☆少し前の事を話そう☆
8月7日
飲んだ。
友達のイベント。
朝帰り。
音が無いと生きて行けない人間になってからどれくらい経つだろう。
初めてしっかり聞いたヒップホップはkrs-oneだったと思う。自分でCDを買ったのは。そこからコモン、RUN-DMC、トライブより先にQ-TIP、ビギー、パフィー、田舎のCD屋に並んでいるものはいつもチェックしてた。
そんな中、ジャミロクワイ、ケミカル、ビョーク、スクウェアプッシャー、ケンイシイ、ディーライト、アンダーワールド、ノーマンクック、プロディジーなどビッグビート、ハウス、テクノなど電子音に強烈に惹かれた。
ロックは、オアシス、ブラー、マイブラ、ビートルズ、ピストルズ、ライド、スローダイブ、クレイブ、フィーダー、リンプビズキット、ニルバーナ、スマパン、レッチリとイギリスを中心に何でも聞いた。特に好きだったのはマイブラとクレイブ。いわゆるシューゲイザーにハマった。
語源は、下を向き、シューズしか見ていないような陶酔してギターをかき鳴らす姿から。
とまぁ挙げればきりのないくらいに聞きまくった。
いつもMDは5~8枚くらい持ち歩いていた。
女の子や洋服よりもCDが好きだった。
高校をギリギリ卒業すると、道は一つ。
日本でも大手のCDショップに面接に行った。
受かった時は嬉しかった。
でも俺が販売したかったのは映画だった。
音楽と並ぶくらいに映像が好きだったからだ。
高校に入る前から、週に五本は映画を見ていた。
レンタルビデオ屋の2、3個は全て見た。(エロを除く)
つまり映画は音楽と映像の融合したモノだから、見るだけで両方が満たされる。
そこから十年も勤める事になるとは想像もしていなかった…。
続くかも
飲んだ。
友達のイベント。
朝帰り。
音が無いと生きて行けない人間になってからどれくらい経つだろう。
初めてしっかり聞いたヒップホップはkrs-oneだったと思う。自分でCDを買ったのは。そこからコモン、RUN-DMC、トライブより先にQ-TIP、ビギー、パフィー、田舎のCD屋に並んでいるものはいつもチェックしてた。
そんな中、ジャミロクワイ、ケミカル、ビョーク、スクウェアプッシャー、ケンイシイ、ディーライト、アンダーワールド、ノーマンクック、プロディジーなどビッグビート、ハウス、テクノなど電子音に強烈に惹かれた。
ロックは、オアシス、ブラー、マイブラ、ビートルズ、ピストルズ、ライド、スローダイブ、クレイブ、フィーダー、リンプビズキット、ニルバーナ、スマパン、レッチリとイギリスを中心に何でも聞いた。特に好きだったのはマイブラとクレイブ。いわゆるシューゲイザーにハマった。
語源は、下を向き、シューズしか見ていないような陶酔してギターをかき鳴らす姿から。
とまぁ挙げればきりのないくらいに聞きまくった。
いつもMDは5~8枚くらい持ち歩いていた。
女の子や洋服よりもCDが好きだった。
高校をギリギリ卒業すると、道は一つ。
日本でも大手のCDショップに面接に行った。
受かった時は嬉しかった。
でも俺が販売したかったのは映画だった。
音楽と並ぶくらいに映像が好きだったからだ。
高校に入る前から、週に五本は映画を見ていた。
レンタルビデオ屋の2、3個は全て見た。(エロを除く)
つまり映画は音楽と映像の融合したモノだから、見るだけで両方が満たされる。
そこから十年も勤める事になるとは想像もしていなかった…。
続くかも
☆今を生きる昨日を見直す☆
8月6日
マイヒストリー続き
俺は東京に飛び出した事は誰にも言って無かった。
友達とは一年ぶりの再会。
それがヒロユキのお通夜だなんて…。
新潟の幼なじみ達はヒロユキの闘病を知っていたので、何度となくお見舞いに行っていたらしい。病室での写真などを見せてもらう。
俺とは連絡がつかず、ヒロユキや仲間は実家の親に東京に行った事を聞いていたらしい。
まだ携帯も持っていない時代。ふらふらしている俺とは連絡も取れなかったようだ。
だから、俺の突然のお通夜出席はみんな驚いていた。
俺は最前列に座り、ヒロユキの冷たくなった顔を見たとき、涙ってヤツが溢れた。
そして、ヒロユキの母親に声をかけられ、
『東京行ってたんですね。ヒロユキがたまに話をしてましたよ』
って言われて、悔しかった…。俺は何をやってたんだろうって。
震える声で
『ヒロユキ君の分も頑張って生きます』
ってダサくてありふれたセリフが口から出た。
その夜、俺は高校を卒業する事を決意。
俺は1年下のクラスで高校2年を再度やり直す事になる。
ダブりなんて気にならなかった。
やり直したクラスもヤンキーだらけの荒くれ軍団。
クラスには俺とタメのボス的な奴もいる。
そして上の学年には俺と同じクラスだった奴らもいる。
登校初日は荒れくれた。
東京から来た変な奴として目を付けられ、上のクラスからは見物客が来た。逃げ出したヤツが戻って来やがったと。
気にしなかった。
殴られたら殴り返して、自分を守った。
一年前の自分とは違うと。
やがてそんな日々も収まりつつあった。
前よりは学校にも行った。
部活にも顔を出したが、一年間遊びまくった俺は、既に周りの部員には勝てなかった。
そんな時おりしもバンドブーム。
歌う事の好きだった俺は、ミスチルを聞き、イノセントワールドを歌った。ユニコーンを歌った。ブルーハーツを歌った。
ダンスミュージックカルチャーも日本に現れ始めた。
小室哲哉のプロデューサーブームである。
中西圭三がZOOを、小室哲哉がTRFを。
そしてダンス甲子園も波に乗っていた。
ストリートダンスが全国区になり始めていた。
音楽がますます好きになった。そんな中俺は、イギリスのブリストル、そしてビッグビート、ハウス、ブリットポップと言われているカルチャーに浸かった。
アメリカのデトロイトテクノ、東海岸のヒップホップを知った。
マイヒストリー続き
俺は東京に飛び出した事は誰にも言って無かった。
友達とは一年ぶりの再会。
それがヒロユキのお通夜だなんて…。
新潟の幼なじみ達はヒロユキの闘病を知っていたので、何度となくお見舞いに行っていたらしい。病室での写真などを見せてもらう。
俺とは連絡がつかず、ヒロユキや仲間は実家の親に東京に行った事を聞いていたらしい。
まだ携帯も持っていない時代。ふらふらしている俺とは連絡も取れなかったようだ。
だから、俺の突然のお通夜出席はみんな驚いていた。
俺は最前列に座り、ヒロユキの冷たくなった顔を見たとき、涙ってヤツが溢れた。
そして、ヒロユキの母親に声をかけられ、
『東京行ってたんですね。ヒロユキがたまに話をしてましたよ』
って言われて、悔しかった…。俺は何をやってたんだろうって。
震える声で
『ヒロユキ君の分も頑張って生きます』
ってダサくてありふれたセリフが口から出た。
その夜、俺は高校を卒業する事を決意。
俺は1年下のクラスで高校2年を再度やり直す事になる。
ダブりなんて気にならなかった。
やり直したクラスもヤンキーだらけの荒くれ軍団。
クラスには俺とタメのボス的な奴もいる。
そして上の学年には俺と同じクラスだった奴らもいる。
登校初日は荒れくれた。
東京から来た変な奴として目を付けられ、上のクラスからは見物客が来た。逃げ出したヤツが戻って来やがったと。
気にしなかった。
殴られたら殴り返して、自分を守った。
一年前の自分とは違うと。
やがてそんな日々も収まりつつあった。
前よりは学校にも行った。
部活にも顔を出したが、一年間遊びまくった俺は、既に周りの部員には勝てなかった。
そんな時おりしもバンドブーム。
歌う事の好きだった俺は、ミスチルを聞き、イノセントワールドを歌った。ユニコーンを歌った。ブルーハーツを歌った。
ダンスミュージックカルチャーも日本に現れ始めた。
小室哲哉のプロデューサーブームである。
中西圭三がZOOを、小室哲哉がTRFを。
そしてダンス甲子園も波に乗っていた。
ストリートダンスが全国区になり始めていた。
音楽がますます好きになった。そんな中俺は、イギリスのブリストル、そしてビッグビート、ハウス、ブリットポップと言われているカルチャーに浸かった。
アメリカのデトロイトテクノ、東海岸のヒップホップを知った。
☆そろそろ頑張って生きねば☆
金銭的に余裕が無くなると人はオーラを失うって誰かが言ってたね。
色々融資を探したけど、病気を背負ってしまったら最後なんだなって思うわ。
それはそうと、マイヒストリーが途中だったのでもう少し書こうか。記録だし。
高校を飛び出し、東京に降り立ったのが16の夏。
世の中はコギャル、チーマーの創世記。始まりを迎えた頃だ。俺はそんな中、池袋でバイトを始めた。西口公園の目の前だ。
池袋ウェストゲートパークの舞台にもなったチーマーの抗争。リアルに目の前にあった。
その頃香取慎吾も池袋によく出没していた。
俺はバイト先で彼女が出来たが、その娘は日焼けサロンに行き、ルーズを履く女子高生。池袋はルーズの発祥の地で、ルーズを履き始めた元祖のグループにその娘は居たらしい
(あとで聞いた話だけど)
俺はバイトに明け暮れ、やがて俳優の専門学校にも行かなくなり、悪さばかりやり始めた。
クラブにも行くようになった。当時はまだあった六本木の桃源郷ビル。
あのユーザロックがリアルにフリースタイルをしていた。
さんぴんキャンプより前。
シャカゾンビ(今は洋服屋)もハードだった。
音楽が自分の生きがいなんて考えてもなかった頃。
酒を覚えたのもこの頃だった。
遊びまくってあっという間に時間は過ぎ、一年が経とうとしていた。
親との約束は一年。
地元に戻るべきか否か。
とりあえず細かい話をするために、一年ぶりに田舎へ帰省。
田舎へ帰ってボヤ~っとしていると、実家に友達から一本の電話。
『ヒロユキが死んだ』
って電話だった。
ヒロユキとは中学時代の馬鹿仲間で、高校は別の高校へ行き、全く会わなくなっていた。
話を聞くと、中学を卒業してすぐくらいに急性白血病で入院し、闘病の末つい昨日亡くなったらしい。
まだ17歳…しかも俺が新潟に帰ったその日に。
色々融資を探したけど、病気を背負ってしまったら最後なんだなって思うわ。
それはそうと、マイヒストリーが途中だったのでもう少し書こうか。記録だし。
高校を飛び出し、東京に降り立ったのが16の夏。
世の中はコギャル、チーマーの創世記。始まりを迎えた頃だ。俺はそんな中、池袋でバイトを始めた。西口公園の目の前だ。
池袋ウェストゲートパークの舞台にもなったチーマーの抗争。リアルに目の前にあった。
その頃香取慎吾も池袋によく出没していた。
俺はバイト先で彼女が出来たが、その娘は日焼けサロンに行き、ルーズを履く女子高生。池袋はルーズの発祥の地で、ルーズを履き始めた元祖のグループにその娘は居たらしい
(あとで聞いた話だけど)
俺はバイトに明け暮れ、やがて俳優の専門学校にも行かなくなり、悪さばかりやり始めた。
クラブにも行くようになった。当時はまだあった六本木の桃源郷ビル。
あのユーザロックがリアルにフリースタイルをしていた。
さんぴんキャンプより前。
シャカゾンビ(今は洋服屋)もハードだった。
音楽が自分の生きがいなんて考えてもなかった頃。
酒を覚えたのもこの頃だった。
遊びまくってあっという間に時間は過ぎ、一年が経とうとしていた。
親との約束は一年。
地元に戻るべきか否か。
とりあえず細かい話をするために、一年ぶりに田舎へ帰省。
田舎へ帰ってボヤ~っとしていると、実家に友達から一本の電話。
『ヒロユキが死んだ』
って電話だった。
ヒロユキとは中学時代の馬鹿仲間で、高校は別の高校へ行き、全く会わなくなっていた。
話を聞くと、中学を卒業してすぐくらいに急性白血病で入院し、闘病の末つい昨日亡くなったらしい。
まだ17歳…しかも俺が新潟に帰ったその日に。