------------------------
ところが!
 
そこでやめてりゃよかったものを、
 
ヒトラー率いるナチスは
第一次大戦で失った領土を奪い返す
戦いをお隣ポーランドと始めます。
 
それに英仏が宣戦布告。
 
ところが英仏は攻めてくる気配がなく、
逆にナチスは快進撃でフランスをも占拠。
 
そこからナチスは
一時、ヨーロッパをほぼ制圧するに至りました。
 
 
ところが、その後
ソ連に深く攻め入り過ぎて
ソ連のあまりの寒さに
多大な死者を出し、これが
ナチスが一気に崩れ、
敗退に向かう契機となりました。
 
 
その後アメリカが参戦してきて
フランスに連合軍が上陸。
そこからは一気に崩れ、
あれよあれよと敗退、退却し、
 
どうにもならなくなって
最後には独裁者ヒトラーが
自殺してドイツ敗退。
 
というざっくりした
歴史の流れです。
 
------------------------------------
 
えらい長くなりましたが、
そんなナチスですが、
 
有名なのはユダヤ人大虐殺。
 
とんでもないことをしたわけです。
 
しかし!
確かに大虐殺をしましたが、
ナチスは初めから虐殺をしようと
企ててたわけではなく、
 
最初はユダヤ人への嫌がらせ
または公職追放、
程度でした。
 
確かにナチスは
そもそも反ユダヤをうたっていて
ユダヤ人は大嫌いだったのですが、
だからと言って民族殲滅、
と思っていたわけではないようです。
 
そこから徐々に
ドイツ国外への追放。
ドイツ国外に設けた収容所に送り込み
さらにそこから東へ東へと追いやり、
ドイツから遠ざけたかった、
わけです。
 
むしろユダヤ人に対しては
ドイツ以外の東欧国、
ポーランドやリトアニア
スロバキア、ルーマニア、ハンガリー、
ウクライナのほうが過激で、
 
ナチスが始める前から
民間による大虐殺が行われていました。
 
それから逃れるように、
ユダヤ人はフランスに逃げるも
フランス政府によってユダヤ人狩りが
行われ、フランス政府によって
おびただしい数のユダヤ人が
収容所に送り込まれたことは事実です。
 
また、ユダヤ人の逃げ場といえば
アメリカやイスラエルでしたが、
アメリカはアインシュタインなどの
優秀な科学者などのみを受け入れ、
普通のユダヤ人の受け入れは拒否。
 
イスラエルも受け入れの数が制限され
何と、命からがら逃げてきた
ユダヤ人の船を追い返す事件まで
発生しています。
 
結局ユダヤ人は逃げ場がなくなり、
ナチスのユダヤ人追放は
過激さを増し、
 
その中で労働力とならない
ユダヤ人が大量に虐殺されるなどの
事件が起こったとされています。
 
 
ちょっと書いていて
ナチスを擁護するような文になって
しまいましたが、
 
ナチスの行為は絶対に許されるものではなく、
人類史上最も酷い、
非人道的な政府であったことは
疑いようもありません。
 
ただ、それと同時に
ドイツの周辺国(東欧)も酷かったし、
フランスも酷かったし、
ユダヤ人を受け入れなかったアメリカ、
イスラエルという事実もあったし、
 
また、そのイスラエルができた土地
パレスチナに、自国の利益のために
周辺国に上手いこと言って
パレスチナをぐちゃぐちゃにした挙句
最後はトンズラしたイギリスも酷いし、
 
パレスチナにユダヤ人が
来て欲しくないものだから、
ヒトラーにユダヤ人虐殺をそそのかした
パレスチナのリーダーも酷いわけです。
 
--------------------------------------
つまり、
ヒトラーは人道的に最悪だけど
みんなも同じく酷かったわけです。
 
そして、その酷いみなさんの
犠牲者となったのが
マイナリティーで弱者のユダヤ人たち。
{306EE172-C38D-479E-8719-0D49863C6E21}
ベルリンのアメリカ大使館の前にある、ホロコースト記念館
 
{EEE7268A-5C6F-4929-A3C6-76B3F5E17EB6}
犠牲になったおびただしい数のユダヤ人を、弔っています
 
ユダヤ人は、
一部、ロスチャイルド家などが
経済的に成功を収め、
世界各国の中央銀行に強力な
影響力を有するなど
世界経済をコントロール存在になり、
 
また確かに当時のドイツの
ほとんどの有識者、医者、弁護士、銀行家
経営者はユダヤ人が占めましたが、
 
そうではないユダヤ人が
圧倒的に多かったわけです。
 
それを
みんなで寄ってたかって
虐殺したわけですから、
人間のマイナリティーに対する
排泄感情、
そして嫉妬が生み出す憎悪とは
恐ろしいものです。
 
※ヨーロッパには、歴史的に「ユダヤ人大量虐殺」の悪しき事件がそれこそ時代時代で起きていました
 
{1A03CD80-8AB6-471D-A199-ADADC72E3AD3}
こちらはベルリン ユダヤ博物館
 
{3D16BDA6-A605-4F65-A2FF-91E40DA44B7B}
中は、ユダヤ人がドイツでどんな虐殺を受け、またどうやって海外に逃れたかなどを展示しています
 
{A7A98F42-E458-4C6E-9008-02C3BE8D27EC}
ここは「ホロコースト・タワー」。中に入ると、冷たく暗いコンクリートの壁で四方を遮られています。高いところからほんの少しだけさす光には、絶対に届きません。ホロコーストにあったユダヤ人たちの絶望を表しています
 
-------------------------------
と、こんな感じの
ベルリンのナチス、ユダヤに関する
博物館巡り。
 
学ぶことがたくさんです。
 
それにしても、
ユダヤ人はかつての被害者から
今ではパレスチナで武力を用いて
逆に加害者になっている感があります。
 
まー、そこにも
単なる加害者・被害者に分けられない
複雑に絡み合うお互いの事情が
あるのかもしれませんが。。。
 
複雑な世界です。。